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17 くらげなす妖魔漂う町

2 妖魔と人の世

 翌日、黎明館大学の学生食堂。
 圭一郎と征二郎が足を踏み入れると、吉住が手を振っていた。
「悪かったね、試験前なのに」
「いえ、僕からお願いしたことですし」
 圭一郎はそう答え、吉住の前に腰をかける。昨夜吉住からの電話で、調べていた件について判明したことがあると聞き、すぐに詳しい話を知りたいと答えたのは自分だ。
「おまえは勉強できるからいいんだよ」
 クラスメイトたちからかき集めたノートのコピーを手に、征二郎が言う。試験前だけ勉強するタイプの彼は、この時間が惜しくてしかたがないのだろう。
「ちょっとだけ我慢しろよ。試験中だからって遠慮してくれるとは限らないんだぞ。奴も妖魔も」
「わかってるってば」
「はは、じゃあ手短にいこうか」
 吉住はファイルを片手に切り出した。
「前田浄蓮という人物は、退魔師登録はしていないみたいだね。データベースのログには見つからなかった。現在どこにいるのかも不明だしね。けど、木島さんにも連絡を取ってみて、わかったことがあるんだ」
「わかったこと?」
「彼は真言宗の僧侶なんだね。冥加岳の麓にある那神寺という寺にいたことがあって、その時に退魔の術の使い手だということが確認されている」
「!」
 二人ははっとして顔を見合わせた。
 那神寺といえば、「くらやみ祭り」――「エンゲンサマ」の伝承を残す奇祭――をとり行っている寺だ。その上、護宏の「記憶」に引っ掛かる寺でもある。
 ここでまた那神寺が出てくるのは、偶然なのだろうか?
「那神寺に、いつ頃?」
「うーん、二年ほど前までらしいね。今は寺とは連絡を取ってないみたいだよ」
 圭一郎は慎重に考えをめぐらした。二年ほど前ということは、那神寺が改築される直前ということになるだろう。
(待てよ、記録と仏像がなくなったのもその頃だったっけ)
 那神寺の秘仏とともに失われた、創建当初の記録。
「なあ、やっぱりあいつが持ってったんじゃないか? 如意宝珠」
 征二郎の言葉に、圭一郎はうなずいた。
 行方知れずの秘仏は「願いのかなう仏像」と言われてきた如意輪観音像である。如意輪観音は願いをかなえる如意宝珠――摩尼珠を持つとされる仏だ。
 そして前田は、摩尼珠を持っている。
(秘仏にも「封印の数珠」が使われてたかもしれないってことか)
 前田が集め、妖魔を合成したり操ったりするのに用いている摩尼珠。護宏やナギによれば、それは百八に分かれた「封印の数珠」と呼ばれるものらしい。そのうちの一つが秘仏の如意宝珠として使われていて、前田がそれを手に入れた――征二郎はそう言いたいのだろう。
「可能性は高いけど、あいつが持ち出した証拠があるわけじゃないからなあ」
(でも、二年前に那神寺にいたのなら、少なくとも記録を読むことはできたかも知れない)  
「くらやみ祭り」では、心が闇にとらわれた人は「エンゲンサマ」に呑まれると言われている。平安時代に「エンゲンサマ」に呑まれ、異形の姿に変じた人物は、宝珠家の先祖に退治された――つまり、妖魔になってしまったらしい。
 人が妖魔になる、などということが本当に起こりうるのか。そもそも妖魔とはいったいなにか。失われた記録には、そういった謎の手掛かりがあるはずだ。少なくとも妖魔についてなんらかの情報があってもおかしくない。
 それを前田が読んでいたのであれば、妖魔について二人が知らないことを知っているかも知れない。
 あるいは、摩尼珠で妖魔を操る方法が書かれていたという可能性もあるだろう。
「ん? 持ち出したってなんのこと?」
 二人の会話を聞きとがめた吉住が尋ねる。
「ええと、那神寺で去年ぐらいに仏像と古文書がなくなったらしいんですけど、ひょっとしたら、と思って」
「なくなった? それは聞かなかったなあ」
「まあ、そりゃそうですよね」
