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7 妖魔の多い休日

3 商店街はパニック(下)

 近づくにつれて、けたたましいベルの音が聞こえてきた。ベルが鳴り響いている宝石店から数人が飛び出し、強盗だ、警察を呼んでくれと叫んでいる。
「強盗? 妖魔じゃないのかよ?」
「わからない。けど、妖魔がいることは確かだ」
「両方相手ってのは嫌だからな」
「当たり前だ、強盗は僕らの担当じゃないぞ」
 人の流れを苦労してかき分けながら、二人は宝石店の前に出た。店員らしき中年女性をつかまえて尋ねてみる。
「強盗って、何人くらいいるんですか?」
「人なんかいないわよ!」
 女性は興奮しているのか、早口でまくし立てた。
「変な動物が湧いて出たのよ。店の真ん中ににゅうっとね。あれが新しい手口らしいじゃないの。ああもう警察はまだなのかしら?」
「変な動物?」
 二人は顔を見合わせる。 「新しい手口」と言われても、心当たりがない。
「妖魔のこと?」
「かなあ……」
「入るか?」
 圭一郎がうなずき、二人は店のドアに近寄った。自動ドアが開き、いちだんとけたたましいベルの音が耳に響く。
「どこだっ……」
 飛び込んだ二人の目が、店内の一角にくぎづけになった。
 妙なものがいる。
 大型犬ほどの大きさの、灰色の丸い物体。手足や目はなく、長い管状のものが象の鼻のように一本伸びていた。形ははっきりしているが、一目で妖魔と見て取れる。その鼻から店内に陳列された宝石や貴金属をぐんぐんと吸い込んでいた。店員が止めようとすると、激しい勢いで鼻を振り回すため、手がつけられないようである。
「暴れる掃除機って感じだな」
 征二郎が率直な感想を口にする。
「うん。たぶん強奪型の……通称『すいとるぞう』って奴だ」
 圭一郎が答えた。一度データベースで見たことがある。タイプや習性まで細かく覚えているわけではないが、妙にのどかな通称だけが印象に残っていた。
「なんだよそれ、まんまじゃん」
 征二郎の声が明らかに笑いをこらえている。
「そうだけど、おい、笑うなよ」
 真剣に退治するのが悲しくなってくるほどに緊張感をそぐ妖魔だが、それでも店にひどく迷惑をかけていることにはかわりがない。どんな妖魔であれ、その場に居合わせた以上、放っておくことはできなかった。
 圭一郎は宝珠を握り直す。
 手の中で宝珠が剣に変わろうとした瞬間、妖魔の姿が変化した。宝石を吸い込んでいた鼻が引っ込み、完全な球体へと形を変えていく。
「なにが……」
 圭一郎の目の前で、変形を終えた妖魔が跳躍した。丸い身体をまりのように弾ませ、高く飛び上がる。
「うわっ」
 近くにいた店員が、はずみでしりもちをつく。二人が見上げるその上を、妖魔は軽々と飛び越えた。
「!」
 圭一郎は出現させたばかりの剣を握ったまま、妖魔を目で追った。妖魔は高く低くバウンドを繰り返しながら、店内を跳ね回る。壁の有無がわかるらしく、壁伝いに移動しているのが見て取れた。
(逃げようとしてるのか!)
 圭一郎はとっさにそう思った。
 妖魔はその姿を消すことができるが、消える条件はタイプや状況によって異なる。目の前の妖魔がどのような条件で消えるのかはわからなかったが、圭一郎にはなぜか、このまま消えることはないような気がしていた。はっきりと実体化しているせいかも知れないし、弾んで出口を探しているかのような行動ゆえにそう思ったのかも知れない。
 ともあれこの妖魔を、吸い込んだ貴金属や宝石もろとも逃がしてしまうわけにはいけない。
「征二郎!」
 圭一郎は剣を突き出す。征二郎のほうがドアに近い。
「外に出すなよ」
「わかった」
 征二郎が剣を受け取り、抜こうとした時。
 妖魔がひときわ大きく跳ねた。
「!」
 まだ態勢のととのっていない征二郎の頭上を軽々と越えて、妖魔はドアのすぐ前に着地した。感知して開いたドアの外に向かって、妖魔が跳ねる。
 征二郎が剣を抜きざま斬りつけるが、剣は間一髪で空を切った。
(いけない!)
 このまま商店街に出てしまえば、騒ぎがさらに大きくなってしまう。
 が、その時。
「出水さん?」
 征二郎の声。
