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9 見えない未来にうごめくなにか

4 ぼやける視界

「あ、じゃあ僕はこれで。例の件、わかったことがあったら教えてくれよ」
 そう言って改札への階段を昇っていく吉住を、二人は見送った。
「ふう、今日はなんだかいろいろあったな」
 圭一郎はふっと息をつき、僕たちも帰ろうか、と言いかける。
 その時だった。
「!」
 妖魔の気配。
「征二郎、妖魔だ!」
 宝珠を取り出しながら、圭一郎は征二郎に注意をうながす。
 妖魔の気配が地中を動いているのがわかる。時折、地上に飛び出し、またすぐに地中に戻るようだ。
 飛び出す気配を感じた瞬間、駅前広場の方から人々の叫び声が聞こえた。妖魔が実体を現したのだろう。
「あっちか?」
「うん、先に行って!」
 征二郎が叫び声の方に走って行く。圭一郎は気配をたどりつつ後を追った。
 気配は止まることなくすばやく動いている。以前退治したことのある「かまいたちタイプ」に似ていると、圭一郎は思った。かまいたちタイプは傷害型、退治が遅れれば怪我人が増えることになる。
 が、あの時とは動きが少し異なる気もした。
(パターンがあるような……)
 気のせいかも知れないが、叫び声の上がる方向が少しずつずれていく。
(駅前広場、噴水のあたり、駐輪場、次は……?)
 不意に。
 圭一郎のすぐ真後ろで、地上に飛び出した妖魔の気配がした。
(後ろ!?)
 ほぼ同時に、後頭部に鈍い衝撃が走り、圭一郎は思わずひざをつく。
 目の前が不意にぼやけた。
「圭一郎っ?」
 十メートルほど先を走っていた征二郎の声がする。
「大丈夫……」
 圭一郎は後頭部を押さえ、ひざをついたまま周囲を見渡す。風景がなにもかもひどくぼやけて見えた。打撲自体は大したことはなく、痛みもさほどない。だが、それならばなぜ、こんなに視界がかすんでいるのか。
 ふと気づいて、後頭部に当てていた手を顔にやる。
「ああっ!」
「どうした?」
 征二郎の声。
「眼鏡がない」
「うおっ、そういえば!」
「……いつも見てるんだから気づけよ」
 反射的に突っ込みを入れながら、圭一郎は地面に目を走らせる。眼鏡らしきものは見当たらない。
「眼鏡、落ちてない?」
「ないけど?」
「やっぱり」
 そんなつぶやきが、圭一郎の口からもれる。
「なにが?」
「妖魔に取られたんだ。気配と同時に頭を殴られて……たぶん、強奪型だろう」
「今は?」
 圭一郎は気配のする方向に目を向ける。叫び声が遠くで聞こえているが、どうやら駅前のバスターミナルのあたりということしかわからない。
「バスターミナルのあたりっぽい。見える?」
「あ、一人しゃがんでて……なにか手探りで探してるみたいだ。眼鏡かな」
「たぶんね」
