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15 神坐ます場所

3 できすぎた奇跡

 昼休み、図書室で日本神話に関する専門書と格闘していた圭一郎は、不意に立ち上がった。
 校内で妖魔の気配がする。
(まさか、また前田が?)
 妖魔の気配がするととっさにそう思ってしまう。実際には妖魔の出現は珍しいことではないから、前田がらみでない場合の方が多いのだが、自分たちに悪意が向けられ狙われている事態は解決されていないのだから、つい身構えてしまう。
(いや、たぶん違う、かな)
 気配が弱くほとんど動かないことを確かめ、圭一郎は少しだけほっとする。それから本を閉じて元の位置に戻し、まず二年A組に向かった。弟に妖魔の出現を知らせるためだったが、征二郎は教室にはいなかった。
「さっき先生にゴミ捨ててこいって言われてたぜ。日直だからさ」
 堀井が教えてくれる。
(ゴミ捨て場か、ちょうどいい)
 圭一郎は走り出す。妖魔の気配は校舎の裏手、大学への通用門近くから発せられていたが、たしかゴミ捨て場もそのあたりにあったはずだ。
(もしかしたら、征二郎が先に見つけてるかも)
 気づいていたら、今ごろは自分を待っていることだろう。見つけたからといって、征二郎一人で妖魔退治はできないのだ。圭一郎一人でも同じことだが、なんとか二人で妖魔のもとに駆けつけなければならない。
 校舎の裏手にまわり込むと、ゴミ捨て場横にある焼却炉の煙突から流れ出る煙が見えた。
(なんだあれ?)
 煙が不自然な動きをしている。風もほとんどなく、まっすぐ立ち昇るはずの煙が、途中から向きを変え、地面に向かっているようだ。
 煙の真下に、妖魔の気配がする。
 明らかになにかが起こっていた。
 圭一郎は足を速める。散策路のまがりくねった道を抜けると視界が開ける。正面には焼却炉が見えたが、同時に圭一郎の目はよく見知った人物の姿をとらえていた。
「征二郎!」
 征二郎が振り向く。そばにいた教師――確か、国語の安原教諭だ――はじっと煙が降りて行く先の地面を見つめたままだ。
「おー圭一郎、どーしたんだ?」
「え?」
 妖魔を前にしているにしては、あまりにのんびりとした征二郎の反応に、圭一郎は一瞬言葉に詰まる。
「ど、どうしたもなにも、これ見てその反応はないだろうが」
 圭一郎は焼却炉の傍らにいる妖魔を指さす。灰色のタヌキのような姿は、以前一度見たことのあるものによく似ていた。黎明館大学の正門近くに潜み、煙のようなものを吐いて人を惑わしていたムジナタイプ。退治した時、征二郎もその姿を見ていたはずである。
 が。
「あ、これ? 本の神様なんだってよ」
「は?」
「安原先生の論文を本にしてくれてるんだってさ」
「……」
 圭一郎は「神様」にもう一度目をやる。
 どこからどう見ても、妖魔以外のなにものでもない。
「安原先生が、そう言ったの?」
「そうだよ。なあ先生」
「あのなあ」
 圭一郎は思い切りあきれて、征二郎の袖を引っ張り、声をひそめる。
「これ妖魔だってば。ムジナタイプの」
「……マジ?」
「ここで冗談言ってどうするんだよ。退魔師なんだから気づけよな」
 なにげなくそう言いおいて、圭一郎は安原の方を見る。
 真実を知らせなければ。
「先生、あの……」
 食い入るように「神様」を見つめている安原に、圭一郎は言いにくそうに声をかけた。
 「神様」は焼却炉の煙を吸い込んで本の形を吐き出している。それを見て「論文を本にしている」というのだから、論文は恐らく焼却炉の中で燃えている最中のはずだ。論文を焼くのにはそれなりの事情があったのだろう。だが「神様」を見る安原の表情は期待にあふれている。まるで瀕死のわが子を名医が手術で救う場面を見守る親のようだ。
 詳しくはわからないが、もしかすると、今安原にあまりきつい言葉をかけてはいけないのかも知れない。
「なにかね? もうすぐ本が完成しそうなんだが」
「そうじゃなくて、あの」
 いつかは言わねばならない事実だ。
 圭一郎は思い切って、その言葉を口にした。
「それ、妖魔です。幻覚見せるタイプの」
「……」
 安原はあんぐりと口を開け、ゆっくりと圭一郎を見た。
「……じゃあ」
 泣きそうな顔だ。
(そんな顔、僕にされても)
「これ、神様じゃなくて、本も……」
「ええ、幻覚です」
 言いながらそっと安原の様子をうかがう。この一言が彼にとどめをさしてしまったかも知れない、と思った。
「そんなぁ」
 安原は地面に座り込む。
「あの……」
 圭一郎はどう声をかけていいか分からない。
「ずっと、自分の研究が本になってみんなに読まれるのが夢だったんだ」
 ぽつりと安原が言う。
「出版社に送ってもいつもだめで、もうあきらめようと思って燃やしていたら、夢みたいなことが起こって」
「ええ」
 圭一郎は安原のそばに膝をつき、問わず語りを聞く。なぜこんな状況になっているのかよくわからないが、安原をなだめないことにはどうもこの妖魔は退治しづらい気がしていた。
「でも、やっぱりだめなものはだめなんだな……」
「先生、自費出版とかありますよ?」
「?」
「自分でお金出して本にできるそうです。あとネットで公開して見てもらうとか、方法はあると思います」  
 どこかで聞きかじったことをとりあえずしゃべってみる。
「せっかく書いたんだから、いろいろ試してみましょうよ。出版社に出してもらうだけが唯一の道じゃないでしょう?」
