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第六話 沙耶

4 敵か味方か

「小さい妖魔なら消せる。この間のオブジェ騒動の時のようにな」
 珠をもとの袋におさめながら、護宏が言う。
「オブジェ騒動?」
 圭一郎は記憶をさぐるが、騒動の時に護宏と会った覚えがなかった。
「征二郎、あの時滝に会った?」
「んー。あ、そうだ」
 征二郎はしばらく考えてやっと思い出したようだった。
「弓道場で会ったよな。オブジェの調査してた時」
「弓道場? あそこにオブジェはなかったんじゃないのか?」
 学校のそこかしこにオブジェが出現していた。オブジェがほとんど、またはまったく出現しなかった場所は、逆に印象に残っている。
 弓道場と二年A組。よく考えてみれば、どちらも護宏が出入りしている場だ。
「なかった?」
 護宏が聞き返す。
「ちょうど消している最中に来ただろう?」
「ええっ?」
 征二郎が驚いている。
(気づいてなかったんかい!)
 圭一郎は全身の力が抜ける気がした。
 妖魔の気配を感じ取れないとはいえ、退魔師が出現したオブジェを見落としていたとは。
 少し、恥ずかしい。
「えー、じゃあどこにあったんだ?」
「的だ」
「的?」
「五個あったのをこの珠で消して二個か三個に減らしたところに、おまえが来た。見てのとおりだと言ったら納得していたから、わかっていたのかと思ったが」
「いやー、全然わからなかった」
「そうなのか」
「俺、気配とかわかんないからさ」
「自慢げに言うなーっ」
 圭一郎は思わず全力でつっこみを入れた。
「だってさー、違和感なかったんだもん、全然」
「そういう時は、ちゃんと聞けよな」
「はーい」
 征二郎は聞き流すつもりか、やけに素直な返事をした。
 細かいことを気にしない弟の性格は、今に始まったことではない。圭一郎はそれ以上の追求をあきらめた。
(それより、滝の珠がオブジェを消したってことが問題だ)
 妖魔を退治する珠。
 変化するかどうかを別にすれば、それは彼らの宝珠と近い性質のものだということになる。
 なぜ、そんなものを護宏が持っているのだろう。
「あ! もしかして」
 突然、隣で征二郎が声を上げ、圭一郎の思考が中断される。
「な、なんだよ」
「一昨日の妖魔の動きが鈍ったのって、その珠のせい?」
「鈍った? いつ?」
 そんなことは、何も聞いていない。
 圭一郎は驚いて聞き返す。
「触手に邪魔されて斬れなかったんだけど、急に動きが鈍って、それで倒せたんだ」
「早く言え、早く」
「倒せたんだからいーじゃん」
「よくない! まったくもう……」
 ため息をつきつつ、圭一郎は考え込む。
 あの時護宏は正門に向かって走ってきていた。今日とは違って妖魔には目もくれず、正門の陰にいた誰かのもとに駆け寄ったのを覚えている。 恐らく、傍らにいる少女があの時もいたのだろう。
 ふと思いついて、護宏に目を向けた。
「あの時、君はここまで走ってきてたよね?」
「そうだな」
「どうして?」
「沙耶が心配だった」
「沙耶?」
「あ、わたしです。慈愛女子二年の出水沙耶(いずみ さや)って言います」
 少女が軽く会釈した。
「護宏の幼なじみなんだってさ」
 征二郎が付け加える。どうして征二郎が沙耶というこの少女と話していたのか、圭一郎にはわからなかったが、今はそんなことを気にしている場合ではない 。
「その時、妖魔の声は聞いた?」
「いいや」
 護宏は短く、だがはっきりと否定する。
「妖魔の声など、聞いたことはないが」
「さっきの野兎の声は?」
「あれが妖魔だとは思っていない。一昨日の子どもも」
「君の珠を嫌わないから?」
「そうだ」
 護宏の返事を聞きながら、圭一郎は懸命に事態を整理しようとしていた。
 自分は気配で妖魔かどうかを判断する。護宏は珠を嫌うかどうかで判断する。問題は、その判断がずれているということだ。
 どちらが正しいのか。
 圭一郎は自分の判断が誤っているとは思っていない。だが、護宏がかばう存在が退治すべきものなのかどうか、結論を出せないのも事実だ。
 ただ、一つだけわかることがある。少なくとも今の護宏は、自分たちと対立しようとはしていない。
 彼が圭一郎にも聞こえなかった声を聞き、剣を宝珠に戻すことができたのはなぜなのか、依然として謎のままだ。だがそれは――もちろん彼が嘘をついていなければの話だが――護宏自身にもわからないことなのかも知れない。
(今は保留だな)
 彼を信用するわけにはいかない。だが、今敵視するだけの明らかな材料は持っていない。
「……わかった」
 圭一郎は一歩下がってみせる。
「でも、君がかばう奴らがもし人に危害を加えていたら、次は容赦しない。いいね?」
「……」
 護宏は答えず、そのまま背を向ける。
「沙耶、帰ろう」
「あ、うん」
 圭一郎は帰って行く二人を眺めやる。
(!)
 不意に、ざわりとした感覚が背を撫でた。
 護宏から感じられる、かすかな気配。妖魔とは違う、だが、誰からも感じたことのない気配。
 正体のわからない不安が、圭一郎の胸を締めつける。
(もしあいつが妖魔に味方するようになったら)
 剣を宝珠に戻す力を持つ同級生を、敵にまわすことになるのだとしたら。
 確証はない。だがそんな想像に、圭一郎は表情をこわばらせる。
「なあ、そんな思い詰めた顔してどうしたんだよ」
 征二郎が暢気に尋ねてきた。無言で首を振ってみせたが、征二郎はさらに言葉を続けた。
「妖魔を消せるって、あいつ退魔師なんじゃないの? 一緒に退治したらいいじゃん」
「そんな単純な問題じゃないっ!」
 圭一郎は思わず叫んだ。
 気配を感じることができない征二郎にはわからないだろう。だが、ただの退魔師があんな気配を放つわけがない。
「……」
 征二郎がたじろいだのがわかる。
(だめだ、今征二郎に言ってもわからない)
 不安の根拠が自分の感じる気配だけである以上、まだなにもはっきりしてはいない。征二郎にまで不安を伝染させるべきではないと、圭一郎は思う。
「……なんでもない。僕たちも帰ろう」
 やっとのことでそう言い、歩き出す。
 雨はいつの間にか止み、薄暗くなりかけたあたりにはもやが立ち込めている。見慣れたはずの通学路が不意に見知らぬ街角に見えて、圭一郎は強く拳を握りしめた。

(第六話 終)

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