 吉住はあくまで前田という人物について調べていたのだ。関連するかどうかわからない事件についてまでは知らなくても無理はない。
「その、なくなった仏像とかがどうかしたの?」
「ええと、仏像は『願いのかなう仏像』って言われてたみたいなんですけど、前田が妖魔を操ったり合成したりするのに使ってる珠も『願いをかなえる珠』らしいんで、もしかしたら関係があるのかな、って」
 「エンゲンサマ」の話は避ける。人が妖魔になる可能性、などという不穏なことは、確信がない状態で言うべきではないと思ったからだ。
「だったら、那神寺に盗難届を出してるかどうか問い合わせてみるよ。届が出ていたら、警察が彼の居場所を探してくれるかも知れない」
「そうですね、お願いします」
 吉住の提案に、圭一郎は一も二もなくうなずく。所在のわからない人物を探すのに警察の手が借りられるなら、これほど心強いことはない。
 話が一段落したと判断したのか、吉住は話題を転じた。
「あと、この間の研究会の発表資料。コピーしておいたからあげるよ」
 手渡された紙の束に、圭一郎は目を走らせる。
「なんか専門的なんですけど……」
 発表資料は日本語だが、意味のよくわからない数式や用語ばかりだ。半ば音をあげつつ圭一郎は、研究会の内容をかいつまんで話してくれ、と暗に吉住に求めてみる。
「あ、たぶんこの内容は理解してなくていいから。そもそも僕もよくわからないし」
「は?」
 思わず拍子抜けした声が出た。
「要するに、妖魔を撮影するのに比較的有効な方法が見つかったってことなんだ」
 妖魔は映像に映る場合もあれば映らない場合もある。どういう条件があるのかは、今まで明らかではなかった。
 吉住は続ける。
「その映像から特性を分析すれば、対策ができるようになるかも、ってね。何体かの妖魔で成功したみたいだから、その結果わかった特性をデータベースに載せていくことになったんだ。細かい原理がわからなくても、結果を共有できればいいんじゃないかな」
「へえ、なんか便利そうじゃん。どんな特性がわかるんだ?」
 征二郎の問いに、吉住は発表資料の中ほどの図を指す。
「たとえば、カマイタチタイプは広範囲を移動するけれど、地面から一メートルほどの高さにあるものしか襲わないから、被害を免れるには伏せたり高いところに上がったりしたらいい、とか、ムジナタイプの見せる幻は強い風で散らせる、とか」
「……そんなものですか」
 妖魔の出現をおさえたり退治したりする方法を期待していた圭一郎は、さらに拍子抜けする。
「なにがっかりしてんだよ、すごいじゃないかこれって」
 圭一郎の様子に、征二郎は意外そうだという口ぶりだ。
「どこが?」
「だってふつう、そんなことわかんないだろ。だから知ってたら被害をおさえられるじゃん。警察の人とかすごく助かるしさ」
「……!」
 危うく忘れかけていた。
 ふつうの人は、妖魔の気配など感じ取れはしないのだ。
「妖魔が増えているからね、君たちの手がまわらないところをなんとかしていかなきゃいけないんだ。そのために役立つ情報だと思うよ」
「そう……ですね」
「ほかにも、退魔の術が使えなくても妖魔をなんとかする試みはいろいろされてるんだよ」
「たとえば?」
「入江さんが教えてくれたんだけど、金剛署では妖魔のトリガーになる周波数の音波を探知して位置を特定するシステムを開発中らしい。オブジェタイプの妖魔の出現を止めるのに役立つだろうね」
「へえ、なんかすごそう」
 征二郎が感嘆した声を上げる。
(たしかに、僕たちだけで退治していたらきりがないものな)
 警察が、あるいは民間の人々が、限られた範囲とはいえ妖魔の出現を抑えたり行動を制限したりしてくれるのであれば、彼らとしても大いに助かる。
 が、一番必要なことには、技術はまだ追いついていない。
 そんな苛立ちが、つい嫌味のように口をついて出てしまう。
「気配がわかる装置とかあったらいいんですけどね」
