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3 エンゲンの伝説

「宝珠家の名前の由来って、ご存知でしたか?」
 出水沙耶の問いに、圭一郎と征二郎は顔を見合わせた。
 自分たちの苗字だ。由来などとうに知っているつもりだった。だがあらたまって聞かれると、詳しいことはあまり知らなかったことに気づく。
「えーと、平安時代の終わりぐらいに妖魔を退治したかなんかで、これにちなんだ名前と土地をもらったってことぐらいしか……」
 圭一郎は宝珠を示しながら、知っていることを答える。
「その妖魔ってどんなものだったのか、調べてみようと思ったんです。古い時代の妖魔の記録だから」
 沙耶はノートを片手に説明を始める。ノートにはびっしりと文字が書き連ねてあった。解読した文章と注釈らしい。
「くらやみ祭りって聞いたことありますよね?」
「え? あ、まあ」
 くらやみ祭りとは、金剛市の北の山間部にある小さな村に伝わる奇祭だ。毎年夏至の一晩だけ、暗闇の中でたった一つの灯火のまわりに集まり、夜通し歌や踊りを楽しむという。
「くらやみ祭りでは、真っ暗にして一晩起きている間、憂いや邪念を抱いてはならないそうです。周囲が闇に閉ざされていても、心まで闇に落ちてはいけない、と」
「それで大騒ぎするんだっけ? 変な祭りだよなー」
「まあ、奇祭っていうぐらいだしね」
 くらやみ祭りについて大して知っているわけでもないし、沙耶がどういう意図で話題にしたのかもまだわからない。征二郎の素朴な感想に対して、圭一郎は無難な返事をしてみせた。
「……通夜のようなものかも知れないな」 
 静かに言葉を発した人物に、圭一郎は目をやった。
 滝護宏。沙耶の隣に座っていた彼は、これまでほとんど口を開かなかったが、会話に耳を傾けてはいたらしい。
「どこかの地域では、通夜は夜通し騒いで死者を呼び戻す儀式だったと聞いたことがある。そういう風習が入り込んでいるんじゃないか?」
「そうなんだー」
 征二郎が感心したような声を上げる。
(時々、君が理系クラスなのを忘れそうになるよ)
 圭一郎はそう思ったが、口には出さなかった。
「でさ、邪念とか持ったらどうなんの?」
「それ、なんですけど」
 征二郎の問いに、沙耶は少し間を置いて話し出す。なにか重要なことらしいと、圭一郎は思う。
「伝えられている話では『エンゲンサマ』に呑まれ、異形の姿になってしまう、と」
「エンゲンサマ?」
 沙耶の発した語をそのまま繰り返してみたが、意味はさっぱりわからない。
「平安時代の末期に、呑まれて異形の姿になってしまった人がいたそうです。それで、ある男が白い珠を剣に変え、村を救った……と」
「!」
 圭一郎は耳をそばだてる。白い珠を剣に変える。それは彼がよく知っている行為だ。
「その手柄によって男は宝珠の姓を賜ったそうです」
「うちのご先祖か……」
 圭一郎は眉根を寄せ、考え込む。
「どうかした?」
 征二郎が圭一郎の様子に気づき、呑気な問いを投げかける。
「ご先祖が村を救って苗字もらったってことだろ? なに考え込んでるんだよ」
「それがどういうことか、わからない?」
「へ?」
 征二郎がわからないようなので、圭一郎はひとつため息をついてから続ける。
「この宝珠を剣に変えてできることは、ひとつしかない。妖魔を退治することだ。ご先祖がこれを使ったってことは……」
「『エンゲンサマに呑まれた』人間が妖魔になった可能性、か」
 圭一郎が言いよどんだ言葉を、護宏がさらりと発した。
「なんだよそれ、おい、そんなことってあるのか?」
「俺に詰め寄るな。圭一郎、そう言いたかったんじゃないのか?」
 護宏が冷静な面持ちで、圭一郎に目を向ける。
 圭一郎はうなずいた。
「そうだね。でも、僕が気になったのはその先だ」
「というと?」
「今まで……」
 口の中が妙に渇いているような気がした。言葉ひとつを発するにも努力を要するほどに、こわばった口はうまく動かない。
「僕たちが倒してきた妖魔が、もとは人だったとしたら……」
「!」
 征二郎が息を呑む。
 重苦しい沈黙が部屋を覆う。圭一郎自身、どう言葉をつないだものか考えあぐねていた。
 この恐るべき可能性が現実だったとしたら、これから先、妖魔退治などできそうにない。だが一方で、妖魔は出現し、混乱をもたらし続けている。
 それになにより、妖魔を操る何者かの手が、彼ら自身の安全をおびやかしてさえいるのだ。
 が。
「それは、どうかと思うが」
 沈黙を破ったのは護宏だった。
「オブジェや県立体育館にいたような奴が人だったとは思えない。それに何百年も前のたったひとつの記録で結論を出すのは早いんじゃないか?」
「それはそうだけど……」
 正論だが、それで不安が消えるわけではない。
  護宏は続けた。
「そもそも『エンゲンサマに呑まれる』ということがどういう意味なのか、わかっていないんだろう?」
「わからないどころか、初めて聞いたんだよね」
 答えつつ、その通りだと圭一郎は思った。
 妙な気配を発する警戒すべき相手が、実は自分の言いたいことを最もよく理解してくれている。それがわかっているからこそ、どういう態度を取っていいのかわからない。
「護宏のさあ、『記憶』には引っ掛からないわけ?」
 征二郎の問いに、護宏は首を振る。
「そう都合よくはいかないな」
「ええと、字はこうでした」
 沙耶がメモ用紙にペンを走らせる。
「あんまり、情報になってないんですけど」
 申し訳なさそうに沙耶が見せたメモ用紙には「エンゲン様」と書かれていた。
「たしかに」
「征二郎、わざわざ読んでくれた出水さんにそれはないだろう」
 圭一郎は弟をたしなめつつ立ち上がり、机の上の国語辞典を手に取った。
「エンゲンって結構あるな」
 辞典には「延元」「延言」「怨言」「艶言」「淵源」といった見出し語が並んでいる。
「それっぽいの、なんかある?」
「なんだよ、それっぽいって」
 征二郎の質問に圭一郎は苦笑し、辞書の文字を目で追った。
「うーん、どれもピンとこない。『様』とかつきそうにないし」
「沙耶、ほかの記録には?」
 護宏の問いに、沙耶はしばし考える。
「見たことないけど……あ、そうだ」
 沙耶がなにかを思いついたらしい。
「くらやみ祭りをとりしきっているお寺になら、なにか残っているかも知れません」
「寺?」
「那神寺です」
(滝の『記憶』に関係ある寺、か)
 圭一郎は聞きとがめる。
 護宏の「過剰な記憶」。
 経験したことのないはずの事実に関する記憶。
 那神寺が創建された時に居合わせなければ知り得なかったような事実を、護宏は知っていた。その寺が、妖魔の来歴を記録しているかも知れない。
 それが偶然の一致とは、圭一郎にはどうしても思えなかった。
「そこに行って調べてくれるってこと?」
「ええ、見せてもらえるかはわかりませんが、聞いてみますね」
「お願いできるとありがたいな」
 圭一郎は沙耶に軽く頭を下げた。自分たちにかかわりのあることを調べてもらうのは心苦しいが、正直、とても手がまわらない。「前田」の件もまったく進展しておらず、ただ謎だけが増えていくのは気が重かった。

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