[index][prev][next]

10 過剰と欠落

2 先の世の記憶

「ここがお二人のお宅ですか?」
「宝珠」と書かれた表札を見上げて、沙耶が尋ねた。本家に比べればささやかだが、それなりに古い門構えの奥に、木造の日本家屋が見える。圭一郎たちにとっては見慣れた光景だが、沙耶は興味深そうな目で門やら庭やらを見回している。護宏はと見ると、こちらは特に変わった様子も見せず、いつものように沙耶の傍らにたたずんでいた。
「そ、まあ入ってくれよな」
 征二郎は護宏と沙耶を案内してさっさと入っていく。
(うーん、よかったのかな)
 圭一郎はその後ろ姿を見ながら首をかしげる。
 話を聞くにあたって、どこで話せばよいか、圭一郎は随分思い悩んだ。下校途中に飲食店に寄るのは校則で禁止されている。かといって公園や川べりでは、そろそろ寒い季節だ。
 うちでいいじゃん。みんな黎明館から徒歩圏内なんだから、近いだろ?
 そう征二郎が言ったことで場所は決定したが、圭一郎は少し抵抗を覚えている。沙耶はともかく、不可解な気配を放つ護宏を自宅に招いてよいものか。
 以前ほど不信感をあらわにしないように気をつけているとはいえ、圭一郎は護宏を信用しているわけではない。凜のように妖魔と決めてかかるには確証が持てないから保留している、というだけのことだ。
(まあ、話すだけだから大丈夫だとは思うけど)
 護宏の後ろ姿をいくぶんにらむように見て、圭一郎は思った。

