[index][prev][next]

12 実験室の妖魔

2 憶測の迷宮

「なんだって?」
 夕方、帰宅した圭一郎は思わず大声で聞き返す。
「宝珠を、滝が使った?」
「そーだよ」
 征二郎はうなずく。得意げな笑みは、突然の事態を自分の発想で切り抜けた満足感ゆえだろうか。
 圭一郎はまだ信じられない気持だった。
 一族の、それも限られた者にしか扱えない宝珠を、一族ではない護宏が使った。それも剣ではなく弓矢に変えて。
 それだけではない。圭一郎以外の誰もなしえない、呪なしで宝珠を変化させるというわざまで、彼はやってのけたのだという。
 冷たいものが背筋を伝う。
「あいつ、一体……」
「なに深刻な顔してるんだよ」
 征二郎が陽気に圭一郎の肩をたたく。
「おまえこそ、一族じゃない奴に家宝が使えるのが深刻じゃないって?」
「それで退治できたんだから、いいじゃん」
「そうだけど……」
 圭一郎は返事に詰まる。征二郎が一族以外に家宝の宝珠を託すとは予想もしていなかったが、宝珠を征二郎に持たせたのは自分だ。
「だいたい、流が来なかったせいじゃん。なんであいつ、肝心な時に電源切ってるかなあ?」
「僕のところに……見舞いに」
「はあ? 流が?」
 征二郎は信じられないという表情で聞き返す。
「ありえねー。そんなキャラじゃないだろ、あいつ」
「そこまで言う?」
 圭一郎はあきれたように苦笑したが、征二郎の言うことももっともだと思う。圭一郎たちと流はあまり仲がよくはないし、流はそもそも地道な努力や細やかな気遣いなどしてみせたことはない――少なくとも彼らの前では。
「……たしかに、流の動きにはなにかあるんだろうね」
「どういうことだよ」
「うん……」
 圭一郎はゆっくり話し出す。朝、流が見舞いに来てから、退院して家に戻るまで、ずっと考え続けていたことだ。
「昨日、僕は流と正門前で会って、別れてから近くに出現したノブスマタイプの妖魔の下敷きになった。今朝おまえは学校で同じ妖魔につきまとわれたけれど、その時流は僕の見舞いに来ていて連絡が取れなくなっていた」
「ふむふむ」
「これがどういうことか、わかる?」
「全然!」
 明るくさわやかにわからないと言ってのける態度は、いっそ潔い。
 圭一郎は先を続ける。
「あの妖魔は、僕たちが一人でいる時――つまり退治ができない時を狙って来た。流は僕たちがばらけるように、あるいは妖魔退治ができないように動いていた……」
「流が妖魔の味方してたってことか?」
「それは話が飛び過ぎ」
 圭一郎は机の上のペットボトルに手を伸ばす。帰りがけに買った新製品の「ホット寒天茶」だ。健康によいと話題の寒天が入っている。冷めるとどんなことになるのか、試したいような試したくないような気分だった。
「あのノブスマを好きなところに出現させることのできる奴がいて、そいつが流に指示を出していたんじゃないのかな」
「って、『前田』か? 流と知り合いだなんて聞いてないぜ」
「うん」
 圭一郎はまだ温かい茶を一口飲んでから、落ち着いて返答する。さまざまな可能性を考えてみたが、今わかっている情報から導き出せる結論はひとつだけだった。
「流が直接知らなくてもいいんだ。流に僕を呼び出させたり、見舞いに来させたりした人はわかってるんだから」
「だれだよ」
「木島さん」
 木島麻里絵――黎明館大学の助教授で、流の指導教官だという。彼女に言われて本を渡しに来たり、見舞いに来たりしたのだと、圭一郎は流本人から聞いていた。
「あー、流の先生か。その人が前田とつるんでるってわけ?」
「可能性、だけどね」
 きわめて高い可能性だと、圭一郎は思っている。少なくとも、昨日と今日の妖魔騒動に木島が関わっていたのは確かだろう。
 圭一郎は机に置かれた紙束を手に取った。昨日征二郎が吉住から渡されたメモである。メモには人の意図が加わっていると思われる妖魔の出現記録が書かれていた。ほとんどはオブジェ騒動のように、ネットやクチコミで妖魔を出現させる方法を知った者によるいたずらのようだったが、少数ながらそれでは説明できない妖魔も出現していた。
 しかも、そういった事件の多くが、圭一郎たちの住む県内で起きている。
 とても偶然とは思えなかった。
 それを起こしている人物に心当たりはある。だが圭一郎はその人物に会ったことすらない。
 恐らく自分が知っているのは、ごく限られた範囲の情報にすぎない。そう圭一郎は思う。そこからかろうじてうかがい知れる手掛かり。それが木島の行動であるように、圭一郎には思える。
「ただ、確かめようがないんだ」
「そんなの、本人に聞いてみたらいいじゃん」
 征二郎はあっさりと言う。
 圭一郎は呆気に取られて、しばらく征二郎の顔を見つめていた。
「なんだよ。なにか変か?」
「そういうわけじゃないけど……」
 答えながら、すばやく頭をめぐらせる。考えてもみなかったことだが、互いに顔見知りである以上、不可能ではない。確証のない今、木島に会って単刀直入に尋ねるわけにはいかないが、なんとかして証拠を押さえられれば……。
「よし、それでいこう。いつでも来いって言ってたしね」
「じゃ、今から?」
「なわけないだろ。明日……は日曜だから、明後日かな」
 月曜日はゼミの日だと、流が言っていたことがある。ゼミがあるのなら、指導教官の木島も大学にいるだろう。
 どう聞き出すかは明日にでも考えよう。

