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8 ヒドゥン・プロジェクト

4 宝珠がつなぐもの

 体育館の一階通路を征二郎は歩く。宝珠の剣を手にしているが、いつものように抜くことはせず、鞘のまま持つ。誰も妖魔に気づいていない状態で剣を抜けば、一騒動起きてしまうからだ。
 妖魔の気配は、征二郎にはわからない。コートに降りて行ったナギがどうなったのかも、通路からは見えなかった。
「――あ」
 剣が元の宝珠に戻る。時間切れだ。
「あいつ、うまくやったのかな」
 征二郎は試合が行われている体育館のドアに目を向ける。ちょうどドアが開き、中から出てきた運営スタッフらしき男の脇をすり抜けるように、小さい姿が現れた。
 通路に出てきたナギは、征二郎の姿を認め、まっすぐに歩いてくる。
「妖魔は?」
「消してきた」
 ナギはまっすぐに征二郎を見上げて答える。その目にはまだいくぶん、警戒の色が浮かんでいた。
「そっか、ありがとな」
 征二郎が笑いかけると、ナギは一瞬、金色の目を丸くした。そして、ふと征二郎の右手に目を落とす。
「それ、おまえたちが受け継いできたのか」
 ナギの視線は、征二郎の宝珠を持った手に注がれていた。
「知ってるのか?」
 征二郎は宝珠を少し持ち上げてみせる。
「これを継いできてるから、俺たちの苗字は『宝珠』なのさ。俺と圭一郎が、今の当主なんだ」
「そう……」
 ナギはなにか考えるそぶりを見せた。金色の目がいくぶん和やかな色合いを帯びたように見える。
 やがてナギは、征二郎に向けて拳を突き出す。
「これ、返しておいて」
 征二郎は受け取ったものに目を落とす。護宏の珠だった。
「俺が?」
「おまえなら預けてもいいと思った」
 ナギは謎めいた言葉をよこしたが、征二郎はあまり気にしなかった。
「なんだかよくわかんないけど、渡しとくよ」
 そう答えると、ナギは初めて笑みを見せた。そのまま一歩下がる。いつものようにこの場から消えようとしているのだと、征二郎は悟った。思わず、呼び止めるように声が出る。
「おい、結局おまえたちってなんなんだ?」
「……の封印が解けたら、わかるかもな」
「なんの封印って?」
 征二郎は聞き返したが、その時既に、ナギの姿はどこにもなかった。
(なんだろ。封印とかって昨日も言ってたけど)
 征二郎は首をかしげたが、すぐに歩き出す。
(ま、いいか。あとで覚えてたら、圭一郎に言っとこう)
 細かいことを考え込むのは好きではない。圭一郎ならばひたすら考えようとするのだろうが、この問題に関しては、考えてわかるものではないような気がした。

 階段を上がろうとすると、上の方から男の声がした。姿は見えないが、どうやら人のいない踊り場あたりで誰かが携帯電話を使っているらしい。
「不測の事態が起こったんでねえ、まあ、どのみち前半で撤収するつもりだったんだし、点差はついたから完全に失敗と決まったわけじゃないでしょうが」
(点差? 失敗?)
 気になる言葉だ。征二郎は思わず足を止め、聞こえてくる声にじっと注意を向ける。
「プロジェクトはまだ初期段階なんだから、こういうこともあるでしょうよ……まあそう怒らんでも。それに興味深いものも見つけましたしな。……あ、いや、こっちの話。じゃ」
(まさか、あの妖魔って……)
 あれこれ考えまずとも、上で話す男の言う「失敗」が、リングの上の妖魔の消滅を指していることはわかった。しかも、電話で報告しているということは、男を含めた複数の人物がなんらかの計画を練っていたということだ。
(妖魔を使って共学を勝たせるってことか! だから久隅も負けたんだ)
 征二郎は声のする方向をにらむように見上げた。
 たしかに妖魔を使えば、圭一郎のように感知する力を持つ者にしか気づかれることはない。気づかれたとしても、圭一郎がそうだったように、おいそれと騒ぎ立てることもできないのだから、成功の確率は高いだろう。
 だが、勝敗をそのように左右するなど、どうしても許せない気がする。
(誰だよ? そんなことする奴ってのは)
 征二郎は階段を上がる。通話は終わったようだが、男はまだ近くにいるだろう。妖魔が消えてしまったので、男を直接問いつめるわけにはいかないが、せめてすれ違いざまに顔だけでも見てやろうと思ったのだ。
 立ち聞きを気取られないようにゆっくりと上っていくと、上に人影を見つけた。短い髪に不精髭の中年男。ジャンパーのポケットに手を突っ込み、階段を降りてくる。
(こいつか!)
 征二郎は気づかぬそぶりで、だが、ちらりと見た顔を心に刻みつけて、男の横を通り過ぎようとした。
 が。
 声を発したのは、男の方だった。
「今日はやられましたな。我々の負けです」
「?」
 思わず征二郎の足が止まる。階段には今、自分と男のほかには誰もいない。男の言葉が自分に向かって発せられたのは明らかだ。
 男は続ける。
「でも計画はまだ始まったばかり。次は邪魔させませんよ。そうお兄さんにも伝えておいてください」
(俺たちを知ってる?)
 征二郎はぎょっとして男の顔を見る。どう考えても、初めて見る顔だった。なのに向こうはこちらを知っているらしい。
 なぜ、なんのために。
「おまえ誰だ?」
 征二郎は思わず叫ぶ。
 男は征二郎の声に動じることもなくにっと笑ってみせた。
「前田といいます。よろしく、宝珠征二郎君」
 そのまま階段を降りて行く。
 追えなかった。
 追っても無駄だという気がした。
「なんなんだよあいつ……」
 階段の中途で立ち止まったまま、征二郎はうめくようにつぶやく。
 なにかが自分たちの知らないところで起こっている。そしてそれが、自分たちを否応なく巻き込んでいく。いや、もう既に巻き込まれているのかも知れない。
 そんなざわざわとした予感の中、征二郎は立ちつくしていた。  

(第8話 終)

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