 会話をかわしている間にも、気配は移動していく。恐らく地上に出て近くの人間の眼鏡を奪い、再び地下に戻るのだろう。
 そんな妖魔の被害者に自分がなってしまったとは。
 退魔師である、それも妖魔の気配を感じ取る力では誰にも引けを取らぬはずの自分が。
 はあ、とため息をつきかけた時。
「へこむなよな?」
 征二郎が不意に言った。
「え?」
「こーいう時、いろいろ後悔したり落ち込んだりするだろ、おまえ。でも今って一番後ろ向いちゃいけない時じゃないか? 妖魔がすぐ近くで暴れまわってるんだからさ」
 どきりとした。
 確かに今は、妖魔を退治することが大事だ。自分が被害に遭ったことを悔やんでいる場合ではない。
「……わかった。征二郎、まわりに注意してて!」
 圭一郎はひざをついたまま、気配のパターンを読み取ることに集中する。
 妖魔は一定間隔で地上に飛び出している。最初は直線状に進んでいるのかと思ったが、途中から曲がり、いくぶん歪んだ円を描いているようだ。
(この形は……)
 妖魔の軌跡が描く形から出現地点を予測し、圭一郎は立ち上がった。数メートル移動し、とんとんと足で地面を叩く。
「ここに出るのか?」
「急いで近くの人から眼鏡借りてきて」
 征二郎の問いには答えず、指示を出す。征二郎の表情はよく見えなかったが、恐らくかなり怪訝な表情だったに違いない。
「ほらよ」
 ややあって目の前に突き出されたサングラスを、圭一郎は躊躇なくかけた。さらに目の前が見えにくくなるが、今は視覚を頼りにする時ではない。
「僕の後ろに立って。背中合わせにだよ」
「こう?」
「もっと近づいて……うん、そのくらい」
 征二郎が背後に立つ。圭一郎は近づいてくる気配を感じつつ、宝珠を剣に変えた。
「奴は僕の眼鏡を狙ってくるはずだ。地面から出てるのは一瞬だから、合図したらすぐ切って」
「わかった」
 征二郎が剣を抜く音がする。一方、妖魔は出現と移動を繰り返しながら、彼らに迫っていた。
 十メートルほど向こうで叫び声が聞こえ、圭一郎は全身を緊張させた。
(次はここだ!)
 出現の間隔は三十秒ほど。妖魔は地中を激しく動き回っているが、出現地点がわかっていれば、落ち着いて気配を追うことができた。
(三……二……一……)
 目を閉じ、出現までの秒数を数える。地中を迷走する妖魔の気配が近づいてきたのがわかった。
「今だ!」
 圭一郎が叫ぶと同時に、征二郎が剣を振り下ろす。その刃は、ちょうど地面から飛び出してきた、猿のような黒い影を真っ二つに斬り裂いた。
「っしゃあ!」
 征二郎の声に重なるように、なにか硬いものが地面にばらばらと落ちた音がした。奪われた眼鏡である。
「よかった、これで見える」
 征二郎にサングラスを返してもらうように頼み、圭一郎はアスファルトの上に散らばった眼鏡に手を伸ばした。

