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2 抜けない剣

   宝珠家の敷地内、梢風流格闘術の道場。
「――あ」
 宝珠圭一郎は、ふと稽古の手を止めた。
「どうした?」
 型の指導にあたっていた叔父の修三が声をかける。古武術である梢風流は、流派を名乗ってはいるが、実際には一族で細々と伝えられているに過ぎない。したがって、指導をする側もされる側もほとんど親戚どうしである。
「また出ました」
「妖魔が?」
「はい。たぶん駅の方ですね」
「そんなに遠くか。よくわかるな」
 修三が感心したように言った。
 宝珠家の一族は、妖魔を退治する力を持つ。現在のように妖魔が広く認知されるようになる前から、力とわざを受け継ぎ、妖魔を退治してきた。その系譜は平安時代にまでさかのぼるという。
 妖魔の気配を感じ取る力にかけては、現在のところ圭一郎に並ぶ者はいない。一族の当主である伯父の優(すぐる)さえも、圭一郎には及ばなかった。とはいえ彼が次代の当主になる可能性はきわめて低い。当主の直系ではない上に、当主に必要なもう一つの能力が彼には備わっていないからだ。
「あれ?」
 圭一郎は再び声をあげる。
「消えました。退治されたみたいです」
「優さんかな」
「そこまでは……」
 眼鏡のずれを直し、圭一郎は構えを取り直した。すべきことをきちんとこなさないと気が済まない性格のために、こうして毎日の稽古を欠かすことはないが、妖魔退治という宝珠家の使命にはあまり関心がない。どうせじぶんが当主になるわけはないと思っていたし、なにより黙ってひそかに人々を助けるなどという地味なまねは面倒くさい。
 要するに、どうでもいい。
 妖魔を感じ取ってしまうのは仕方がないが、それ以上は自分には関係のないことだと、圭一郎は思っていた。

 そろそろ稽古を切り上げようかと思っていた時、道場の入口に立つ人影があった。
「優伯父さん」
 圭一郎は人影に声をかけた。四十代半ばのくたびれかけた、いかにも地味な風体ではあるが、これでも宝珠家当主であり、梢風流剣術および格闘術の継承者である。
「圭一郎」
 優は視線を道場内にさまよわせた。
「おまえだけか。流(りゅう)は? 征二郎は?」
「来るわけないでしょう」
 圭一郎は間髪入れずに答える。悪気があったわけではなかったが、そのにべもない答えように、優はいくぶんしょげたようにため息をつく。
「そうだよな……」
 当主やその兄弟の子供の中で、道場に真面目に通っているのは圭一郎だけだった。双子の弟である征二郎は部活に夢中で、高校に入ってからというもの、道場から足が遠のいている。
 流は優の一人息子で、圭一郎にとっては従兄にあたる。五歳上の彼は、圭一郎・征二郎兄弟とは折り合いが悪い。次期当主には自分がなるものだと信じている流が、圭一郎達に対して既に当主であるかのように尊大で嫌味な態度を取るからだ。
 確かに当主の息子である彼は、次期当主の座にもっとも近い。妖魔を感知し、退治する能力もそこそこにはある。だが、自分が当主になって当然だと思うためか、彼は修行に熱心とは言えなかった。この道場でも、めったに姿を見ることはない。優にもそれが悩みの種らしかった。
「優兄さん、さっき妖魔退治したんですか?」
 修三の問いに、優は驚いたように問い返す。
「ここからわかったのか?」
「圭一郎がね」
「そうか」
 優はため息をつく。そしてごそごそとポケットを探り、白い珠を取り出した。家宝の宝珠。宝珠家の名の由来でもある。
 家宝なのにそんなぞんざいな扱いでいいのかな、と思っている圭一郎に、優はその珠を突き出す。
「圭一郎、使ってみてくれないか」
「またですか? 伯父さん」
 苦笑しながら、圭一郎は珠を受け取った。今月、もう何度目になるだろうか。
  家宝の使い方は知っている。問題はどこまで使えるかだ。
 珠を左手に軽く握ったまま、まっすぐ前に突き出す。持ち方に決まりがあるわけではないが、なんとなくこのように持つのが圭一郎の癖になっている。
 手の中で輝きが生まれる。珠が白くまばゆい光を放っているのが、指の隙間から見てとれた。光は圭一郎の手からまっすぐ左右にのびていく。
 圭一郎はわずかに目を細めた。手の中で次第にはっきりした感触と重量を持ってきた光を、取り落とさないように握り直す。
 やがて。
 輝きがおさまった時、圭一郎の手には一振りの剣が握られていた。ちょうど、鞘の中ほどをつかんでいる形になる。圭一郎は右手を剣の柄にかけ、ぐっと握った。
 そしてそのまま顔を優の方に向ける。
「やっぱり抜けないですね」
「そうか……」
 優は落胆の声を上げる。
「やはり征二郎でないと駄目か」
「ですね」
 圭一郎は宝珠を剣に変えることができる。それも普通は必要な「呪」を唱えることもなく。だが、その剣を使うことはできない。
 一方、弟の征二郎は、剣を誰よりも使いこなすことができるが、宝珠を剣に変えることができない。
 宝珠家の双子は、二人で一つの力を合わせ持つ。
 とうにわかっているその事実を、最近の優は、今さらのように何度も何度も確認する。そのたびに落胆するのだが、それでも繰り返してしまうのは、万に一つの奇跡を願っているからなのかも知れない。

「征二郎でないと駄目、か……」
 優は自分の言葉を繰り返す。それはなにか、自分自身に念を押しているかのようでもあった。

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