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7 妖魔の多い休日

1 いつものパターン

「征二郎、こっちだ」
 日曜日の午後、学校からそう遠くない住宅地。圭一郎が宝珠を手に、人気の少ない狭い道を走っていた。すぐ後に征二郎も続く。
「どんな妖魔?」
 走りながら征二郎が声をかけてくる。
「わからない。けど、あんまり動いてないから見つけやすいと思う……たぶん」
「たぶんってなんだよ」
「二体いるような気がする」
「えーっ?」
 圭一郎は走りながら、注意深く前方を見渡す。複数の気配が感じられた。どちらもあまり動いてはいないようだが、互いに少し離れたところに出現している。一方は気配が強まったり、弱まったりしている。おそらく、姿をくらましつつ様子をうかがっているのだろう。
 気配の安定しているほうを、圭一郎は目指していた。たて続けに退治しなければならない可能性を考えると、確実に見つけられそうなものを優先したかったのである。 
「今週は妖魔、多いよな」
「今週も、だ」
 征二郎のぼやきを微妙に訂正しながらも、圭一郎は足を止めない。いつもの通学路を抜け、黎明館高校の正門の前を通過する。
「なんで連休なのに学校の横通るんだよ」
「しかたないだろ、こっちから気配がするんだから」
「遠いじゃん」
「もう少しだってば」
 圭一郎は坂道を駆け上がる。坂の上、突き当たりは川沿いのサイクリングロードだ。よく晴れた休日、散策する人々がいても不思議ではない。
(人が巻き込まれてなきゃいいけど)
 圭一郎は宝珠を握る手に力をこめた。妖魔の気配は近い。
 駆け上がると急に視界が開けた。舗装されて間もない道路に引かれた白線がまぶしい。圭一郎は迷わず道路を突っ切り、土手を駆け降りた。
 川べりに人の気配はない。少し離れた対岸で釣り糸を垂れている男がいたが、こちらの様子には気づいていないようだ。
 だが。
 小さな姿に、二人はすぐに気づいた。
 子どもが水と戯れている。平安時代の装束のような格好で、淡い色の髪をした子ども。見覚えのある姿だった。
(あれは……)
 数日前に弓道場の前で追い詰めたが逃げられた、妖魔の気配を放つ子ども。
 気配の一つは、この子どもだったのか。
「あーっ」
 征二郎の声に振り向いた子どもの目が、さっと警戒の色を帯びる。
 圭一郎は深々とため息をつく。
「なあ、俺さー」
 征二郎が妙にうきうきとした声になった。
「このあとどうなるかわかった気がするぜ」
(得意げに言うなよ)
 圭一郎はあきれたが、征二郎の言おうとしていることは理解できる。
 妖魔の気配を放ち、普通の人間の目には見えない存在。
 かれらを追い詰めれば、かばう者が現れる。いつも同じ、よく知った者が。
「奇遇だな」
 不意に背後からそんな声がした。
「俺にもわかる気がするんだが」
「……そりゃあ、もうすっかりパターンだもんね」
 言いながら声のほうへと顔を向ける。土手の上から見下ろす顔は、光の加減でよく見えないが、それでも誰なのかはわかる。
 声の主――護宏は、二人から目を離さずに、ゆっくりと土手を降りてきた。
「今日はずいぶん早かったね。まだ剣も出してなかったのに」
 圭一郎はわずかに皮肉をこめて言ってみる。
「なんとなく気になっただけだ」
(気になっただけねえ)
 それだけで子どもの場所を正確に捜し当てられるはずはない。圭一郎は冷ややかな視線で答えた。
 護宏は圭一郎の視線を無視して二人の前をゆったりと通り過ぎ、子どもに近寄る。うつむいた子どもに、静かに声をかけた。
「どうした?」
「ごめんなさい」
 子どもが泣きそうな声を出した。
「なぜ、俺に謝る?」
 護宏は膝をついて子どもの顔をのぞきこむ。心なしか、声の調子が穏やかだ。
「いつも助けてもらって……ほんとうは僕たちが」
「気にするな」
「こっちが気にするよ!」
 圭一郎は思わず割り込む。
「おまえ、どうして何度も出てくるんだよ」
「!」
 子どもがおびえた目を上げた。護宏が子どもをかばうように立ち、たしなめるように言う。
「あまり怖がらせるな」
「あのねえ」
 護宏の落ち着き払った物言いに、圭一郎はつい声を荒げた。
