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9 見えない未来にうごめくなにか

2 妖魔を操る方法

 金剛市警察署、妖魔対策課、会議室。
「ふむう……」
 圭一郎の話を聞き終えた入江と吉住は、同時にじっと考え込んだ。
「妖魔を選んで出現させたっていうことか」
「よく……退治、できましたね」
 入江の言葉に、圭一郎はどきりとする。黎明館高校のゴールを塞いでいた妖魔を退治した方法については、うまくぼかしたつもりだった。これ以上突っ込まれるのはまずい。
「ええまあ。それよりこういうのって、警察としてはどうなんですか?」
 話をそらすように、そう問いかけてみる。
「……警察としては……まだ、その……事件になっていないし」
 入江がぼそぼそと答えると、吉住がそのあとを続けた。
「それに、圭一郎君にしかわからなかったんじゃあ、ね」
「そうなんです……」
 圭一郎はうつむく。
 予想していた通りだ。妖魔が出現しても、警察が扱える事件になっていない以上、警察は動きようがない。事件は確かに起こっていた。全国大会に出場する高校を左右するという、きわめて局地的なものではあったが、それは人為的に起こされ、ある程度功を奏したのだ。
「もし事件性が認められても、こういう場合はどうなんでしょう」
 吉住が入江の方を見ながら続ける。
「妖魔を使って事件を起こした人は、法律に触れてるのか」
「入江さん、『すいとるぞう』の場合はどうなんですか?」
 吉住の疑問にかぶせるように、圭一郎は尋ねてみる。宝石や貴金属を吸い取り、運んでいく妖魔が、人為的に操られている可能性がある。今朝そう教えてくれたのは入江だ。
 だが、極端に内気な入江は、二人の視線を同時に受けたことでさらに萎縮してしまったようだ。
「あ、あの、強盗にはならなくて、妖魔から受け取った時点で……たぶん、横領に……」
 ほとんど消え入りそうな声で答える。
「じゃあ、たとえば宝石を奪う時に誰かが怪我をしても、操っていた人を傷害罪には問えない、ということですか?」
「……」
 吉住の言葉に、入江は小さくうなずいた。
「えー、そんなのってあり? 事件起こしてるんだろ?」
 納得行かぬ表情で声を上げた征二郎に対して、吉住が気持ちはわかるといいたげな苦笑を浮かべて説明してくれた。
「そうだけど、法律は妖魔を想定していないからね。人が妖魔を操っていたらどうするかなんてことも、法律には書いていないんだ」
「さっさと変えりゃいいじゃん」
「そう簡単にいくか」
 圭一郎は弟をたしなめたが、内心ではまったくその通りだと思った。気遣いゆえに口にしにくいことを平気で言葉にできる征二郎は、ある意味うらやましい。
「法律が整備されたとしても、まだ問題はあるよ」
 吉住は続ける。
「その人が妖魔を操っていたかどうか立証しないといけないんだ。そうでないと逆に、無関係な人を罰してしまうかも知れないからね」
 そんな立証ができるものなのだろうか。
「要するに、今のところ妖魔は操り放題なわけですね」
 圭一郎はため息をついた。
 征二郎の前に現れた男が自ら名乗ったのは、自分を止めるものはないのだと知っているがゆえの自信の表われかも知れない。
 そして、そういう輩が巻き起こす後始末をするのは、退魔師である自分をたちなのだ。
 気が重くなる。
「まあ、そんなに悲観しないでさ。妖魔を操るっていったって、そんなに簡単なことじゃないだろうし」
 吉住はフォローのつもりか、鞄からごそごそとファイルを取り出した。
「妖魔を制御する理論を研究しているグループがあるけど、今はまだ理論としても確立してないってさ。ほら」
 ファイルには「一〇・二七 研究会」と書かれたラベルが貼られていた。吉住はその中から何枚かのコピーを出して机の上に置く。
 征二郎がさっそく手に取ったが、すぐに投げ出した。
「わかんね。圭一郎、日本語に訳して」
「日本語じゃないの? どれ」
 圭一郎は苦笑したが、目を通していくうちに顔が引きつっていくのがわかる。書かれている数式も専門用語も、圭一郎にはさっぱり理解できなかった。
「日本語なのにわからない……」
「そうだね。実は僕もよくわからない」
 こともなげに吉住が言ったので、圭一郎は驚く。
「そうなんですか?」
「専門じゃないからね。要するに特殊な力場を形成して妖魔の動きを止められないか実験してみたらしい。対妖魔バリアってことなのかな」
「……はあ」
 圭一郎はどう反応したものか迷う。研究会に出席している専門家にわからないことが、自分たちにわかるはずもなかった。
「それで、結果は?」
「うーん、この方法が有効な妖魔が何種類か特定できた、ってことかな」
「そんなもんなんですか……」
 かなり地味な気がした。研究とはこんなものなのだろうか。
「派手な結果がなくてつまらないかな?」
 吉住に問われ、圭一郎はどきりとした。
「い、いえそんなことは……」
「今はまだ、妖魔がなんなのかもわからない状態だからね。いろんな方向から手探りで取り組んでいるところなんだ」
