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14 封印の数珠 後編

2 結界の中で

 町はずれ、プレハブの建物。
 護宏は入口に立ち、中の様子をうかがうように扉を少し開けた。
「突っ立ってないで、入って来ればいい」
 中から突然声がかけられるが、護宏は動じた様子を見せなかった。言われるまま、建物の中に一歩足を踏み入れる。
 パイプ椅子に座った前田が手招きしていた。
「ああ、まだドアは閉めんでいてくれよ。まだあれが帰って来ていないんでな」
「あれ、とは?」
「じきにわかる。それより、迎えの妖魔はどうした?」
「迎え?」
「あれは君を呼ぶために遣わしたんだが。ほら、小さいネズミのようなやつだ」
 護宏は答えなかった。
「消したか食ったか……まあいい」
「……」
 護宏の目もとがわずかに動く。眉根をかすかに寄せた表情からは、征二郎ならば困惑を見て取ることができたであろう。
「俺を呼び出したというわけか」
「ああそうだ」
「用件は?」
「この間の返事、聞かせてもらいたくてな」
「わからないことがある」
「なんだ?」
「なぜ俺に協力を求める? 願いの叶う秘宝を持っているのなら、俺の協力など必要ないはずだ」
「なんだ、そんなことか」
 前田は低く笑う。
「この摩尼珠は不完全でな。完全な姿に戻そうとはしているんだが、まだ時間がかかる。それまで待っていられないんでね」
「……随分、急ぐんだな」
「これでも待った方だが……ああ、戻って来たな」
 不意に、なにかが護宏の脇をすり抜けた。部屋の中央で、それは動きを止める。
 黒い影。先日護宏の目の前で前田が合成してみせた妖魔だ。
「よし、取ってきたな。それじゃあ扉を閉めてくれ」
 扉を閉めた護宏が振り向くと、ようやく椅子から立ち上がった前田が黒い影に手を伸ばしていた。なにかを影から受け取っている。
「妙に弱っているが……まあいい。もう行け」
 前田が手を振ると、妖魔はすっと消え失せた。
「それは……」
 護宏の目は、前田が手に取ったものに注がれていた。
 直径一.五センチほどの白い珠。
「あの兄弟の宝珠だよ」
 前田はこともなげに言った。そして宝珠を掌に乗せ、もう一方の手で透明な摩尼珠を取り出し、宝珠と同じ手に移して二つながらに握り込む。
「なにをしている?」
「さっき言っただろう。これは不完全だから、もっともっと強くして完全にしなければならんのだ」
「宝珠で、か?」
「そうとも。この摩尼珠は完全に近づこうとして力のある珠を取り込んでいく。こんなふうに、な」
 前田は掌を広げ、護宏に見せた。
 摩尼珠と宝珠が並んでいる。
 見たところ、なんの変化もないようだ。
「……」
「……」
 奇妙な間があった。
「おかしいな」
 無表情に護宏が眺める前で、前田は摩尼珠をつまみあげ、電灯にすかして見ながら首をかしげる。
「どうして取り込まないんだ?」
 前田の想定するシナリオ通りではないようだ。護宏は静かに尋ねる。
「それを完全なものにしたら、なにを願う?」
「この間話しただろう。地上の浄化を進めるんだとな」
「なぜそんなことを?」
「もちろん、この私が選ばれたからだよ」
 前田は摩尼珠を手に笑みを浮かべる。
「誰に?」
「この珠は仏の加護の証。これを私が手に入れたということ自体が仏のご意志なのだ」
「……」
 護宏はいぶかしげに前田を見て、それから問いを重ねる。
「浄化して、人間を減らすと言っていたな。人間はどうなる?」
「適正な数になるだろうな。今よりはずっと少なくなるはずだがね」
「そのあとは?」
「新しい時代が来る。人間が地上を汚し続ける時代は終わり、この世界の正しい未来が開けるのだよ」
「正しい、か」
 護宏はそうつぶやいた。
 そして、前田の方に向き直る。
「その宝珠を貸してくれないか」
「ん?」
 前田が顔を上げ、怪訝に護宏の顔を見る。
「どうするつもりだ?」
「俺はそれを武器に変えることができる。俺になら扱えるかも知れないだろう?」
「なるほど、協力するというわけか」
 前田はひどく意味ありげな目で護宏を見た。
 そして宝珠をつまみ上げ、護宏に差し出す。
「さあ、これをどうするんだね?」
 護宏は手の中の宝珠にわずかに目を落とし、宝珠をしっかりと握る。
 そして、前田をまっすぐに見据えた。
「これは、持ち主に返す」
「本気か?」
「冗談を言う趣味はない」
 護宏が前田に背を向け、扉のノブに手をかけようとした瞬間。
 哄笑が部屋に響き渡った。
「ばかめ。ここから出られると思うのか?」
 護宏が振り向くと、前田はあざ笑うように護宏に指をつきつけた。
「おまえにその扉は開けられない。おまえはもう私の手に落ちたんだ」
「?」
「行け、そいつを捕らえろ」
 前田の声とともに、黒い影が現れた。
 虎のようなかたちのその影は、態勢を低くし、尾を低く左右に振ったかと思うと、振り向いた姿勢で立つ護宏に飛びかかろうとする。
 が、その時。
 護宏と妖魔の間に別の影が現れた。黒衣に黒い翼の烏天狗。翼を広げて護宏を守るように立ち、手に持った錫杖を襲いかかってくる虎の妖魔に振り下ろす。錫杖の頭部の環が澄んだ音を響かせ、次の瞬間、妖魔は霧散した。
「ふ、思うつぼなんだよ!」
 前田が高笑いを上げ、摩尼珠をつかんで掲げた。
「サガミ、戻れ!」
 護宏が叫ぶ。烏天狗の頭がわずかに護宏の方を向く。なにか言いたげな目が、護宏のまなざしと合った。護宏がうなずいてみせると、烏天狗はそのまま姿を消す。
「眷属を守ったか。だがそんな小物には用はない!」
 前田は摩尼珠を持った手をまっすぐ突き出し、護宏につきつける。
「……」
 なにも起こらない。
 護宏は目の前の摩尼珠と前田を交互に見比べた。
 居心地の悪い沈黙が、ふたたびあたりに流れる。
「なにがしたいんだ?」
 護宏の声は、沈黙に耐え切れなくなったかのような響きを帯びている。
「なぜだ? なぜ効かない?」
 前田はうろたえたような表情を見せ、摩尼珠を見つめる。
「あれだけ集めたのに、まだ足りないのか?」
「さっきから気になっていたんだが」
 護宏はいかにも嫌そうに続ける。
「俺を妖魔扱いして、操ろうとしていないか?」
「ただの妖魔じゃないことはよくわかった。完全な摩尼珠でないと無理なのか」
 護宏は小さくため息をついた。彼にしては珍しい。
「つき合っていられないな」
 低くつぶやいて、今度こそドアノブに手をかけようとした。
 その時、ドアノブがかちゃりと回った。護宏が開くより早く、ドアが外から開けられる。
 外に立っていたのは、圭一郎と征二郎だった。
「マジ? ほんとに護宏いたんだ」
 征二郎が驚いている。
「どうしてここに?」
 護宏の表情は例によってあまり変化がなかったが、その問いかけは彼が相当驚いている――少なくとも意外に思っている――ことをうかがわせた。
「滝……君が」
 圭一郎が口を開く。
「君がここにいるような気がしたんだ。だから――」

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