「こっちは妖魔倒すのが仕事なわけ。すぐ近くで妖魔の気配放ちまくってるやつがいたら、退治しに行くのは当然だろ?」
「妖魔?」
 子どもが護宏の陰に隠れながら聞き返す。
「……沙耶がよく遭うやつだ」
 護宏が小声で言った言葉を、圭一郎は聞き逃さなかった。
(あの子が妖魔に?)
 数日前に会ったばかりの、護宏の幼なじみの少女。
 聞いてないぞと思ったが、考えてみれば単なる同級生の護宏がそれを打ち明けるほど自分たちに気を許しているはずがない。 子どもが沙耶を知っていることも初耳だったが、護宏の周囲によく現れているのであれば、ありえない話ではなかった。
「あれ、妖魔って呼ばれてるんだ……」
 子どもはその説明ですぐに納得したらしい。
「あんなのと一緒にされるなんて……」
 はあ、と子どもらしからぬため息をつく。
(じゃあ、妖魔とは違うのか?)
 圭一郎はそう尋ねようとしたが、その後に続いた子どものつぶやきのほうに気を取られた。
「やっぱりまだ早かったんだ。封印が完全に解けないと……」
「封印?」
 圭一郎は素早く聞き返す。
「なんの封印だって?」
「……」
 子どもは圭一郎をにらむように見る。護宏の陰に隠れて安心しているのか、その顔からおびえの色はいくぶん薄らいでいるようだ。
「ぼくたちとあんなのとの区別もつかない奴に、教えたくなんかないや」
「おまえっ……」
 一瞬頭に血が昇りかけたが、かろうじて抑える。話し合いでは冷静さを失った方が負けなのだ。
「……君にはなんのことだかわかる?」
 平静を装い、圭一郎は自分と子どもの間に立ちはだかる護宏に尋ねた。
「……わからないな」
 護宏は静かに答える。表情からは、なにも読み取れない。
 子どもの金色の目がちらりと護宏のほうに動く。その表情はなぜか、ひどく悲しげに見えた。
(本当に知らないのか)
 なんの「封印」なのか、それが「完全に解け」たらどうなるのか、圭一郎には知るよしもない。だが、どこかひどく気にかかる。
「……そっか」
 わざと平気なふうに、圭一郎は言ってみせる。いずれはつきとめてみせるにしても、今はまだ無理なようだ。
「ま、いいや。今のところは。けどね」
 圭一郎は護宏に向かってゆっくりと言った。
「その子やこの間の野兎みたいなのが現れたら、どこにいても僕にはわかる。君がいるから今は引いてるけど……」
「人に危害を加えたら斬る、ということなんだろう?」
 護宏が圭一郎の言葉をさえぎるように問い返してくる。 彼にしては珍しい態度だと、圭一郎は思った。
「そうだね。そう言わなかったっけ?」
「逆に言えば、人に危害を加えないかぎり、おまえたちがこの子たちを妖魔として退治することはない。そう解釈していいか」
「……」
 その通りだ。
 しまった、と思う。
 数日前、護宏に警告のつもりで言った言葉。
 ――君がかばう奴らがもし人に危害を加えていたら、次は容赦しない。いいね?
 それは裏を返せば、危害を加えない限りは容赦すると、自分で宣言してしまったということだ。ある意味、妖魔かも知れない者たちに対して保証を与えてしまったことにもなる。
 そしてそれを、護宏は的確に突いてきた。言質を取られた、ということだ。
「ああ、もちろんだよ」
 圭一郎は低く言葉を返す。
「君だってそうだ。君の気配が普通じゃない以上、見過ごせなくなった時にはそれなりの対処をする」
「おい、圭一郎、何言ってんだよ?」
 ここまで口を挟めなかった征二郎が、驚きの声を上げる。
「護宏の気配は妖魔じゃないって言ってたじゃないか!」
「だからといって、見過ごせるものかわからないだろう?」
 圭一郎は冗談を言っているつもりはなかった。退魔師は妖魔を倒すのが仕事である。さまざまな予測を立てていると、最悪の場合も想定せざるを得ない。
 未だ謎の多い妖魔のことだ。護宏の気配も、未知の妖魔のものでないとなぜ言えようか。
 そして、護宏が人に仇なすものであったとしたら……。
「……気配、か」
 二人のやり取りを黙って聞いていた護宏が、明らかな苦笑を見せ、さらに言葉を継ごうとする。
 その時だった。
「だ、だれか助けてくれえ」
 川向こうから、そんな叫び声が聞こえた。

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