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8 ヒドゥン・プロジェクト

3 ナギ(上)

「なーんか、負けすぎてて面白くない。無得点ってなによ」
 弓道部部長、早瀬あゆみが、苛立った声を上げた。右隣には副部長の滝護宏が座り、無言で試合を眺めている。
「生徒会の招集だっていうから来たけど、練習休みにしなきゃよかった。ねえ、滝くん?」
 早瀬の同意を求めるような視線を感じながら、護宏は低くつぶやいた。
「……妙じゃないか?」
「え?」
 護宏の予想外の反応に、早瀬は首をかしげる。
「こんなに点が入らないことがあるんだろうか」
「だって、実際今起きてるじゃない」
「そうなんだが……」
 護宏はコートに目を向けたままだった。インターバルに気合を入れ直す選手たちの姿が見える。
「?」
 ふと護宏は、右に目を向ける。空席になっているにもかかわらず、護宏の目は何かを認めたかのような動きを見せていた。
「……そうか」
 ほとんど誰にも聞こえないほどに低く、護宏はつぶやく。
「滝くん、何か言った?」
 早瀬が問いかける。
「いや、何も」
 護宏は立ち上がった。
「ちょっと出てくる」
「まさか帰っちゃうの?」
 あわてたような早瀬の声に護宏は振り向き、わずかに苦笑した。
「ちゃんと、戻ってくるから」
 そしてそのままスタンドを上がって行く。早瀬は少しだけ首をかしげ、第二ピリオドが始まろうとしているコートに目を移した。

