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10 過剰と欠落

5 それぞれのその後

「なあ、俺思ったんだけどさ」
 桜公園で護宏たちと別れて帰る途中、征二郎が妙にうきうきとした口調で切り出した。
「ん……」
 圭一郎はずっと考えごとをしていたので、返事があいまいになった。  
  「樹怪」が自然発生した妖魔か、それとも何者かによって差し向けられたものか。別れ際に護宏は、公園に誘い込まれたような気がすると言っていた。それはあくまでも護宏の勘であって、裏付けはない。だが確かにその可能性はあった。
 傷害型の妖魔でありながら、「樹怪」は沙耶を傷つけてはいない。沙耶を解放させようと戦った護宏には多数の触手が襲いかかっていたが、沙耶はとらえられ、公園に引き込まれただけだった。
 もし狙われたのだとすれば、その対象は護宏のほうだったように思える。だがそもそも、妖魔が特定の人物を狙って襲うということは、少なくとも圭一郎がこれまでに知っているケースの中にはない。
 ふつう被害を受けるのは、なんらかの条件を満たしてしまった人である。条件は妖魔によって異なるが、場所や所持品、特定の色の服といったものが多く、個人を特定するようなものではない。たまたまその場に居合わせてしまったり、出現した妖魔が奪うものを持ち合わせていたりすると被害に遭う、ということだ。数日前、圭一郎自身が眼鏡を奪う妖魔に襲われたように。
 わざわざ遠く離れた場所から触手を伸ばして引き寄せることも、引き寄せた対象ではなく別の人物を襲うことも、普通の妖魔の行動としては考えられない。
 圭一郎はそこに人為の匂いを嗅ぎ取っていた。県大会で黎明館のゴールを妨害した妖魔と同じ雰囲気だ。
(でも、そうだとしたらなにが狙いなんだろう?)
 それが、解せないのだ。
 妖魔を操るわざを持つ者が、護宏を狙う理由があるのか。
「おい、聞いてねえのかよ」
 返事がないのに業を煮やした征二郎が、圭一郎の腕を引っ張った。
「あ、ごめん。なに?」
 現時点では答えようのない疑問を考えるあまりに、周囲が見えなくなっていたようだ。あわてて返事をすると、征二郎は一呼吸おいて切り出した。言いたくてたまらなかったことらしい。
「護宏ってさ、絶対出水さんのこと好きだよな」
「は?」
 あまりに唐突すぎて、そんな声しか出なかった。
(人が深刻な考え事してる時に、そういう話かよ!)
「だって護宏があんなに熱くなるなんてさ、普通ないだろ?」
「別にいいだろ、そんなこと」
 あまりに緊張感を欠く話題に、ついいらだった返答をしてしまう。征二郎は不満そうだ。
「どうでもよくないと思うぜ?」
「なにが」
 そっけなく聞き返す。
「あいつが妖魔かも知れないって思ってるんだろ? リンリンさんだって。それで出水さんが危ない目に合わないかってさ」
「!」
 圭一郎ははっとして征二郎を見た。
「気配とかわからないし、あいつがどんな秘密を持ってるかなんて知らないけど、出水さんを守りたがってる気持ちはホントだ、ってことだよ」
「……」
 言い返せなかった。
 沙耶が襲われた時、護宏は決定的な手段を持たぬままで妖魔に向かっていった。彼にしては冷静さを欠いた判断にも思える。あるいは自分たちが駆けつけてくることを見越した上で、妖魔の注意を沙耶からそらすための行動だったかも知れないが、それにしても素手で妖魔に接近戦を挑むのは、あまりに無謀な行動だった。
 それほどまでに沙耶を守りたかった、という以外に彼の行動は説明できないように思える。
 征二郎は、それをあっさりと指摘してのけたのだ。
 複雑な気分だった。
 征二郎には妖魔の気配はわからない。圭一郎のように、さまざまな条件を考え合わせることもしない。
 それなのに、いや、それゆえにか、圭一郎の目に入らないものを征二郎は見抜くことができる。
 宝珠を手に、なにもできなかった先刻の光景がよみがえる。征二郎にはたやすくできることが、自分にはどうしてもできない。
(僕なんかよりよっぽど使えるやつじゃないか)
 弟に対する敗北感のようなものを感じている圭一郎に、征二郎はさらに言葉をぐ。
「出水さんだってたぶん、護宏のこと好きなんだ。だから記憶の謎をあれだけ懸命に調べようとしてるんじゃないかな。なあ、あの二人いつまで幼なじみだって言いはるつもりだと思う?」
「……」
 圭一郎は絶句する。
(結局そっちかい!)
 脱力のあまり大きなため息をついた圭一郎を、征二郎が不思議そうに見る。
「どうした?」
「ちょっとでも見直した僕がばかだった」
 圭一郎はそう言って早足で歩き出す。
「なんだよそれ、わけわかんねーよ、おい!」
 さっぱり状況の見えていない征二郎の声を背で聞きながら、圭一郎はふたたびため息をついたが、その口の端にはわずかに苦笑が浮かんでいた。

