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14 封印の数珠 後編

3 気配を追って

 その、少し前。
 圭一郎と征二郎は、川沿いのサイクリングロードを上流に向かって走っていた。もうすぐ妖魔の気配が消えたあたりにさしかかるが、あれから気配は感じられない。
(手掛かりがなかったらどうしよう)
 圭一郎は走る。走りながらもやはり考え込んでしまう。
 もし、宝珠が自分たちの手に戻らなかったら。
 悲観的になっているつもりはなかったが、その可能性は高いように思われる。現に今、二人は宝珠をすっかり見失ってしまっているのだ。
 あきらめてはいけないとは思う。だが、気配が消えた地点に手掛かりが落ちているというほうが、都合のよすぎる予想に思えてならない。
 走りながら考えているせいで、思考がうまくまとまらない。その上、同じことばかりぐるぐると考えてしまう。
 そんな、不安だけがつのった状態で走り続けていた圭一郎は、はじめその気配に気づかなかった。
(……?)
 不思議な気配がするのに気づき、圭一郎はふと立ち止まる。
「これは……」
「おい、どうした?」
 征二郎が気づいて足を止め、戻ってくる。
「気配が」
「さっきの奴?」
「いや、そうじゃなくて……」
 圭一郎は首をひねる。
「なんだよ、早く言えよ」
「それが……」
 圭一郎は言いよどんだ。
 気配には覚えがあったが、それが今この場所で感じられるはずのないものだ。
「滝の気配、だと思う」
 思い切って口に出してみるが、圭一郎自身も信じられない。
「護宏? このへんにいるのか?」
 征二郎は周囲を見渡した。土手の上につくられたサイクリングロードは小高く見晴らしがよかったが、それらしい人影は見当たらない。
「 それが妙なんだ。あいつの気配って、すぐそばにいないとわからないはずなんだけど」
 圭一郎は自分が感じた違和感を説明する。
 護宏が妖魔とは異なる妙な気配を放つのを感じたことは以前にもあった。だがそれは彼がすぐ目の前にいる時に限られていた。姿が見えないのに気配だけがすることなど、これまでにはなかったことだ。
(いったいなぜ……?)
 圭一郎は気配の方向を見やった。土手を降りた先に小さい公園があり、そのはずれで小さな建物が夕日に照らされている。
「あっちか?」
 征二郎が圭一郎の視線の先を指さした。
「たぶんね」
「とにかく行ってみようぜ」
 征二郎は歩き出す。圭一郎も後に続いた。
「でも、なんであいつが?」
「知らないよ。だいたい本当に滝なのかもわからないし」
 自分たちは妖魔を追っていたはずだ。おそらく前田によって合成された複数タイプの妖魔だろう。その先に、なぜ護宏がいるのか。
 そして、なぜ彼の気配だけが自分に感じられるのか。
 その答えは気配の先にしかない。
 行ってみるよりほかはなさそうだった。
 二人は土手を降り、公園を突っ切る。
「たぶん、この中だ」
 プレハブの建物の前で圭一郎は立ち止まる。
「開けてみる?」
「うん」
 圭一郎はドアノブに手をかけ、少しだけ開けてみる。手前に開いた扉の中を覗いた征二郎が、あっと叫んだ。
「マジ? ほんとに護宏いたんだ」
 征二郎の声に、圭一郎ははっとしてドアを大きく開ける。
 すぐ目の前に護宏が立っていた。ちょうど内側からドアを開けようとしていたのか、左手はドアノブを握るような形のままである。
「どうしてここに?」
 二人を見るなり、護宏は問う。護宏のほうも、二人がこの場所に来るとは思っていなかったらしい。
「君がここにいるような気がしたんだ。だから――」
「そうか」
 護宏はそれで納得したのか、かすかにうなずく。そして、右手を圭一郎に突き出した。