「あっ」
 一瞬感じた気配に、圭一郎は顔を上げた。
「どうした?」
「いや、今別の妖魔の気配が……」
 言いながら、気配がした方向に目をやる。前方の観客席の一角、黎明館高校の生徒たちが集まっているあたりだ。
「そっちの退治に行くか?」
「……いや、いい」
 圭一郎はいくぶん脱力した口調で答えた。
「そーいうリアクション、珍しいな」
「すぐ消えたし、たぶん放っておいてもとりあえず大丈夫だ。ほら」
 視線の方向に指をさして見せる。観客席から立ち上がった護宏の姿が見えた。
「えー、護宏来てたんだ。応援に来るキャラじゃないだろうに」
「弓道部ぐるみで呼び出されたんだろ。あいつの近くでした気配なんだから、どうせ昨日の子どもかなんかだよ」
 圭一郎はそれだけ言って、目下の問題に戻ろうとコートに目を移した。インターバルが終わり、選手たちがコートの中に入ろうとしている。だが、問題はなにも解決していない。
 どうすればいいのか、圭一郎には策が思い浮かばなかった。はっきりわかっていることは、彼らの宝珠ではなすすべがないということだけだ。
(ハーフタイムを過ぎれば、攻めるサイドが変わる)
 ふと、圭一郎は思った。
(そうしたら立場は逆転する。でも……)
 いやな予感がする。あの妖魔は、なぜあの場所にいるのか。
 ボールの接近で実体化する妖魔が、よりによって試合中のゴールのリング上に出現する。しかもそれによって、同じチームが二試合続けて有利になっているのだ。
 偶然であるはずがない。
 だが偶然でないのなら、いったい何が起こっているというのか。
 朝方の入江のメールを思い出す。妖魔が犯罪に利用されている可能性を示唆するメール。目の前のリングにはりついている小さな妖魔も、そういうものなのではないか。
 だがその状況を、彼らは止められない。
(どうすればいいんだよ!?)
 圭一郎は宝珠をぎりっと握りしめる。なすすべがない以上、これはただの白い珠に過ぎない。
 その時。
「おー、どうしたんだ?」
 征二郎の声に、圭一郎は顔を上げ、振り向く。
 真後ろに護宏が立っていた。
(こっちに来てたのか!)
 彼の奇妙な気配は時々しか感じられない。気づかなかった圭一郎はかなり驚きながらも、なんとか平静を装って護宏をにらむように見上げた。
「なんか用?」
「コートの中に妖魔がいるそうだが」
「……ああ、いるよ。リングにね」
 どちらのリングにかは、自分が見ている方向でわかるだろう――言外に匂わせるように、問題のリングに目をやって答えてみせる。
「放っておいていいのか?」
「なに? そんなことを言いに来たわけ?」
 解決策が見つからずに苛立っていた圭一郎は、思わずとがった口調で護宏につっかかる。
「コートの中だから、剣が届かないんだよ! それとも試合に刃物振り回して乱入しろとでも?」
 さすがに圭一郎の荒々しい言いようにたじろいだのか、一瞬の沈黙の後に護宏はなにかを言いかける。
「あ! そうだよ、圭一郎。これ行けるぜ!」
 唐突に征二郎が声を張り上げた。
「な、なんだよ」
「護宏のあの珠なら、コートに入らなくても妖魔が弱くなるだろ?」
「?」
 圭一郎は息を呑む。
 護宏の持つ宝珠に似た珠は、妖魔の力を弱めたり消したりする力を持っている。これまでにも、妖魔が教室に出現する時間を遅らせたり、出現した妖魔を弱らせたりしてきたらしい。
 だが、敵か味方かわからない者の手を借りるなど。しかも、昨日に引き続いて。
「護宏、あれ持ってる?」
「ああ。ここにある」
 征二郎の突然の思いつきに、護宏は特に驚いた様子も見せずに応じた。
「よーし、じゃ、こっちだ」
  圭一郎の迷いにはおかまいなく征二郎が立ち上がり、護宏を観客席の最前列、問題のリングに最も近づける位置に連れて行く。護宏は無言で征二郎の後に続いた。言葉をさしはさむ余地もなかった圭一郎は、仕方なくその後を追う。
 護宏が珠の入った守り袋をコートに向けてかざす。
「どうだ?」
 追いついた圭一郎は、征二郎にそう尋ねられたが、すぐに首を振った。
「だめ。まだあそこにいる」
 リングの上の妖魔に変化は感じられなかった。黎明館のシュートが弾かれてゴールにならない状況も変わっていない。
「もっと近づかないとだめか。うーん」
 征二郎はコートの中を見渡し、近づけそうな場所を探す。
「投げてみるとか」
「それは困る」
 護宏が即座に答える。
「じゃあ、上から吊り下げて……」
「目立つよそれは。試合中にはまずいだろ」
「じゃあどうするんだよ」
 圭一郎の指摘に口をとがらせた征二郎は、だが、ふと何か浮かんだかのように護宏に目を向けた。
「そうだ。要は見えなきゃいいんだよな?」
 妙ににこにこと笑いかける視線に、護宏がわずかに怪訝な表情を浮かべる。
「あいつに持って行ってもらおうぜ」
「あいつ?」
 圭一郎と護宏が、珍しく同時に同じ問いを発する。
「ほら、あいつだよ。昨日川にいた、あの子ども。普通の人には見えないんだろ?」
「!」
 考えてもみなかった。
 時たま征二郎は、圭一郎が驚くような冴えた発想をしてみせる。圭一郎が恐らくは無意識のうちに排除していた可能性を、彼は簡単に探り当ててしまえるからなのだろうか。
 護宏もまた、征二郎の提案に虚を突かれたのか、聞き返すまでにはやや間があった。
「……俺にあの子を呼べ、ということか」
「そーいうこと。頼むぜ」
「そう言われても……」
 護宏はさすがに当惑気味に答える。
「呼んだことがないんだが」
「なにごともチャレンジだって、ほら」
(チャレンジってなんだー!)
 圭一郎は心の中でつっこみを入れる。
「……」
 護宏はあきらめたように頭をひとつ振り、低くつぶやく。
「……ナギ」
 ややあって。
「名前っ!」
 まず声が聞こえて、圭一郎はぎょっとする。
 ほぼ同時に、三人の目の前にいつもの格好の子どもの姿が現れた。妖魔と変わらぬ気配もいつもと同じだが、表情が違う。
「思い出してくれたんですねっ?」
 かけ寄って護宏を見上げたその目が、喜びに輝いている。
「えっ……」
 護宏の表情に珍しくうろたえた色が見えたのを、圭一郎は見逃さなかった。
「ナギっていうんだ、そいつ」
「……そうらしい」
 征二郎に尋ねられた護宏の返答は、なぜか心もとなげだ。
「……」
 気になることがいくつもある。それを整理しながら、圭一郎はじっと様子を見守っていた。
「……頼みがあるんだが」
 護宏は気を取り直してひざをつき、子ども――ナギの顔をまっすぐに見て、守り袋を取り出す。
「これを、さっき教えてくれた妖魔のところに運んでくれないか?」
「あれを消すんですね?」
「そうだ。頼めるか」
「任せてください!」
 張り切った口調だ。まるで命令をずっと待っていたようだと、圭一郎は思う。
「消せなかったら、外の通路にでも追い出してくれ」
 そう言って護宏は、守り袋から文字の刻まれた珠を取り出し、ナギに握らせる。ナギは片手に珠を持ち、もう片方の手を手すりにかけた。直接飛び降りるつもりらしい。
「助かるぜ、よろしくな!」
 征二郎の声に、ナギはきっと振り向く。
「言っとくけど、おまえらのためにやるんじゃないからな!」
 叫びざま、ナギはひょいと手すりを飛び越える。
「なんだよー、子どもの癖にかわいくねえな」
「征二郎」
 護宏が静かに告げる。
「俺が物心ついた時から、あの子はあの姿のままだ」
「へ?」
「たぶん、俺たちよりも長く生きている」
「えーっ、そうなのか?」
「とにかく、おまえは下に行け」
 驚いている征二郎の前に、圭一郎は宝珠の剣を突き出した。
「一階の通路で待ってて、あいつが妖魔を追い出してきたら斬るんだ」
「ちぇっ、わかったよ」
 護宏の言葉が気になっていたようではあるが、征二郎は素直に剣を受け取り、観客席の階段を駆け上がる。観客席から一階の通路に出るためには、二階通路に出て階段を降りなければならない。それまで剣が形を保っていられるのか、ぎりぎりのところだったが、最悪の事態は常に考えておかねばなるまい。

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