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9 見えない未来にうごめくなにか

3 野心との邂逅

「あ!」
 警察署から外に出てすぐに、吉住が声を上げた。
「木島さーん」
「あら」
 吉住に呼ばれて足を止めたのは、黒いコートの女性である。振り返った顔はそこそこ整ってはいるが、化粧のきつさとアクセサリーの大きさの方が目を引く。年齢は三十代後半といったところだろうか。
「偶然ね。どうなさったの?」
「これから黎明館の図書館に行こうとしていたんです」
「図書館、休日は五時までよ」
「えっ」
 吉住は時計を見た。
「四時半……出直すことにします」
「その方がいいわね」
 吉住と会話をかわす彼女の顔に見覚えがあるような気がして、圭一郎は首をかしげる。
「二人にも紹介しておくね。黎明館大学の経済学部の助教授、木島麻里絵さん。研究会のメンバーだよ。木島さん、この二人は宝珠圭一郎君と征二郎君……」
「ああ、あの宝珠兄弟、ね」
 木島が吉住の傍らに立つ圭一郎と征二郎の方に顔を向けた時、ふと圭一郎と目が合う。その視線に、圭一郎は一瞬気になるものを感じた。
(あの、ってなんだ?)
「僕たちを知ってるんですか」
 口をついて出た問いに、木島は平然と答えた。
「流くんの従弟でしょ、彼、私のゼミの学生だから」
「……」
(それだけ?)
 恐らくそれは事実なのだろう。だが木島の口調には、それ以外のなにかが含まれているような気がした。
 それも、あまり好意的でないなにかが。
 うまく言葉にできないもどかしさを感じていた圭一郎に、木島は意外な質問を投げかけてきた。
「あなたたち、高校は付属なんでしょ? 大学も黎明館に進むの?」
「それは……」
「進まないよ」
 答えかけた圭一郎を遮って、征二郎があっさりと言い放った。
「うちの大学、工学部ないし。圭一郎は国立狙ってるんだよな?」
「う、うん……今のところは」
「そう、それは残念ね」
 なにか、さらに雰囲気が悪くなったような気がする。
 征二郎は気づいてはいないのだろうが、木島は明らかになにかを期待して、今の問いを投げかけてきたのだ。そして、期待どおりにならなかった。
 つまり、彼女は二人に黎明館大学に進んでほしかったのだ。
 だが、そのことが彼女にとってどういう意味を持つのだろう。
「あ、あの、木島さんって、大学でどんなことを教えていらっしゃるんですか?」
 圭一郎がそう尋ねてみたのは、木島についての情報を仕入れたかったのと同時に、彼がぴりぴりと感じ続けているいやな雰囲気を和らげたかったからである。べつに木島の機嫌を取るつもりはないが、険悪な空気にはどうも耐えられない。
「聞いてどうするの?」
「僕、まだ大学とかあんまり調べてないんで……大学の先生にお話を聞けるなら、ぜひお聞きしたいと思ったんです」
 そう言って、にっこりと微笑んでみせる。相手が悪く思わないような言葉の後に笑顔を添えると、相手に対する影響は明らかに違う。それを圭一郎は経験的に知っていた。
 相手が年上の女性ならば、特に。
「……」
 空気が和らぐ。効き目があったようだ。
「これ、あなたにあげるわ」
 木島は本を一冊取り出して、圭一郎に手渡す。表紙には「マリエ先生が教える 人生で勝つための十ケ条」とあった。木島の著書らしい。
(大学って、こういうことをやるところなのか?)
 圭一郎は素朴な疑問を抱く。
「こういうの、興味ある?」
「えっと、勝ちたいとは思いますけど」
 題名から内容が推測できなかったので、とりあえず当たり障りのない答えをしてみた。
「じゃあ、読んでみて興味があったら連絡してね。私が続きを教えてあげる」
「?」
 思わずたじろぐ圭一郎に、木島は念を押す。
「損はさせないわよ」
「はあ……」
 圭一郎は当惑を隠せない。
 場の雰囲気を和らげようとしたのは、誤った選択だったかも知れないと思った。たかだか十ヶ条にまとめられるような簡単な勝者の法則などないと思うし、そんなものを掲げる本はどうもうさんくさい。損得以前に、この女性とは話がかみ合わない気がする。
「ありがとうございます」
 とりあえず礼だけは言っておき、圭一郎は吉住の方を向いた。
「吉住さん、今日はお世話になりました。またよろしくお願いします」
「あ、待って。駅までだったら僕も一緒に行くよ」
 図書館はまたの機会にするしね、と、吉住は苦笑する。
「じゃあ、私は大学に行くから」
 木島はそのまま黎明館大学の方向へ歩み去って行った。それを見送り、三人は駅の方へと歩き出す。
「木島さんって、研究会ではどんなことやってるんですか?」
 妖魔の研究会と『人生で勝つための十ヶ条』では、違和感がありすぎる。圭一郎はそう思って尋ねてみた。
 答えはすぐに返ってきた。
「妖魔退治のビジネスモデルの構築、ってことみたいだよ。彼女、ベンチャー企業まわりのやり手で、テレビにもよく出てるんだ」
「ビジネス……?」
「これだけ妖魔が増えてるから、被害に遭わないようにするためにお金を払おうって人も結構いるんだ。たとえば『すいとるぞう』に襲われやすい宝石店とかね。そういうところと契約して、退魔師を派遣する会社なんかを考えてるらしい」
「それって、俺らにもお金が入るわけ?」
 征二郎がすかさず尋ねる。
「そうだね。退魔師もちゃんと報酬の発生する仕事として契約することになるんじゃないかな」
「いいなあ、それ」
 征二郎がはずんだ声を上げる。
  妖魔退治は今のところ、退魔師によるボランティアに近い。実際には退魔師として届け出ると税金が優遇されるが、高校生の彼らにはまだぴんと来ない。圭一郎も、報酬の発生する職業として成り立てばいいのにと思うこともある。
「ただ、いつ現れるかわからない妖魔をずっと待たなければならなかったり、逆に妖魔を退治するために全国を飛び回らなければならなかったりするかも知れないけれど」
「それは面倒かも」
「まあ、頻繁に現れるのなら、退魔師にとっても悪い話じゃないんだろうね」
 吉住の言葉に、圭一郎はふと引っかかるものを覚える。
「でもそれって……」
 政経の授業で聞きかじったことだが、人を雇って働かせる費用というものはばかにならない。いつ現れるかわからない妖魔を退治するために退魔師を雇い続けるには、かなりのコストがかかるだろう。 それはそのまま契約料に上乗せされるのだろうが、たとえば「すいとるぞう」に悩む宝石店が、それだけの金を支払う気になるのだろうか。
 損害保険の中には、地震や盗難と同じように妖魔についてのオプションもつけられるものがある。保険料にいくらか上乗せすることで、妖魔による損害があった時に保険金を受け取れるのだ。今の妖魔の出現頻度では、こちらの方が現実的な選択に思える。
「今よりもっと、相当頻繁に妖魔が出てこないと、商売として成り立たないんじゃありませんか?」
「そうだね。だからかな、まだ構想段階なんだってさ」
「構想……」
 妖魔が増えなければ成り立たない事業の構想。
 増加傾向にある妖魔。
 どことなくいやな気がする。だが圭一郎は、それをうまく言葉にすることができなかった。

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