「そうか……そうだな」
 安原の表情が少しだけ明るくなったのを見て、圭一郎はほっとした。
「征二郎、退治頼む」
「……ああ」
 征二郎の反応がわずかにいつもと異なるような気がしたが、剣を取り、妖魔を斬る様子はふだん通りだったので、圭一郎はさほど気にしなかった。
 征二郎の剣が振り下ろされると、煙を吐いていた妖魔とともに、吐き出した本も消えていく。
(それにしても、本を出したかった先生のところに妖魔が現れて本を作ったなんて、できすぎてるな)
 そうつぶやいて、あれ、と思う。以前にも同じようなことを口にした覚えがあった。
 ――眠くなる授業に人を眠らせる妖魔が出現するなんて、なんかできすぎてる。
 あれは、安原の授業に妖魔が出現した時のことだ。あの妖魔は宝珠兄弟が発見した新種ということになっていたが、データベースを見るかぎり、あれ以来同種のものが出現したという報告はない。
(また、安原先生が?)
 これが偶然であるとは、圭一郎には思えない。
 圭一郎は安原に尋ねてみることにした。
「先生が、願いのかなうなにか、とか持ってませんか?」
 今回の妖魔はまるで安原の願いをかなえるために出現したように思える。知ってか知らずか、前田の持つ摩尼珠のようなものを安原が持っているのではないか――圭一郎はそう推測していた。
「願いのかなうなにか?」
 安原はズボンのポケットを探り、つかみ出したものを圭一郎に見せた。金色の亀だのお守りだのコインだの、それらしいグッズが掌に乗せられている。
「これ全部そう。まだあるよ」
「全部?」
「こういうの集めるのが好きなんだ。通販とかでね」
「……」
 開運グッズのコレクターだったのか。
 脱力しそうになるのをこらえつつ、圭一郎は問いを重ねる。
「こんな感じの珠はどうですか?」
 見せたのは、征二郎から受け取ったばかりの宝珠である。
「珠ねえ、たしかどこかにあったような……ああ、これかな」
 ワイシャツの胸ポケットから取り出したのは、パチンコ玉ぐらいの大きさの透明な珠だった。
(やっぱり)
「これはいつ?」
「さあ……夏にいろいろ買ったから、その時じゃないかなあ」
 夏であれば教室での妖魔騒動よりも前だ。はなはだ心もとない返事だが、どうにか圭一郎の仮説を裏付けてはいる。
「これがどうかしたのか?」
「たぶん、それが妖魔を呼んでいるかなんかするんじゃないかと」
 出現した妖魔がどこからか引き寄せられてきたものなのか、それとも新たに誕生したのかはわからない。妖魔がなぜ出現するのかさえ、そもそも知られていないのだ。だが、前田は摩尼珠を使って妖魔をとらえ、操っている。
「これが妖魔を?」
 安原は気味悪そうに珠に目を落とした。
「そういうグッズじゃないですよね?」
「そりゃそうだよ。ああ思い出した。確か運が開ける水晶だって売ってたやつだな」
「どこでですか?」
「えーと、海浜公園の土産物屋だったかなあ。で、これ持ってるとまた妖魔が来るのか?」
「来るかも知れませんねえ」
 確証は持てないが、この珠が摩尼珠のたぐいであるならば、その可能性はある。
「そりゃ困る。そうだ、君たちにあげるからなんとかしてくれよ」
「えっ」
 珠を押しつけられ、圭一郎は戸惑う。
「僕たちだってなにも」
「いいっていいって、退魔師だろう? じゃ、頼むよ」
(なにがどういいんだ?)
 安原は厄介払いができたとばかりにそそくさと校舎の方へと戻って行く。
 圭一郎は押しつけられた珠に目を落とした。
(まあ、また妖魔騒動になるのも困るしな)
 自分が持っていたほうが、まだましだろう。
(とりあえず滝に見せてみるか)
 護宏に見せれば、なにかわかるかも知れない。少なくとも「封印の数珠」かどうかは判断できる。「封印の数珠」であれば、前田の手に渡る事態は避けねばならない。より完全な「摩尼珠」になって前田の願いがかなってしまったら、大変なことになる。
「ついでに海浜公園の店もチェックしないとな。……征二郎?」
「……ん」
「?」
 圭一郎は顔を上げて征二郎を見る。ややうつむき加減にたたずむ姿は、どこか元気がないように見えた。
「どうかした? さっきから」
「なんでもない」
 一言、そっけない返事が返ってくる。
「なんでもないって、なんか変だよ? なにかあった?」
「うるさいな! 放っといてくれよ」
 征二郎はそのまま振り向きもせず校舎の方に歩み去ってしまい、圭一郎は一人取り残された。
(征二郎?)
 十七年間一緒にいて、征二郎があんないらだった様子を見せたことなどほとんどない。それだけに圭一郎は、どうしてよいのか分からなかった。
(そっとしといた方がいいのかなあ)
 原因はなんとなくわかる気がする。「本の神様」が妖魔だと気づかなかったことだろう。それまで彼の様子はいつもと変わらなかったのだから。
 だが、あの征二郎がその程度で落ち込んでしまうのだろうか? あるいは、自分がなにげなくかけた言葉が、なにか彼にとって「その程度」では済まない痛烈さをもってしまったのだろうか。
「まいったな」
 思わず、声に出してつぶやいた。
「どうしたらいいんだよ」
 昼休みの終了を告げるチャイムが鳴る。だが圭一郎はしばらくその場から動けずにいた。

  (第十五話 終)

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