「ああ、そうだ。ひとつ気になってたんだけど」
 一段落したついでに、思い出したことがある。
「屋上で退治した時、ほかに妖魔はいなかった?」
「さあ?」
 征二郎は首をかしげる。心当たりはないようだ。
「なんで?」
「いや、妖魔の気配が二つしてたんだ。ひとつが退治されたあとで、もう一つはそのまま離れていったから。……ナギとかもいなかった?」
 姿を見なければ、圭一郎にはナギやサガミ――護宏や沙耶を見守っていると思われる存在――と妖魔の気配の区別がつかない。
「うーん、見かけなかったけど。護宏に聞いてみようか?」
「!」
 征二郎の提案は当然といえば当然のものだったが、圭一郎は一瞬躊躇した。が、返事をする前に、征二郎はさっさと携帯電話を操作している。
「あ、護宏? うん、今朝はありがとな。で、ちょっと聞きたいんだけどさ」
 征二郎は屈託ない調子で、電話の向こうの護宏と話している。クラスメイトなのだから、むしろそれが普通だ。なぜ護宏に接触するのに自分がこんなに身構えてしまうのか、圭一郎自身にもよくわからない。
「あ、やっぱり? ちょっと待って。いなかったって」
 征二郎の報告に、圭一郎はうなずいてみせる。ある程度予想はついていたことだったので、驚きはしない。
(たぶん、ノブスマをけしかけた奴が別の妖魔も放ってたんだ)
 あの場に圭一郎がいれば、気配ですぐに気づいただろう。だが征二郎には、妖魔の気配は感じ取れない。姿さえ隠していれば、いくらでも様子をうかがうことができる。  
  ならばやはり、征二郎にノブスマタイプの妖魔をつきまとわせた犯人は、そばに圭一郎がいないことを知っていたのだろう。
(僕も征二郎も、離れ離れにされた上で襲われたんだ)
 圭一郎は唇をかむ。
 考えたくなかったが、自分たちは今、正体のわからない相手に身の安全を脅かされている。しかも、相手が次にいつ仕掛けてくるのか、こちらには予測するすべがないのだ。
 鳩尾のあたりがきりきりと痛むような気がした。こんな中途半端な状態にとどめおかれることは、随分とストレスになる。
(しっかりしろ。手掛かりがないわけじゃない)
 圭一郎は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。
 流に指示を出していた木島、滝護宏に接触をはかってきた「前田」。まずは彼らの狙いを見定めることだ。
「圭一郎?」
 征二郎に肩をつんつんとつつかれ、圭一郎は我に返る。
「あ、ごめん、考え事してた」
「みたいだな。呼んでも返事がないし、決めといたから」
 征二郎は携帯電話を机の上に無造作に置いた。護宏との通話はとっくに終わっていたらしい。
「決めといた、ってなにを?」
「出水さんが借りてた記録、読めたから返すついでに内容教えてくれるって。明日の一時にうちに来るよう言っといたからさ」
「……」
 一瞬、弟の言っていることが理解できなかった。
「明日、うちに?」
「うん」
「出水さんと、滝も?」
「あたりまえだろ……どうした?」
 がっくりとうなだれた圭一郎に気づいて、征二郎が不思議そうに尋ねる。
「なんでうちなんだ」
「なんでうちじゃだめなんだ」
「……」
 圭一郎は言葉につまる。ほとんどまぜ返すように言われたことにはむっとしていたが、言われてみれば自分がいちいち嫌がっている理由がわからない。もともと自宅に人を招くのはあまり好きではない上に、護宏に対する警戒感がどうしても拭えないからなのだろう。だが、なぜそこまで同級生を警戒してしまうのだろうか。
「はあ、いいよもう、どこでも」
 根負けしたように言って、圭一郎は寒天茶の残りを飲み干す。温度の下がった寒天入りの茶がどろりと粘性をもって喉に流れ込む、その感覚が気持ち悪かった。

[index][prev][next]