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第三話 オブジェは校舎を埋め尽くす

1 蠢動

「征二郎、見てみろよ、これ」
 パソコンのメールチェックをしていた圭一郎が声を上げた。机に向かって雑誌を読んでいた征二郎が顔を上げて振り向く。
「なんだ?」
「ほら、データベースの登録が済んだってさ」
 圭一郎はメッセージを画面に表示してみせる。二人に宛てて出されたメールだから、征二郎のメールボックスにも同じものが届いているはずだが、征二郎はあまり自分でメールを読もうとはしない。
 征二郎はマウスで画面をスクロールさせつつ、圭一郎の横からメールの文面を読んだ。
「どれ……『先日は当データベースに情報をお寄せいただき、ありがとうございました。早速データベースを更新しましたので、ご確認いただければ幸いです。なお、研究会での検討の結果、新種の妖魔と認定されましたので、その旨データベースに記載いたしました』」
「まあ、そういうことらしいよ」
 一週間ほど前に国語の授業に現れた妖魔について、圭一郎が退治の後で報告書をまとめ、データベースの登録手続きをしていた。その返信である。
「へえ、データベースの管理者、女子大生なんだ」
 征二郎が見ているのは、メールの末尾に記された署名だった。「フローレンス女子大学人間社会関係学部 吉住裕美」と書いてある。
「大学の先生とかじゃない?」
 圭一郎がそう言ったのは、メールの礼儀正しい文面があまり女子大生らしくなかったからである。どのみち高校生の二人は、大学の学生と院生と教官と職員がそれぞれ所属をどのように表記するのか、よく知らない。
「あ、もういっこ、同じ人からメール来てら」
 征二郎は圭一郎に届いていた未読メールを勝手に開く。
「追伸だ。パスワードの管理について、だってさ」
 二人がのぞき込んだメールには、妖魔データベースのIDとパスワードが洩れ、何者かが不正にアクセスしていたという事件の報告と、パスワード管理を厳重にしてもらいたいという要望が書かれていた。「生年月日や名前のような、誰にでもわかりやすいパスワードは避けてください」という一文を見た征二郎が、驚いたように声を上げる。
「誕生日ってだめだったんだ……」
「今すぐ変えろ」
 圭一郎の反応は素早かった。立ち上がり、征二郎にパソコンを譲る。
「面倒だなあ」
 征二郎はデータベースにアクセスしようとする。ふと思いついて、圭一郎は釘をさしてみた。
「そうだ。ノートの裏とかにメモするのもだめだからな」
「えっ、そうなんだ」
 真剣に驚いている征二郎に、圭一郎は脱力感を覚える。パスワードを設定する際に注意書きがあったはずだが、征二郎はそういった些末な――少なくとも彼にとっては――ことがらをいちいち覚えようとはしない。
(まあ、今回はいいか)
 圭一郎は思った。妖魔の出現条件や性質など、ことさらに隠す必要のあるものには思えない。あまり口うるさく言うほどのことでもなかろう。
 その認識が甘かったと二人が思い知るのは、十日ほど後のことになる。

 許されぬ場に、彼らは巣くっていた。
 狭く暗い空間で、ひそひそと密談がかわされる。
「アレを呼ぶなんて、本当にそんなことができるのか?」
「ああ、間違いない。すでに実験は成功している」
「 だが……大丈夫なのか?」
「心配はいらない。動かないし害もない。それにここには……」
「ああ、そうだった。なら安心だな」
「そういうことだ。……見たいだろ?」
「たしかにな。こんな機会、そうそうあるもんじゃない」
「で、いつにする?」
「休み中を狙おう。仕掛けてから三日ほどで呼べるそうだから、このあたりが狙い目だ」
「よし、それがいい」
 ささやきかわす声を聞くものはなく、ただ夜の闇があたりを覆っていた。

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