  ◆

「じゃあ、聞かせてもらえるかな」
 二人の部屋に護宏と沙耶を通すなり、圭一郎は口を開いた。
「なにから話せばいい」
「君の記憶……どう『過剰』なのか、かな」
 圭一郎は即答した。護宏は少し考える。
「あたりまえのように知っていると思っていたことが、よく考えてみれば、俺が生きてきた十七年間には知り得ないものだった、ということがある」
「たとえば?」
「那神(なかみ)寺のお経とか、巳法川の流れとかだよね」
「お経?」
 口を挟んだ沙耶に、圭一郎が尋ねる。
「巳法川の上流に那神寺っていう寺があるでしょう?」
「去年ぐらいまで修理してたやつ?」
 問い返したのは征二郎だった。
 那神寺は巳法川をさかのぼった山の麓にある。平安時代に創建されたという古刹でハイキングコースの途中にあるために観光地にもなっている。寺などというものにはてんで疎そうな征二郎が覚えていたのは、そのためであろう。
「去年、修理の時に柱から経文が発見されて話題になった、ってところだよね」
 圭一郎がつけ加えてみせると、沙耶はうなずく。
「中一の時に護宏が言ってたんです。柱の中にお経があるって」
「えっ……」
 沙耶の言葉が正確ならば、護宏は経文が発見されるより三年も前にその存在を告げていたことになる。
 圭一郎は思わず護宏の顔を見た。
「……美術の時間に校外写生があって、那神寺に行った時にそう思った」
 護宏の説明はいかにも渋々といった風だった。彼自身は、記憶の過剰をあまり特別な話題にしたくはないらしい。むしろ沙耶の方が積極的に説明している。
「びっくりしましたよ。三年後に、護宏が言っていたのと同じ場所からお経が出てきたんですから」
「マジ? それってすごいじゃん」
「偶然じゃないの?」
 珍しがる征二郎とは対照的に、圭一郎は冷静にそう言った。たまたま言ってみたことが当たっていた可能性もあるし、経が発見されてから「そういえばあの時」といった具合にさかのぼって記憶を作ってしまうこともありうる。
「俺もそう思う」
 驚いたことに、圭一郎に同意したのは護宏だった。
「えー、でもそうしたら普曜経の説明がつかないよ?」
「それはそうだが……」
「なに? 普曜経って」
「護宏はそのお経の名前を当ててたんです。古い仏典で、ふつう建物の柱に入れるようなものじゃないんですって。護宏に聞いたのが初めてだったから、メモしておいたんです」
「それが証拠ってことか」
 圭一郎はつぶやくように言う。確かに偶然とは考えにくいかも知れない。だが、そのようなことがどうやって起こり得るのか、彼にはわからなかった。
「けど、なんでそんなことがわかったのさ」
「……それは」
 護宏がいかにも気が進まないといった風に答える。
「寺が建てられた時のことを知っている気がした。創建に携わった僧の顔や、建築中に起こった事故や。経文だけでなく、改修中に明らかになったことのいくつかを、俺は知っていたような気がする。だが、それがなぜかはわからない。テレビかなにかで見た別の寺の話だと思っていたんだが、普曜経のように、それでは説明できない部分もある」
「うーん」
 思わず声に出して考え込んでしまった。圭一郎の困惑は、それほどに大きい。
 もっともだとは思う。自分の記憶というものは、そんなに信頼できるものではない。だが、肝心の記憶を持っている本人がもっとも懐疑的ということにどう反応してよいかわからなかった。
「あ、いわゆるアレ? ちょーのーりょくとかそういう奴」
「そういうのはちょっと」
 征二郎の言葉に、圭一郎と護宏が同時に答えた。
「なにハモってんだよ」
 征二郎が呆れた声を出す。
「たしかにそういう説明だと怪しいけどさ、俺にしてみたら遠くの妖魔の気配とかわかるのだって超能力っぽく思えるぜ」
 退魔師として受け継いできた能力をそんな怪しげなものと一緒にしないでほしい。圭一郎はそう言いかけたが、人前で口論するのも体裁が悪いので踏みとどまった。一緒にされたくないが、どこがどう違うと説明できないのも分が悪い。
「わたしは、前世の記憶だと思うんです」
(ああ、出水さんまで……)
 圭一郎はため息をつく。普通では考えられない事態だからといって、超能力だの前世だのといったオカルト風な説明に安易に走ってよいものだろうか。
「護宏が覚えているのって、昔の日本の神社とか山とか、そういうものが多いみたいなんです。だからその時代にいたのかなって」
 沙耶の説は、根拠のない思いつきというわけではないらしい。それでもどこまで真に受けてよいのか、圭一郎には判断がつかなかった。
 征二郎はと見ると、大きくうなずいている。
「なーるほどお」
「征二郎、そこで納得しないように」
「おまえさあ、怪しい説をうかつに信じないのはいいけどさ、片っ端からはねつけてたんじゃ、わかるものもわかんないんじゃないか?」
「それはそうだけど」
 征二郎が珍しく説得力のあることを言う。認めざるを得なかったが、どうも釈然としない。
「どうして出水さんは調べたいのかな?」
 沙耶に尋ねてみると、すぐに返答が返ってきた。
「なんだか気になるんです。ずっと一緒だったのに、わたしの知らないことを護宏が知っているのが……」
「沙耶、いつも言っているが……」
 護宏が沙耶をさえぎる。
「そんなに一生懸命になることじゃないだろう。実際にあったことかどうかわからないんだから」
「だから確かめるんじゃない」
「わかったら何かある、ってことでもないだろう?」
