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第四話 鈴の退魔師

1 ただいま訓練中(上)

「駅前広場に妖魔が出現しました。市民のみなさんはすみやかに避難してください。繰り返します……」
 澄み切った秋晴れの空の下、拡声器を持った市役所職員の声が響く。かたわらでは警官たちがあわただしくロープを張っていた。
 休日の金剛駅は、繁華街に近いこともあって、人通りが絶えない。電車が到着するたびに階段から吐き出されてくる人の波を駅前広場に入れないように、市役所職員と警官が誘導にあたっている。
「あれ、今回向けに新しく作ったのかなあ」
 広場の隅のほうで宝珠征二郎は、職員たちを眺めながらつぶやいた。市役所の職員はみな、「金剛市役所」というロゴと鳥の形のシンボルマークがあしらわれた真新しい上着を身につけている。
「まさか。五十周年記念とかでだろ」
 征二郎のすぐ横で、圭一郎がペットボトルの烏龍茶を片手に答えた。彼らの住む金剛市は来年に市政五十周年を迎えるため、さまざまな記念行事が行われている。その大半は彼らの関心を特に引くものではなかったが、市内で生活していれば、いやでも目に入るものばかりだ。
「だってさ、あれ目立つじゃん」
 征二郎が目を向けたのは、広場のの中央にある噴水のあたりだった。市役所のロゴ入りの上着を着た、怪しげなものがいる。
 裂けた口にずらりと並んだ牙、凶悪な目つき。そんな怪物の頭を持ちながら、首から下はごくふつうの人間の男性の身体だ。
 一目で職員が怪物のマスクをかぶっているのだとはわかるのだが、グロテスクなマスクと上着のロゴのかわいらしさが珍妙な違和感を伴って見えた。異様な姿なためか、ロープの向こうから通行人が口々に指をさしては何か言っている。携帯電話を突き出して写真を撮っている女子高生の姿も見られた。
「あれは……べつに狙ったわけじゃないと思うけど」
 圭一郎は懸命に笑いをこらえる。あんな妙な格好をしていても、当人にとっては仕事なのだろう。
(って、僕たちも仕事だったっけ)
 圭一郎はそう思い直す。怪物マスクの職員だけではない。彼ら二人もこの場に遊びできているわけではないのだ。
「しっかし、妖魔退治の訓練なんてやってなんになるんだろうな。俺たちはいつも実戦なのにさ」
 突っ立ったままのマスクの職員を眺めるのに飽きたのか、征二郎があくびまじりに尋ねてくる。
「僕たちの訓練じゃないだろ。ああやって市役所の人が通行人を整理したり連絡取ったりする訓練なんじゃないか?」
「そんなん、訓練なんかいるのか?」
「ほら、ラッシュの時に妖魔が出たりしたら混乱するだろうし、誰が何をするか、分担を前もって決めてその場で動けるか確認しとかないとさ」
「ふーん」
 やはり退屈そうな征二郎とは対照的に、圭一郎はたえず周囲に気を配っていた。妖魔退治の訓練に呼び出されたのは、ただなりゆきを見守るためではないのだ。
「宝珠君たち、そろそろお願いします」
 広場から通行人を出し終えた職員が、二人にそう呼びかけた。
 圭一郎は宝珠を持った手をすっと前に突き出す。普段ならそのまま退魔の剣を出現させるところなのだが、今回はそういうわけにはいかなかった。
「金剛の地の守り神と祝い祀りませまつる、かけまくも綾にかしこきワカミヅナギツワケノ神の大前に、かしこみかしこみも申さく……」
 宝珠家に伝わる「呪」。宝珠を剣に変えるためには、普通はこの「呪」を唱えなければならない。圭一郎には必要のないものではあったが、今回は訓練なのできちんとした手順を取るように指示されている。
「もろもろの禍事、くさぐさの災いことごとく日の本を覆い、衆生の惑い極まりし折……」
 幼い頃から暗唱させられてきたため、口から出る詠唱にはよどみがない。
「大神の広き厚き大御恵によりて授け給いし明王の真言、御珠をゴウマ剣に変ぜしめ……」
 唱えるほどに、掌に包まれた宝珠が熱く光を放つのがわかる。普段は一瞬で済ませてしまう過程をこうして時間をかけて行なうことは、圭一郎にとって新鮮に感じられた。
「……夜の守り日の守りに守り恵みさきわえ給えと、真言によりてかしこみかしこみも乞いのみまつらくと申す」
 「呪」がどういう意味なのかは、圭一郎にはよくわかっていない。平安時代から伝わっているということと、祝詞の形式ではあるがところどころに仏教の影響が見られる、いくぶん変則的なものだということは知っていたが、その内容には大して興味を持っていない。そもそも、そんなものに頼らなくても、圭一郎は剣を出現させられるのである。
「……オン・アミリティ・ウン・ハッタ!」
 最後の一番意味不明な文句は、真言と呼ばれる仏教の言葉らしい。
 ここまで唱え終わると、宝珠を握り込んだ手の中から光が左右に伸びた。光が形を取り、退魔の剣になっていくまでには、ものの数秒もかからない。
「征二郎!」
 剣を握った手をそのまま征二郎の方へ伸ばす。すぐに手から剣が離れる感覚があった。征二郎が剣を手に取り、いつものように鞘を払いながら妖魔役の職員の方へ走って行く。
 が。
「おーい」
 職員の前で征二郎は立ち止まり、こちらを向いて呼んでいる。
 圭一郎はロープの向こうで見物している人々に目をやった。訓練とはいえ、妖魔退治がどのように行なわれるのかと見守っていた人々が、いくぶん拍子抜けした様子を見せているのがわかる。公衆の面前で、打ち合わせの手順すら守れない姿は、どうにもばつが悪い。
「この後、どーするんだっけ?」
「……」
 打ち合わせの席には、征二郎もいたはずなのだが。
(こんなところで大声で聞くなよ……)
 圭一郎はあきれつつ 「とにかく、斬る真似して!」と、身ぶりで示してみせる。
「おっけーっ」
 圭一郎が身ぶりで示した意味など灰燼に帰す大声で、征二郎は返事をし、 「えい」と職員の前で剣を振る真似をする。
 妙な間が入ってしまったせいか、征二郎の前で所在なげに突っ立っていたマスクの職員は、それを合図にいきなり頭を押さえ、ぐるぐると回転し始めた。
「う、うぎゃああああ」
 どことなく棒読みな叫び声を上げながら、職員は地面に倒れる。
 その姿は、妖魔というより自主制作映画かなにかの怪人のようだ。そう圭一郎は思った。

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