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12 実験室の妖魔

1 亀裂

「いったい、どういうつもり?」
 電話の向こうの声は、明らかに激昂した響きを帯びていた。
「足止めするだけだと言っていたじゃないの」
「そうでしたかね」
 とぼけてみせると、相手はさらに怒りをつのらせる。
「私は聞いてないわよ。襲って怪我をさせるなんて。彼らになにかあったらどうする気だったの?」
「なにもなかったとは残念だ」
「あなた、いったいなにを……」
 思わず口から出たつぶやきが、相手の耳にも聞こえたらしい。電話の向こうで彼女が絶句しているのがわかる。
「実験の一環ですよ。いつも通り、こちらに任せておいてもらいたいんですがね」
「そういうわけにはいかないでしょ!」
 予想通りの反応だった。
「彼らはプロジェクトの協力者にする予定だったじゃない。危害を加えたら水の泡よ。わかってないの?」
「わかっていますよ、もちろん」
 相手の反応が予想を越えなければ、扱いは容易い。既に用意していた言葉を返すだけだ。
「彼らの協力が必要なのは、あなただ。私じゃない」
「……!」
 はっと息を飲む気配。
 返答の隙を与えず、たたみかけるように続けてやる。
「邪魔なんですよ、彼らは。私にとってはね」
「……そう、そういう、こと」
 感情を抑えて冷静に判断しようと努力しているのだろう、かすかに震える声が聞こえる。
 どう返ってくるかは大体予想がついている。どのみち、大した影響はないだろう。契約も協調態勢も、今やもう必要のないものだ。
「あなたのやっていることは契約に反している」
「ええ、そうですね」
 彼女がなにを言おうと大勢は変わらぬ。そう思うと、自然に挑発めいた口調になった。
 が。
「けれど、私も石頭じゃない。どうして彼らが邪魔なのか教えてくれないかしら?」
「ほう」
 思わずそんな声が口から出たのは、わずかに予想が外れたからだ。予想以上に、彼女は利にさとい。自分にとって利益になるなら、立場を変えることもいとわない性格だ。
 だがそれでも、彼女はこちらの意図には乗ってこないだろう。
 それだけの理由はある。これからやろうとしていることは、いつか必ず彼女にも不利益をもたらすからだ。  だが、今それを言うつもりはない。
「彼らは子どもだ。あなたのやっていることを知った上で協力するとは思えませんな。それでいて、特に兄のほうはやたらと目端がきくから、隠しおおせるはずはないでしょうね」
「それは……」
 その指摘は、彼女の痛いところをついたようだ。
「いずれ邪魔になるのなら、今のうちに元を断っておいた方がいいでしょう?」
「……それは、彼らをどうあっても排除する、ということ?」
「いやいや、あわてないでくださいよ。そんなに彼らに恨みがあるわけじゃないでしょ」
 そう言うと、彼女がわずかにほっと息をついたのがわかった。
 彼女の意図はわかっている。こちらが法に触れる危険を侵しはしないか、探りを入れているのだ。そうなった場合に危うくなる自分の立場を心配してのことだろう。
 むろん、今のように法の目をかいくぐれる時はそう長くは続かないだろう。だがそれは、もう大した問題ではない。
「……わかったわ。とにかく、目立った行動は慎んでもらいたいものね」
「そうしますよ」
 返事をするとすぐに、通話が切れた。
 こちらの言葉を彼女がどう受け取ったかはわからない。すべて信じるほど素直な性分ではないはずだ。だが計画通りにいけば、そんなことはどうでもよくなる。

 そう、計画は着実に進行しているのだ。

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