「……?」
 護宏の手に握られたものに、圭一郎の目が吸い寄せられる 。
 奪われた宝珠。
 圭一郎が手を出すと、その掌に護宏が宝珠を乗せた。
「どうして君が……」
 圭一郎の問いに、護宏はゆっくりと部屋の奥に視線を向けた。圭一郎がその視線を追うと、一人の男が目に入った。どこにでもいそうな中年の男だが、目だけが異様にぎらぎらしているのが目につく。手になにかを握りしめ、唇をわなわなと震わせていた。
「あーっ、前田!」
 征二郎の声。
 圭一郎が初めて見る、前田の姿だった。
「そいつが妖魔にここまで持って来させていた」
 護宏が言う。
「そうか、やっぱり」
  圭一郎はうなずく。妖魔が二人をずっとつけ狙っていた理由も、気配が消えた理由も、前田が関わっていたとなれば説明がつく。
「なぜだ?」
 顔をゆがめ、前田が口を開く。
「なぜ退魔師なんぞの味方をする? そいつらは妖魔の敵だぞ?」
 前田はどうやら護宏に問うているようだった。
「俺は妖魔じゃない」
「ふん、まだそんなことを言っているのか」
(なんの話だ?)
 圭一郎は注意深く二人の会話に耳をすます。
「おまえ自身もおのれの正体を知らんのだ」
「おまえにわかっているとも思えないが」
 護宏の受け答えがなにか疲れているように聞こえるのは、気のせいだろうか。
「はたしてそうかな?」
 前田は勝ち誇ったように続けた。
「まあいい、じきにわかる。それにそいつらだって気づいているはずだ。おまえの気配にな!」
「……たしかに気づいてるけど、滝は妖魔じゃないよ」
 圭一郎は落ち着いてそう言ってみた。
 どうやら前田は護宏を妖魔だと思い込んでいるらしい。その上で護宏を味方に引き入れようとしたようだ。
 だが護宏が宝珠を持って建物を出ようとしていたということは、前田のもくろみは外れたのだろう。
 護宏の気配の正体は圭一郎にもわからない。だが、前田の前でそれを認めてしまってはいけない気がする。
 恐らく前田が護宏を妖魔だと思う根拠は、凜のそれと同じだ。退魔師の能力で妖魔の気配を護宏から感じ取っているのだろう。
 だからこそ、圭一郎はわざと相手の自尊心を逆なでするような言い方をしてみた。
「あなたには区別できないかも知れないけど、ね」
「くっ……」
 前田がうめく。なにかを握りしめた手が細かく震えている。
 突然、あたりが輝いた。
「!」
 思わず目をつぶる。同時にすぐ近くに妖魔の気配が現れた。
 目を細めながら見ると、部屋の中央でなにかが光を放っている。妖魔なのだと、圭一郎は直感した。まぶしくて直視できないが、光る以外にはこれといって動く様子はなさそうだ。
「征二郎っ! その光ってる奴だ!」
 手にした宝珠を剣に変え、圭一郎は叫ぶ。
「ちょっと待てよ、まぶしくて……」
 あわてたような征二郎の声がしたが、思ったよりも早くに剣が抜き取られる。征二郎が剣を構え、光に向かっていくのが、細めた目にかろうじて見えた。
 征二郎の突きと同時に妖魔の気配が消え、光がおさまっていく。
 妖魔退治は、あっという間に完了した。
 が。
「しまった!」
 先刻と室内の様子が異なっていることに気づいて、圭一郎は叫んだ。
 前田の姿がない。奥の裏口が開いているところを見ると、妖魔を出現させておいてその隙に逃げ出したのだろう。
「あちゃあ、逃げられたな」
 征二郎が宝珠を圭一郎に渡しながら言ったが、さほど深刻そうではない。
(まあ、たしかに捕まえるわけにもいかないしね)
 それに、また妖魔を出されたらかなわない。今日のところはこれでよかったのだろう。
 再び手にした宝珠を握り締め、圭一郎はそう思った。

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