 開いた自動ドアのすぐ外に、沙耶が立っていた。ちょうど、妖魔の進行方向にあたる。
 ちょうど目の前に落ちてくる妖魔に対して、沙耶は驚いている様子も、その場から逃げようとするそぶりも見せない。
「危ない……!」
 圭一郎が叫びかけた瞬間。
「えい!」
 掛け声とともに沙耶は鞄を振り上げ、落下に入った妖魔を床に思い切り叩きつけた。妖魔は店内にはじき返される形になる。
「……」
 圭一郎は唖然とした。
 まさか、退魔師でもない沙耶が、真正面から妖魔に立ち向かうとは。
 足元に跳ね返ってきた妖魔に向かって、征二郎がとっさに剣をふるう。宝珠の剣が今度こそ妖魔を斬り裂く。妖魔がすっと消え、吸い込まれていた指輪やら時計やらが、ばらばらと床に散らばった。
「やった!」
 様子を見守っていた店員たちが歓声を上げる。
「ありがとう、出水さん。すごかったね」
 宝珠を圭一郎に渡しながら、征二郎が言う。
「あのタイプは前にも見たことがあったんです。だから」
「『すいとるぞう』を?」
「いえ」
 沙耶は微笑を浮かべた。
「丸くなったものは『もってくぞう』って言うんですよ。宝石をどこかに運んで行くだけなんで、あんまり危なくないんです」
「そうなんだ」
 征二郎から宝珠を受け取った圭一郎は、複雑な心境だった。
(出水さん、僕より詳しいし)
 先刻は妖魔の気配を放つ子どもに助けられたし、今は退魔師でもない沙耶に助けられた。退魔師としてはどことなく情けない事態である。
 征二郎が心底感心したように言う。
「それにしても、出水さん、見かけによらず勇気あるなあ」
「そうですか?」
 沙耶はいくぶんはにかんだ表情になる。
「しょっちゅう妖魔見てるから、慣れてしまったのかも知れません」
「しょっちゅうって、そんなに?」
「週に二回ぐらいかな」
 ようやく到着した警察の現場検証の様子をぼんやり眺めていた圭一郎は、その言葉にはっとする。
(最近の僕たち並みじゃないか)
 退魔師は妖魔が出現した場所へ自分から出向くから、遭遇する可能性は必然的に高くなる。だが、普通に生活していて退魔師並みに遭遇するとしたら、とても偶然とは思えない。
(出水さんには何かあるのか?)
「大変だねー。あ、でも美鈴先輩もいるしな」
 征二郎のほうは、圭一郎の抱いた懸念など考えつきもしない様子だ。
「ええ、ほんとうに美鈴さんにはお世話になりっぱなしで……あ!」
 不意に沙耶があわてた声を出した。
「いけない、待ち合わせ時間過ぎてる。ごめんなさい!」
 沙耶はそのまま、人だかりが解消しはじめた商店街を走り去って行く。二人はその姿を店内から見送った。
「助かったなー」
「うん……」
「どした? 圭一郎、なんかあった?」
「あ、いや」
 圭一郎は口をつぐみ、じっと沙耶の去った方向を見つめる。
「リンリンさんに話を聞かないといけないかな、と思って」
「電話する?」
「ばか」
 携帯電話を取り出しかけた征二郎を、圭一郎は苦笑してとどめる。
「今かけてどうする。出水さんと待ち合わせてるんだろうが」
「あ、そうか」
「電話はあとでするよ。けど……」
 ふっと沈んだ声になって、圭一郎は続ける。
「なんだか怖いな。僕たちのすぐ近くで、僕たちの知らないことが起こってるみたいで」
 学校周辺に出没する、妖魔の気配を放つものと、それをかばう同級生。その幼なじみで、退魔師の先輩である凜と親しい少女は、妖魔に頻繁に遭遇する。
 妖魔の気配があれば追い、退治する。退魔師の仕事とは、単にそういうものだと思っていた。
 だが、その図式に収まり切っていないできごとが、身近なところであまりにも起こり過ぎる。
 退魔師の仕事を甘く見ていたわけではない。妖魔の数自体、確実に増えてきている。だが、それ以上のなにかがどこかで起こっているような気がしてならない。
「まったまた。いつもの考えすぎだろ」
 征二郎は圭一郎のつぶやきを軽く笑い飛ばす。いつもの彼らしい反応だ。だが征二郎の言葉は、圭一郎の気分を晴らすことはできなかった。
「……だと、いいんだけどね」
 圭一郎は、そう低くつぶやいた。

(第七話 終)

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