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10 過剰と欠落

3 消えた妖魔

「今日はどうもありがとうございました」
 宝珠家本家の門前で、沙耶が頭を下げた。護宏は沙耶のかたわらでじっとたたずんでいる。
「また来てよ。僕か征二郎に言ってくれれば、鍵開けるから」
「はい、よろしくお願いします」
 圭一郎は帰って行く二人を見送った。空はすっかり暗くなり、街灯がぼんやりとした光を投げかけている。征二郎は書庫の中で待つのを面倒がって一足先に家に帰っていた。
 書庫の鍵を本家の金庫に返そうと、圭一郎が歩き出した時。
「圭一郎!」
 門の外から声をかけられる。見ると、前当主の優だった。会社帰りらしく、くたびれたスーツにグレーのコートをはおっている。
「優伯父さん、お帰りなさい」
「今、ここから桜公園の方に歩いて行った男の子は、君の友だちなのか?」
 優は護宏たちが去って行った方向を示す。
「友だちというか……まあ、同級生ですけど。ご存じなんですか?」
「知っているというほどじゃないんだが……」
 優は口ごもった。
 なにか事情がありそうだ。
「もしかして、あいつの気配ですか」
「気配? なんのことだ?」
(違うのか)
 優は護宏が時折放つ気配を知っていたわけではなさそうだ。圭一郎はあわてて話題を引っ込める。
「いえ、いいんです。それより……」
「うん、二年ほど前のことなんだが、追っていた妖魔の気配が急に消えたことがあってね」
「消えた?」
 圭一郎は聞き返す。気配が消えるのは普通、妖魔が姿を隠したからか、退治されたからだ。だが、退魔師であった優が今も覚えているような消え方は、そんな普通のものではなかろう。
「退治されたようなんだが、僕は現場を見ていなくて。その場所にいたのが彼だけだったんだよな。彼は退治してないと言っていたけれど、だったらあの妖魔はどうなったのか」
「……」
 彼の持つ珠が弱い妖魔を退ける力を持っているのは確かだが、彼自身が妖魔を退治できるとは聞いていない。もし退治できるのであれば、教室の中に妖魔が出現した時、征二郎を起こすことなく自分で退治していたであろう。
 ならば、なぜ妖魔は消えたのか。 
「彼が退魔師だとか、そういうことはないか?」
「ない……と思います」
 断言はできないが、そう答えるしかなかった。
「うーん、そうか」
 優は残念そうな声を上げた。
「妖魔の数が増えているから、戦力になればと思ったんだが」
「それは……」
 微妙なところだ、と圭一郎は思う。
 確かに護宏が宝珠兄弟の妖魔退治に対して支援的な役割を果たしてきたことは何度かある。だが彼は常に協力的なわけではなかった。特にナギのような、圭一郎にしてみれば妖魔としか感じられない存在を守ろうとしている以上、圭一郎たちとはどこかでどうしても相いれないようにも思える。
 なにより、優が妖魔だと思った気配は護宏自身のそれであったのかも知れないのだ。
 どこまで優に話すべきか、圭一郎は少し迷った。
 その時。
「!」
 圭一郎と優は、弾かれたように同じ方向に目をやった。
「近いな」
 優の言葉に、圭一郎はうなずく。何がどのくらい近いのかは、あえて口に出すまでもなく感じ取れる。
 妖魔の気配。東にまっすぐ三百メートルほど行ったあたり、桜公園付近だろうか。
 それも、かなり強そうだ。
「優伯父さん、携帯持ってます?」
「征二郎だな?」
「はい」
 優は携帯電話を取り出し、素早く操作して圭一郎に手渡す。自宅に戻っているはずの征二郎を呼び出さねば、妖魔退治はできないのだ。
「妖魔が出てる。すぐ本家に……いや、それより桜公園に向かって。僕もそっちに行くから」
 てきぱきと指示を出し、携帯電話と、ついでに書庫の鍵を優に返して、圭一郎は走り出した。  

 桜公園は、本家の前を通って巳法川を渡る道路沿いにある、木々の生い茂った公園だ。ちょっとした広さがあり、この時間帯にはジョギングをする人々の通り道にもなっているが、今日は人影は見当たらない。
 妖魔の気配は公園の中から感じられる。近づくにつれて強まる気配はあまり移動する様子はないが、木々にさえぎられて、姿はすぐには見えなかった。
(どこだ?)
 公園の街灯は暗く、見通しはよくない。気配をたよりに圭一郎は小道を駆け抜ける。
「きゃあっ!」
 不意に少女の悲鳴が聞こえた。気配の方角と一致している。
(妖魔に襲われた人か?)
 聞き覚えのある声のような気もしたが、いちいち考えている余裕はなかった。
 やがて目の前が開け、公園中央の広場に出た。
 圭一郎は声を失い、立ちすくむ。
 街灯に照らされて目に入ってきたのは、地面に座り込んだ沙耶と、妖魔と戦う護宏の姿だった。

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