「……そんなに、増えてるの?」
 吉住が心配そうな顔でこちらを見ているのに気づいた。大人気ない発言を真に受けられたような気がして決まりが悪かったが、妖魔が増えているのは事実だ。ここ一か月ほどは特に増え方が著しい。
「ええ。今も市内だけで四、五体出ているみたいです」
 以前は数日に一度気配を感じる程度だった。だが今では、気配をまったく感じないことの方が珍しくなっている。
 今この瞬間も、圭一郎には市内に出現している妖魔の気配が感じられる。あまりに多すぎるので、怪現象になりそうにない弱い気配のものは意識しないようにしているほどだ。
 できればひとつひとつ退治にまわりたいが、とてもそんな数ではない。近くである程度はっきりしているものには駆けつけるが、その他の気配に対しては警察から退魔要請の連絡がくるのを待つ。そうせざるを得ないほどに妖魔の気配は増えていた。
「たしかに退治記録の登録はすごいことになってきてるけど、圭一郎君が気配を感じているのはもっと多いのか」
「はい」
「そうだなあ、最近のは自然発生のやつだけじゃないし」
 吉住が言っているのはオブジェタイプや「すいとるぞう」のような妖魔のことだろう。出現させる方法がネットなどで出回り、おもしろがってか犯罪目的か、実際に出現させようとするケースがあとを絶たない。ただでさえ増加傾向にある妖魔が、人為的にさらに増やされる。それらを退治できる退魔師は限られているし、その技術を他に伝えることもできない。
「どんな装置を作っても、故意に妖魔を出現させる人を止める効果はないんだよね、残念だけど」
 吉住はため息まじりに続ける。
「それは妖魔を退治するシステムじゃなく、人の社会システム――法とか行政とか共同体とか――の役割なんだ」
「ですね……」
 たしかに、ネットのアングラ系に流れる情報を規制したり、その情報を実践しあたりすることを抑止するのは難しそうだし、退魔師の関与する問題ではない。なのにそのせいで、自分たちが迷惑をこうむっている。
(なんか腹立ってきたな)
 なんだって自分がそんなところまで気をまわさなければならないのだ。
「じゃ、そーいうのをやってる人に任せたらいいんだ」
 征二郎が気楽なことを言う。むっとした圭一郎はつっけんどんに返す。
「そんな簡単なことじゃないだろ」
「だって俺たちにはどうしようもないじゃん」
「だからってそんな無責任な……」
「いやいや、征二郎君の言ってることは正しいと思うよ」
 吉住が圭一郎をなだめるように割って入る。
「そういう人がなにもしてないわけじゃない。妖魔被害拡大防止条例って知ってる?」
「いえ……」
「人為的に妖魔を発生させたり、情報を流したりするのを取り締まる条例でね、いくつかの県でもう施行されている。この県でも次の議会あたりで取り上げられるはずだよ」
「……」
 圭一郎は少なからず驚いていた。自分の手がまわらないところで動いている事態がある。それは必ずしも悪いことばかりではない。考えてみれば当然のことなのだが、思い詰めるあまりに目に入らなくなってしまっていたようだ。
「だからさ、俺たちは俺たちしかできないことをやろうぜ。真言だってあるし」
「うん……」
 「呪」で伝えられていた真言。調べてみると、軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)という南方を守る明王を表すらしいことがわかったが、妖魔を退治する力があるという記録は見当たらなかった。それでもその威力を、圭一郎は実際にその目で見ている。事実として受け入れないわけにはいくまい。
「なに沈んだ顔してるんだ? 大丈夫、なんとかなるって」
 征二郎が気楽そうな声で圭一郎の肩を叩く。 そこまで簡単に割り切る気分にはなれなかったが、圭一郎はなんとかうなずいてみせた。

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