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第一話 二人の当主

1 街角の退魔師

 駅前のメインストリートは夕刻を迎え、学校帰りの学生や通勤客で混みはじめていた。長く延びる人々の影が、秋の到来を告げ知らせる。いつもと何ら変わることのない、平日の一日が暮れようとしていた。
 が。
 人々の影が、ふいに波打つようにゆらめく。
 錯覚ではない。人々の影が落ちた地面から、黒いものが盛り上がり、うごめき出す。まるで影が実体を持ったかのように、夕日を浴びる人々の足元からそれらは生え出し、手の形に伸びて影の持ち主の足首をつかむ。
「あれ……ええっ?」
 急に足が動かなくなったことに驚き、足元に目をやった人々の悲鳴が、あちこちから上がった。
「なによ、これ?」
「おい、どうなってるんだ!」
「やだー、ありえなーい」
 そのあたり一帯の、日の当たるところにいた人々が一斉に同じ被害に遭っていた。運よく日陰にいて難を逃れた人も、うっかり日なたに足を踏み出したとたんに同じように足止めを食らう。
「もしもし? 警察?」
 幸い、手は動く。携帯電話を手に、幾人もの人々が通報のしぐさを見せていた。
「大変です、影が動いて、足が」
「なんかわかんないんですけど、たぶんこれ、妖魔です」
 人々を混乱に陥れる怪事件を起こす不可解な存在は「妖魔」と呼ばれていた。
 通報しつつも、警察が必ずしもこういった騒ぎに有効な力ではないことを、人々は知っている。警察には妖魔対策課が設置されているが、妖魔を捕獲したり退治したりする決定的な方法を、彼らは持ち合わせていない。だいたい、妖魔とは何なのかすらわかっていないのだ。
 だがそれでも、他に頼れる存在を人々は知らなかった。
 妖魔が出たら、とりあえず警察へ。
 妖魔を退治する「退魔師」と呼ばれる人々がいるらしいということは知られている。だが、誰もが直接連絡を取れるわけではないのだ。
 日なたで足をつかまれた人々も、日陰から出るに出られなくなってしまった人々も、誰かがなんとかしてくれるのをただ待つよりほかになかった。

「迷惑型、影縫いタイプ、か」
 商店街から狭い路地を入ったビルの陰で、男はつぶやいた。年のころは四十代半ば。特に目立つところのない地味な姿は、たまたまその場に居合わせた会社帰りのサラリーマンに見える。だがその目くばりは、騒動に驚く他の通行人とは異なっていた。まるで見えないものを見ようとするかのように、ビルから伸びる影にすばやく視線を走らせる。
 やがて。
「……見えた!」
 男はスーツのポケットから無造作になにかをつかみ出す。広げられた掌上には、純白の珠があった。直径は1.5センチ程度、硬質な輝きを放つ。
 男は低く何事かを唱える。すると、珠が輝きを放ち始めた。まっすぐに長く、光が伸びていく。唱えるほどに輝きは強まり、その形を変えていった。
 唱え終わった時、その手には一振りの剣が握られていた。鞘からすらりと抜いた剣を構え、地面を見据える。そこに見えない敵がいるかのように、一点を見定めたままじりじりと移動し、位置を取る。
「はぁっ!」
 気合いの声とともに、剣が地面につきたてられた。常人の目には見えていないが、確かな手応えが剣を通して感じられる。一呼吸おいて、男は地面から剣を抜いた。高くかざすとそれは再び輝き、次の瞬間、もとの白い珠となって手におさまる。
 男は歩き出す。影から伸びていた手は、何の前触れもなく消え失せていた。戸惑った表情で互いに顔を見合わせる人々の間を抜け、彼は何事もなかったかのように立ち去った。
 人々を足止めした妖魔を退治した男には誰も気づかないまま、夕暮れの通りにはいつもの喧噪が戻っていった。

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