 吉住の言うことにも一理ある。本当は、妖魔に対するもっと有効な方法があるのかも知れないが、それを探しているゆとりもない。自分たちだって、できることをやっているにすぎないのだ。
「だから、そう簡単に妖魔を操るなんてできないよ」
「そうでしょうか……」
 圭一郎は不安を拭い去ることができなかった。
 確かに吉住の言う通り、妖魔を制御する方法は理論的には確立されていないかも知れない。だが、誰も知らないところでそんな方法を獲得した者がいるかも知れないではないか。
「原理がわからなくても、できてしまう場合だってあるかも」
「そうか。君たちも、どうしてできるのかわからないのに妖魔を退治できるもんな」
「あの……そういえば」
 小さな声だったが、入江が口を開いた。
「昔、物の怪を使役した修験者の話を読んだことが……」
「役行者とか?」
 吉住が答えた名前を、圭一郎が聞いたのは初めてだった。人名なのかすらはっきりしない。
「えんのぎょうじゃ?」
 幸い、征二郎が尋ねてくれている。わからないことをわからないと言うことに、彼はためらいがない。
「奈良時代の修験道の人だよ。確か、山岳信仰の祖なんだけど、いろんな不思議な伝説があるんだ」
 修験道とか山岳信仰とかいう言葉も、圭一郎にとってはなじみがない。行者というからには、なにか修行する僧かなにかなのだろう。
「不思議な伝説?」
「僕もよく知らないけれど、鬼を従えたり、空を飛んだりしたとか」
 鬼を従える、という吉住の言葉で、圭一郎はふと思い出す。
「安倍晴明とかなら、古文で出てきたような……」
 古文で読んだ歴史物語の中に、天皇がだまされて出家させられてしまった話があった。その中で天皇の退位を察知し、式神という不思議な精霊のようなものを使役して様子をうかがった人物が安倍晴明である。
「平安時代の陰陽師だね。この人も伝説が多いんだよな」
「おんみょーじってなに?」
「征二郎君さあ、そう真っ正面から聞かれると……僕も説明できるほど知ってないんだよ」
 吉住は頭をかく。
「大ざっぱに言うと、陰陽師っていうのは暦とか天文学の役人なんだけど、当時の暦は運勢とか吉凶の判断に結びついてたから、占い師みたいな役割も持っていたんだ。だからまあ、伝説的な逸話がいろいろ残ってるんだろうね」
「ふーん」
 尋ねはするが、あまり突っ込んで聞かないのが征二郎である。圭一郎としてはもう少し知りたいこともあったのだが、しつこく尋ねるのもどうかと思い、黙っておくことにした。
「妖魔とは、まだ……その……」
 入江が小さく口を挟む。
「そうですね、ええと、物語なんかで妖怪とか物の怪とか式神とか、そういう形で伝わっているものが、今出現している妖魔だとは、まだ確認されてないんだ」
 入江が吉住をちらりと見たのに、圭一郎は気づく。かすかにうなずいているところから判断すると、入江が言いたかったことを吉住がうまく引き継いだらしい。
「そういうのって確認できるんですか?」
 圭一郎は尋ねてみる。
「難しいんじゃないかな。当時の記録がどのぐらい残っているのかによるけど、伝説みたいになっちゃったものは検証しようがないからね……あ、でも」
 吉住はなにかを思いついたようだった。
「君たちの家って、代々妖魔を退治してきたんだよね。その記録があれば、もしかすると……」
「ありそうじゃん、本家の書庫とかにさ」
「そうだね。優伯父さんに聞いてみようか」
 幸い、今日は休日で、前当主の優も家にいるはずだ。帰宅してから本家に行ってみれば、なにか手掛かりが得られるかも知れない。
 前田と名乗った男がまたどこかで妖魔を利用する可能性は高い。なんらかの形で、それを止めることができるようにするために、少しでも情報を集める必要があった。
「けどさあ、あいつなんで俺たちのこと知ってたのかなあ」
 征二郎の声に、圭一郎ははっとした。
 見知らぬ人物に顔と名前を知られていたことは、なんとも気味が悪い。しかも、兄弟で退魔師になっていることまで「前田」は知っていた。
「意外に身近にいるってことなのかな」
 心当たりはない。だが、妖魔を退治している場面を見られていた可能性はある。制服から黎明館の生徒であることはわかるので、調べることも可能だろう。だとすれば、「前田」は金剛市かその周辺で行動しているのかも知れない。
「データベース経由かも知れないね」
「どういうことですか?」
「データベースには個人情報は載せてないけど、地域や退治の方法なんかの情報はある程度わかるから、調べる手掛かりになっていたかも、ってこと」
 吉住の言葉に、圭一郎は不安をつのらせた。
「念のため、利用者について調べてみるよ」
「あの、気づいたことは報告して……ください」
 入江が口を開く。
「動けないかも知れませんが……こちらでも調べて……」
 かすかにつぶやくような声だが、入江は入江なりに心配してくれているようだ。
  「お願いします」 
 不安は多々あれど、協力してくれる人たちがいることは、圭一郎にとって心強く思われた。

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