「それで、眼鏡を探すのに二十分かかったって?」
 電話の向こうの凜の声が、笑いを含んでいる。圭一郎は決まりの悪い表情になった。表情は凜には見えていないが、声の調子でばれているだろう。
「だって、同じような眼鏡ばっかりだし、眼鏡がないと見えないし、仕方なかったんですよ。もっともそこいら中みんな同じような人たちでしたけどね」
「みんなで『眼鏡眼鏡』って捜し回ってたわけ? なんのコントよ」
 こらえ切れずに笑い出す声が聞こえる。
 連休を利用して美鈴家の本家に行っていた凜と連絡が取れたのは、結局、その晩のことだった。どこから聞いたのか、妖魔に襲われて眼鏡を奪われた圭一郎の話は既に伝わっていた。
「それで、私になんの用だったの?」
「あ、ええと……」
 なにから話したものか、圭一郎は迷う。昨夜、凜と連絡を取ろうとした時とは、事態がだいぶ変わってきている。
 しばらく考えてから、圭一郎はそもそも聞きたかったことを尋ねることにした。
 凜が護宏を妖魔だという、その根拠はなにか。
「出水沙耶さんと話しました」
「沙耶から聞いたわ。妖魔、退治してくれてありがとね」
「いえ、僕たちも退魔師ですから。それより……」
「あいつの……滝護宏のことね」
「ええ」
 圭一郎は低く答える。
「先輩が彼を知ってるとは思いませんでした」
「あんたは今まで何もしてこなかったの?」
「えっ」
 急に詰問され、圭一郎は戸惑う。
 凜はたたみかけるように問いを重ねた。
「あいつの気配、わかってたんでしょ?」
「それはそうですが……」
「だったらどうしてさっさと退治しないのよ!」
「待ってください。退治ってそんな……」
 滝護宏は妖魔なのか。
 圭一郎にはその結論は、まだ出せない。その根拠を凜が持っているのであれば確認したいと思っているだけだ。
「たしかにあいつの気配は普通じゃないですけど、妖魔とは違うじゃないですか」
「違うって、なによ?」
「えっ」
 聞き返されて、圭一郎は言葉に詰まる。
「違うでしょ、だって……」
 護宏から感じられる気配と妖魔の気配が、どう違っているのか。
 当たり前のように認識していることも、言葉で説明しようとすると、意外に難しかった。
「これ妖魔だ! みたいなぴりぴりした感覚じゃなくて、なんていうか……なにか変だっていうむず痒い違和感かな……」
「そう? 私には妖魔の気配と変わらないように思えるけど」
「いや、違いますって」
 圭一郎には違いがはっきりわかる。その違いが何を意味するのかはわからないが、大ざっぱに「妖魔」とひとくくりにしてしまうわけにはいかない気がしていた。
「どういうこと? あれは妖魔の気配じゃないってことなの?」
「それは……わかりません。けど、妖魔だという確証もなくて。先輩は何か知ってるんじゃないかと思ったんですが」
「そういうわけじゃ……」
 電話の向こうで凜が考え込んでいる。圭一郎は尋ねてみた。
「もしかして、気配であいつが妖魔だと?」
「そうよ。他に何があるっていうのよ」
「いえ……」
 確たる証拠があったわけではない。それは凜も同じことだった。
 凜もまた、彼の気配に危機感を募らせていただけだったのだ。
 圭一郎はいくぶん拍子抜けした。
 が。
(なんでだろう)
 どこかで彼は思う。
(滝が妖魔だという証拠がなくて、僕、ほっとしてるのかな)
 考えてみれば、当然かも知れない。
 同級生が妖魔だなどという事態も、その同級生を退治しなければならないという状況も、通常では到底考えられないことである。常識的に考えれば、そんな場面になるはずがないし、なってほしくもない。
 むろん、宝珠の剣をもとの珠に戻したり、妖魔の気配を放つ存在に懐かれていたりする彼が、他の同級生たちのような普通の人間だとは思えない。だが彼自身、自分の普通でない性質についてあまり知らないようだ。
 話して理解できれば、妙な気配を放っているからといってむやみに敵対せずに済むかも知れない。そう、圭一郎は思う。
「圭一郎、あんたはたぶん、私より妖魔を感知する力は強いはず」
 ややあって、凜がそう言った。
「だから違うっていうあんたの判断は信じる。けど、それはあいつが無害な存在だという確証にはならないわ」
「それは、まあ」
「私が心配してるのは、沙耶のことなの」
「出水さんの?」
 圭一郎は聞き返す。
 二人はただの幼なじみのはずだ。少なくとも出水沙耶はそのように言っていたらしい。
「沙耶はあいつのことをいつも思ってる。そりゃあ……普通に好きなら私が邪魔することじゃないんだけど、でも、あいつがいつか沙耶に何かするつもりでたぶらかしてるのだとしたら……」
「……」
 凜に見えている護宏の姿と、圭一郎に見えているそれとは、どこか異なっている気がする。少なくとも圭一郎の知っている滝護宏は、だれかをたぶらかすというような真似をする人物ではない。だが、その認識がどこまで妥当なのか、圭一郎には判断がつかなかった。
「だからお願い。沙耶を守って。ただでさえあの子、妖魔の事件に巻き込まれやすいんだから」
「ええ、わかりました」
 とりあえずそう答える。
 むろん、妖魔に襲われる人を守るのは、退魔師として当然の責務だ。だが、出水沙耶を守ることと滝護宏を警戒することは、矛盾するのか両立しうるのか。
 圭一郎にはまだその判断がつかなかった。

(第9話 終)

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