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第六話 沙耶

2 消えた剣

 その、少し前。
 征二郎を先に帰らせ、圭一郎は図書室で調べ物をしていた。
(言葉を話す妖魔……手がかりぐらいないのかな)
 妖魔について書かれた本はあまり多くない。数自体は少ないわけではないのだが、大半は興味本位に書かれたもので、信憑性に乏しい。「妖魔の正体はなんとか星人だった」とか「妖魔は宇宙からのメッセージ」といったものを差し引けば、残るのはごくわずかだ。
 圭一郎はその数少ない一冊にざっと目を通す。妖魔の姿が日本に古くから伝わる狐狸や妖怪のたぐいに似ていることを論証したものだった。たしかに妖魔のタイプには、かまいたちやムジナといった、日本の妖怪にちなんだ名前がつけられることが多い。
(妖怪に似てるなら、しゃべるのもいそうなものなんだけどなあ)
 圭一郎は首をひねる。奇妙なことに、人に化けたり言葉たくみに人をだましたり、あるいは人と情を通じ合ったりする妖怪の伝承はあるのに、そういった妖怪に似た妖魔は報告されていないのだ。
 そもそも、伝えられる妖怪が今で言う妖魔なのか、ただの伝承の中の存在なのかもはっきりしない。
(ほんとにわかってないんだなあ)
 一昨日会った吉住の言葉を思い出す。妖魔についてわかっていることは、あまりにも少ない。
(うちの書庫になら、何かあるのかな)
 妖魔という呼称が一般化するより前から、退魔のわざを受け継いできた宝珠家。その記録が眠る書庫。情報としてはいかにも有用そうだが、書庫に眠る文献の多くは、圭一郎には読めない。
(リンリンさんにでも手伝ってもらうか)
 圭一郎は本を閉じ、書架に戻した。
 先に帰っているはずの征二郎を引っ張り出して道場に顔を出そう、などと思いながら、圭一郎は図書室をあとにする。
 廊下に出て職員室の前を通り、階段を降りて玄関に向かおうとする。職員室の入口に立つ男子生徒の横顔がちょうど視界に入り、圭一郎ははっとした。
(滝……護宏!)
 一昨日、妖魔の気配を放つ子どもをかばった同級生。
 鞄を持っているところを見ると、下校前に教師から呼び出しでも受けていたのだろうか。職員室の戸を開けて一礼する後ろ姿が見えた。
「失礼します。安原先生は……」
「ああ、滝か。まあ入れ。この間の続きだ。四十五枚だな」
 職員室の中から、現代国語の安原教諭の声が聞こえる。
(なにが四十五枚なんだろう)
 圭一郎はいぶかりつつもそのまま通り過ぎる。職員室に入ってしまった護宏は、圭一郎が通り過ぎたことには気づいていないようだ。
(近いうちに、ちゃんと聞かなきゃな)
 階段を降りながら、圭一郎は思う。
(四十五枚の謎……じゃなくて)
 なぜ妖魔をかばうのか。時たま彼から感じられる奇妙な気配は何なのか。
「!」
 階段を降り切った時、圭一郎ははっと顔を上げた。
 妖魔の気配。それも、すぐ近い。
(しまった、こんな時に)
 圭一郎一人では、妖魔を倒すことはできない。
 征二郎を先に帰すべきではなかったと思いながら、急いで外に出たとたん、目の前に茶色くてふわふわの物体があった。
 玄関の横にちょこんと座っている、巨大な野兎。むろん、ふつうの生物ではない。その証拠に、圭一郎にははっきりと妖魔の気配が感じられた。
 野兎はまるで誰かが出てくるのを待っているかのように、玄関をじっと見つめている。
「……」
 圭一郎は思わず声を失う。
 見上げた目が、野兎のつぶらな瞳と合った。
 すぐそばを、一年生らしき数人連れが通って行く。野兎に気づいた様子はない。その様子に、圭一郎は我に返った。
(あの子どもと同じだ!)
 とっさに身構えると、野兎はびくっと後ずさった。
 圭一郎は一歩進み出る。
 野兎は圭一郎の動きに合わせて後退する。
 一歩、また一歩。
 おびえるあまりに逃げることもできなくなってしまったのか、野兎は耳をぴったりと後ろに伏せ、じりじりと下がって行く。
 七メートルほど、圭一郎と野兎はそうやってずるずると移動していた。
(征二郎さえいたら)
 圭一郎は歯がゆく思う。宝珠の剣を抜けない自分には、この野兎を退治することはできない。
(あれは……!)
 正門のあたりに、征二郎の姿が見えた。なぜか慈愛女子の生徒と話している。
「征二郎ーっ!」
 圭一郎は叫ぶ。野兎がその声にぎょっとして、くるりと向きを変えて走り出した。
「ちょ、ちょっと待ってくれよぉー!」
 走りながら野兎が叫んだ。
(やっぱりしゃべる妖魔か!)
 圭一郎は後を追う。
 野兎はまっすぐ正門に向かっている。
(よし、挟みうちにできる)
 圭一郎は声を張り上げた。
「征二郎、妖魔だ!」
 その声にはじかれたように、征二郎が動く。野兎の進路に立ちふさがり、手にした傘を投げつけた。
 圭一郎は宝珠を握った手を掲げる。出現した剣を、野兎の向こうの征二郎に放り投げた。野兎の陰に隠れて見えないが、征二郎が剣を受け取り、すらりと抜いた音がする。
 圭一郎が野兎の背後からゆっくりと側面に回り込もうとした時、まっすぐこちらに走ってくる人影が目に入った。
(やっぱり来たか)
 滝護宏だ。
 護宏は圭一郎には目もくれず、野兎の横を通り過ぎて正面に回る。そして一瞬のためらいもなく、剣をまさに振り降ろそうとしている征二郎の前に割って入った。
(あぶない!)
 宝珠の剣は妖魔しか斬らない。わかってはいたが、刃の正面に飛び出した護宏の姿に、一瞬肝が冷える。
 が。
 次の瞬間、剣が消えた。

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