 金剛市上恒町。宝珠家のある軍荼利町とは巳法川を挟んで対岸に位置する。
 川に面したマンションの前で、護宏と沙耶は足を止めた。
「今日書庫で借りた記録、週末までには読んでみるね」
「どういう内容なんだ?」
「宝珠家の歴史。家名の由来とか書いてあるみたいなの」
「……」
 なぜ宝珠家の、と言いたげな表情を護宏から読み取ったのか、沙耶は護宏の言葉を待たずに続けた。
「あの剣になる宝珠の由来がわかったら、護宏の数珠のこともわかるかな、って」
「数珠、か」
 護宏はつぶやく。
「不思議だな、この珠はひとつだけなのに、祖母は数珠と呼んでいた」
「うん。手放しちゃいけないって言ってたのも、おばあさまだったよね」
「ああ」
「亡くなってから二年か……なにか、ご存じだったのかな」
「さあ。どうなんだろうな」
 言いながら護宏は、そろそろ家に入った方がいい、という目でマンションの奥に視線を向ける。
「そうだね、じゃあ、また明日」
 扉の開いたエレベータに乗り込もうとして、沙耶はふと振り返った。
「怪我、ほんとに大丈夫?」
「ああ」
 護宏は穏やかに答える。
「そっか、ならいいんだ。じゃあね」
 エレベータに乗り込む沙耶に向けて護宏は軽く手を振ってみせ、夜道を一人歩き出した。
 ややあって。
「……っ」
 護宏の顔に、わずかに苦痛の表情が浮かぶ。人前では表に出さぬよう気をつけていたが、肩や腕の打撲と裂傷は思ったより大きなダメージを彼に与えていた。痛みから気を紛らわすように、護宏は夜空を見上げる。冬の近づいた空は澄み切っていて、上りかけの月が銀色の冷たい光を投げかけていた。
 月を見上げたまま、護宏は守り袋を取り出した。中の「数珠」の感触を確かめるように、袋の上からそっと握り締める。
「俺は……」
 苦いなにかを抱え込んだように、低くつぶやく声。
 続きは、だが、声にはならなかった。

 梢の下から、護宏の鋭いまなざしがまっすぐにこちらを見上げていた。
 小さな電子音とともに、映像はそこで停止する。
「ふーむ。カメラに気づいていたのかね?」
 つぶやく声の主は、ビデオのリモコンの「巻戻し」ボタンを押す。
 しばらくして画面は通常再生に切り替わった。そこには桜公園で樹怪の妖魔と素手で渡り合っていた滝護宏の姿が記録されている。
「だからあえて召喚しなかったのか、それとも……」
 考え込むような声。
「む? これは……」
 声の主は映像を止め、コマ送りで進めていく。
 画面の端に映り込んだ黒い影。
「召喚していたか。人型のようだが、こいつのタイプは……」
 だが次の瞬間、影の手前に別の人影が入り込む。沙耶を助けようと駆け寄りかけた圭一郎の姿だった。圭一郎の背中が黒い影をさえぎっている間に、黒い影はすっと消えうせる。
 小さな舌打ちとともに、映像が再び止められた。画面の中では、宝珠の剣を握った圭一郎が立ちつくしている。
 部屋の主はしばらく画面を注視していたが、やがて一言吐き捨てるように、やっぱり邪魔だな、と言った。

(第十話 終)

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