「それでも……」
 沙耶は少しむきになっているようだった。まっすぐに護宏を見つめ、いつもよりも強い調子で続ける。
「せっかくここまできたんだから、あと少しじゃない!」
「……沙耶、なにがあと少しなんだ?」
 護宏が聞き返す。いつも通りの冷静な口調だが、どこか戸惑っているようにも聞こえる。
「あ、ええと……あのね、結構調べてきたんだし、もうちょっと続けたいな、って。だめかな?」
 勢いで口が滑ってしまったらしくあわてて取り繕う沙耶に、護宏は根負けしたような苦笑を投げかけた。
「……いや、いいんだが」
「あのー、お二人さん」
 圭一郎の声に、護宏ははっと宝珠兄弟の方を向く。
「まあ、こんなふうに」
 いくぶん決まり悪そうに、護宏は続けた。
「俺の記憶なのに、熱心なのはむしろ沙耶の方だ。第三者としてどう思う?」
 護宏が知りたいのはこの点なのだろう。記憶の謎を探ることに護宏はさほど積極的ではないようだ。たぶん、沙耶があまりに熱心なので、自分の姿勢に自信が持てなくなってきているのではないか。
「止めることはないんじゃないの? 結果はともかく、おもしろそうじゃん」
 征二郎がすかさず言う。
「おもしろそう、か」
 護宏はあまりおもしろくなさそうにつぶやく。
「僕は……基本的には滝に賛成。あったのかどうかわからない記憶なんて、あてにならない。……けど」
 圭一郎は一同を見渡してから、ゆっくりと続ける。
「滝のまわりでは、あまりに普通じゃないことが起こり過ぎる。僕たち退魔師にとって見過ごせないことがね」
「え、そーなの?」
 尋ねたのは征二郎だった。
(よりによっておまえがそう言うか!)
 圭一郎は今日一番の脱力感を覚える。
「妖魔を弱らせる珠、妖魔と似た気配で退魔師にしか見えないやつら、それに、君の気配」
「気配、か」
 護宏はくすりと笑う。
「おまえも沙耶の先輩のように、俺を妖魔だと言うのか?」
「!」
 そんなことを言う沙耶の先輩は、一人しか思いつかない。
(リンリンさん、本人の目の前でそう言ったのかよ!)
 それはあまりにも礼儀を欠いているように、圭一郎には思えた。
「あ、でもそれはね……!」
 あわてたように話し出す沙耶を、護宏は微笑んでとどめる。
「わかっている。おまえの先輩に怒っているわけじゃない」
「君は怒らないの? 妖魔だなんて言われて」
 思わず圭一郎はそう尋ねる。
「愉快ではないが、怒るほどのことでもない」
 常に冷静な、護宏らしい返答だった。
「僕は……君が妖魔だとは思ってない。気配が違うからね。でも……」
 圭一郎はゆっくりと念を押すように続ける。
「君にはなにか秘密があるんだと思う。たぶんそれは君も知らないことなんだろうけれど。それを知ることが、僕たち退魔師にとって必要なんだ」
「俺の記憶が、その秘密とやらに関係している、と?」
「わからない。けれど君はこの間、ナギの名前を『思い出した』だろ?」
「……そうだな」
 護宏はそう低くつぶやき、少し考えてから、静かに口を開く。
「正直に言えば、乗り気ではない。俺は前世なんてあまり信じてはいないし、たとえそういうものがあったとしても、過去の人生を現在に引っ張り出すのはどうかと思う」
 淡々とした口調で、護宏は続ける。
「だが圭一郎の言うように、あまり普通ではないできごとが俺の周りで起きているのは事実だ。もしその原因が俺の知らない俺の過去にあるなら、調べていくべきなんだろう」
 第三者に意見を求めたつもりで、逆に説得された形になってしまった護宏だが、特に残念がっているようには見えない。
「で、どうやって調べてんの?」
 征二郎は楽しそうに沙耶に尋ねる。こいつ、ほんとにただおもしろがってるだけなんじゃないか……圭一郎はそう突っ込みたい気分をなんとか押さえていた。
「古い文献を見て、護宏の記憶の裏付けを取れる記録を探しているんです」
「古いって、古文書とか?」
「そうですね。寺社縁起や霊験記が中心ですけれど」
 沙耶の言葉に、圭一郎はふと気づいた。
(そうか、出水さんは古文書が読めるんだった)
「じゃあ、うちの書庫、見てみる?」
 宝珠家の書庫にどのような古文書があるのか、詳しいことは圭一郎にはわからない。だが凜に聞いた範囲では、妖魔や退魔のわざに関する記録や、全国の退魔師の家系図などが豊富に収蔵されているらしい。
 圭一郎がそう言うと、沙耶は顔を輝かせる。
「よろしいんですか?」
「探している方面のものがあるかはわからないけれどね。それと、代わりといっちゃなんだけど、ひとつお願いしたいことがあるんだ」
「なんでしょう?」
「人が妖魔を使役した話があったら、教えてほしい」
 宝珠家の書庫は、誰にでも見せてよいものではない。それにもかかわらず、圭一郎が沙耶に書庫を見せる気になったのには理由がある。
 数日前に彼らが出会った、妖魔を利用する謎の男。現在の制度では、妖魔を利用した犯罪や不正行為は罪にはならない。警察が取り締まれない現状に対して予防策を講じるために、彼らは妖魔を操る方法が伝承されていないか調べてみることにした。
 とはいえ、圭一郎も征二郎も古文書など読んだことはない。ちらりと見たことはあるものの、書かれている文字の判別すらおぼつかない。古文書の解読ができる沙耶は貴重な存在なのだ。
「いいですよ。探してみます」
 沙耶の快諾に、圭一郎はほっとして立ち上がる。
「じゃ、案内するよ。ここから歩いてすぐだから」   

  [index][prev][next]