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3 すずやかなリンリンさん

「今月になってから、もう三度目なんだ。いいかげん伯父さんもあきらめてくれればいいのに」
 翌日、駅へと向かうバスの中で、圭一郎は昨日の一件を征二郎にぼやいていた。
「抜けたら妖魔退治すんの?」
「まっさかぁ」
 征二郎の問いを、圭一郎は一笑に付した。
「そんな面倒なこと、やるわけないじゃん」
「だよな」
「でも道場行くたびにあれじゃ困るよ」
「行かなきゃいいだろ?」
 征二郎は気楽に言うが、圭一郎の性格では、幼い頃から決められてきたことをさぼるということはなかなかできるものではない。
「そういうわけにもいかないよ。だいたい、おまえや流が来ないから、僕一人がとばっちり食らうんだ」
「この場合、俺は関係ないんじゃないの? いずれあの珠使うようになるのは流なんだろ?」
「そうなんだよなー」
 順当に考えれば、宝珠を受け継ぐのは当主の息子であり、宝珠を剣に変えて使いこなす力を一応は備えている流のはずだ。だから圭一郎には、優がことあるごとに自分に宝珠を使わせたがる理由がわからない。
「僕が剣を抜くより、流が真面目に修行するようになる方が確率高いと思うんだけどな」
「あいつがそんなしおらしいヤツなわけねーだろ」
 征二郎は特に、流とは相性が悪い。自分の優位を疑わない流の物言いはいちいち、負けず嫌いの征二郎の癇にさわるのだ。表面はなんとか丸くおさめようとする圭一郎に比べて、征二郎があからさまに反発した態度をとるのも一因だろう。
「だいたい、伯父さんだってまだまだ元気なんだし、何急いでるんだか」
「それなんだけど……」
 圭一郎はふと真顔になる。
「伯父さん、手伝ってもらいたいんじゃないかな」
「手伝うって?」
 首をかしげた征二郎に、圭一郎は続ける。
「最近、増えてるからさ」
「妖魔が?」
「うん。僕にわかる範囲だけでも、毎日のように出てくるし」
「そうなんだ」
 征二郎には妖魔の気配はわからない。せいぜい、何か出そうな気がするという程度で、普通の人々と大差ない。圭一郎に感じられている妖魔の増殖も、征二郎には今ひとつぴんと来ていなかった。
 バスががくんと揺れ、停止した。吊革にぶら下がるようにつかまっていた征二郎は、思わずよろける。ふとさまよった視線が、バス停に並ぶ人影をとらえた。
「あ、リンリンさん」
「え?」
 圭一郎は乗車口に目をやる。「慈愛女子高校前」と書かれたバス停から乗り込んできた女子高生の一群の中に、見覚えのある顔があった。長くつややかな黒髪が目を引く少女。きりっと引き結んだ口元とのばした背筋が、張りつめた印象を与えている。
 少女はすぐに圭一郎達に気づいたようだった。あまり混み合っていない車内をまっすぐ彼らの隣へやってくる。
「バスに乗ってるなんて、珍しいわね」
 先に口を開いたのは少女の方だった。
「こいつのシューズを見に行くんですよ」
 圭一郎が答える。
「リンリンさん、もう帰るんですか?」
「征二郎」
 少女はじろりと征二郎をにらみつける。
「その呼び方はやめろって言ってるでしょ」
「はーい、美鈴先輩」
 征二郎は特にこたえたふうもなく答える。どうせ何度となく繰り返してきたやり取りだし、これからも何度となく繰り返すだろう。
 美鈴凛は、宝珠家と同じく妖魔を退ける一族である。鈴の音の霊力によって妖魔の動きを封じるがゆえに、美鈴の姓を名乗る。すずやかで毅然とした退魔師になって欲しい、という両親の願いが込められているという彼女の名は、だが、姓と組み合わせると、さながら「犬田ワン」とでもいうような、いささか珍妙な名になる。
 しかも、美鈴の「鈴」は名と同じ「リン」と読めてしまう。そのことに気づいて以来、宝珠兄弟の凛に対する呼び名は「鈴」と「凛」を重ねた「リンリンさん」なのだ。
 本人はいやがっているのだが、その呼び名はきつい印象の彼女をいくぶん親しみやすく感じさせる。だから、ついそう呼んでしまう。
「昨日駅前に出た妖魔って、あんたたちの伯父さんが退治したの?」
「そうみたいです」
 圭一郎が答える。
「タイプは?」
「えっ?」
「妖魔のタイプよ。警察に届ける時に分類するでしょ?」
「そうなんですか?」
 首をかしげる二人に、凛はいらだったような声を上げた。
「どうして宝珠家なのにそんなことも知らないの? 退魔の一族の常識じゃない」
「そうかなあ……」
 征二郎が気のない返事をする。圭一郎はあわてて弁明を試みた。
「あ、でも僕たちは当主になるわけじゃないですから……」
「たとえそうでも、そんなもの、義務だと思っておきなさい」
「はあ」
 圭一郎は困惑した表情で曖昧に返事を返した。常識が義務にランクアップしている。
「いい? 警察庁の大分類は『出没・徘徊型』『迷惑型』『物損型』『傷害型』『その他』の五つ。これぐらい覚えておきなさいよ。次に会った時に問題出すからね」
「うへぇ……」
 あからさまに面倒くさそうな声を出したのは征二郎だ。何かと頼りになる凛だが、退魔の仕事に忠実すぎるのが、二人にとっては少し重たい。圭一郎はなんとか話をそらしてみようとする。
「先輩は最近退治したりしたんですか?」
「先週の月曜にね。最近増えてるの」
「大変ですね」
「他人事みたいに言わないように」
 圭一郎は凛の鋭い視線に苦笑した。
 凛は既に何度も妖魔を退治している。その腕は確かで、本人もよくそれを自覚している。だからこそ、宝珠家に生まれながら妖魔退治にあまり興味を示さない圭一郎と征二郎を歯がゆく思っているらしい。
 そうはいっても、どちらも一人では妖魔を退治することができないのだからしかたがない。彼らにとって妖魔退治は、その時はまだ、まさしく他人事だったのである。

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