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18 不可視の妖魔

1 困った出現

 十二月にしてはあたたかい午後のことだった。
「あ、よ……よく来てくださいました」
 圭一郎のノックに応えて金剛市警察署内の小会議室の扉を開けたのは、警察官の入江である。
「お呼び立てして……どうもすみません」
 かぼそい声で、入江は圭一郎と征二郎の二人を会議室に招き入れた。机の上には開いたノートパソコンと写真、資料らしきファイルが散らばっている。
「す、数日前から珍しい妖魔が出て、困っていて……」
「数日前? どのへんで?」
 圭一郎がすかさず尋ねる。
(たまってるから、気になってるんだな)
 圭一郎の様子を見て、征二郎はそう思った。
 今日は定期試験の終了日。学校から警察に直行した二人は制服姿である。
 試験期間中、退治しきれない妖魔がそこかしこにたまってしまった。圭一郎は気配がするのに退治に行けない状態に、ずいぶんいらいらしていたようだ。
「こ、このへんじゃないです……若菜町の方で……」
 入江は散らばった資料の間から県内の地図を引っ張り出し、指をさしながら説明する。若菜町は金剛市の東部にある海沿いの地域だ。
「これまでにないタイプで……い、一回の出現時間が短くて、出現と潜伏を繰り返しながら移動しているようなんです」
 妖魔の説明をしていると、入江の口調がだんだんはっきりしてくる。
(わかりやすいなあ)
 征二郎はそう思った。
「これが出現箇所です」
 入江は地図の上に透明なシートを重ねる。シートにはマジックでいくつもの×印と日時が書き込まれている。地図に重ねて出現場所の記録を取ったもののようだ。
「これは……」
 圭一郎がつぶやく。征二郎の目にも、若菜町のあたりに集中して出現している様子が見てとれた。
「このあたりばかりで?」
「そ、そう、なんです。被害もかなり出てきて……」
「被害?」
 征二郎は聞き返す。
「そうだ。先にそっちを聞くべきだったんだ。出現するだけなら僕たちを呼ばなくても済むだろうし」
 圭一郎のつぶやきが聞こえる。たしかに「困った」妖魔なのだから、なんらかの被害が出ているはずだ。だがどのように「困った」妖魔なのかはまだ聞いていない。
 説明しにくい妖魔、ということなのだろうか。
「どんな被害なんですか?」
 圭一郎が尋ねると、入江は困ったように頭をかいた。どうやらどう説明してよいかわからないらしい。
 ややあって。
「えー、一応迷惑型なんですが……人を襲って、その……駄目にする、という」
「駄目にする?」
 よくわからない。
 圭一郎も首をかしげている。
「なんですか? それ」
「ええと、その……駄目な人になってしまうんで」
 入江も説明しかねている様子だったが、ふと思いついたようにパソコンを操作し、音声ファイルを開く。
「だから、なにがあったか説明してくださいってば!」
 苛立った若い男性の声が、会議室に響いた。
「えー、まあいいじゃん。めんどくさいしー」
 だらけた感じの男の声は、声の質から考えれば中年から壮年のものだ。
「よくありません! いいですか? あなたは例の妖魔を退治するために現場へ向かった。その後なにがあったんです?」
「んー、なんかあったかなー。それよりおなかすいたんだけど」
 若い男が深々とため息をついているのが聞こえた。
 録音はそこで終わっている。
「この人は……その、退魔師なんですが」
「妖魔に襲われて駄目になってしまった?」
「はい」
 圭一郎の問いに、入江はうなずいた。
「えー、なんか話がよく見えねえ」
 征二郎にはまだ音声ファイルの意味がつかめていない。
「だからさ、退魔師の人が問題の妖魔を退治に行って、逆に襲われてああいういいかげんな感じになっちゃった、ってことじゃないかと」
 圭一郎が入江の方を見ながら説明する。入江がこくこくとうなずいているところを見ると、おおむね正確な理解だったらしい。
「ああ、なんだ、あんな話し方の人じゃなかったんだ」
 思ったままを口にした征二郎は、圭一郎ががっくりと机に両手をついているのを見て首をかしげる。
「あれ、どうしたんだ? 圭一郎」
「……いい、なんでもない」
「?」
「あ、その……要するにこんな被害が出ている妖魔なん……です」
 入江があわてて話をまとめる。語尾が消えかけていたのは、人の会話に割って入って場をなだめるなどという、ふだんあまりにし慣れていないことをとっさにしてしまったからだろうか。
「ただ、被害報告ばかりで、妖魔の性質などは、まだ……」
 入江がつけ加える。
 まとめきれていなかったらしい。
「出現の傾向とか、襲われやすい人の特徴とかあります?」
 圭一郎が気を取り直したように尋ねた。
「それが、すぐ消えてしまうし、襲われた人がみんな駄目になってしまうのでよくわからなくて。この日時も駄目になってしまった人の発見場所と時刻からの推測なんです。ただ……」
 入江は途中で言葉を切る。いつもの控えめすぎる態度なのか、なにか言いよどんだのか、征二郎には区別がつかなかった。
 ややあって、入江は続ける。
「近くにいる退魔師に向かっていくようなんです」
「退魔師?」
 そういえば音声ファイルの男も退魔師だった。
「だから今まで退治できなかったんだ」
 圭一郎がつぶやくように言う。
「はい……し、しかもそれでほかの妖魔退治も滞ってしまって……」
「それで、僕たちが呼ばれたわけですね?」
「そうなんですが……その、お二人まで襲われてしまうと」
「それは……」
 圭一郎が考え込んでいる。
 既に被害に遭った退魔師がいるということは、自分たちも決して安全ではない。そう思ってあれこれ対策を練っているのだろう。
「なに考え込んでるんだよ。まず見に行けばいいだろ?」
 征二郎はそう言った。実際に見てみないことには対策など取りようもない。ここで考え込んでいてもしかたがないだろう。
「無謀だよ。危険なところになにも考えずに突っ込んでいくのは」
「だって、見なかったら考える材料もないんだぜ?」
「それはそうだけど」
 圭一郎はしばし考え、顔を上げた。
「わかった。被害に遭わない程度にできるだけ近づいてみよう。件数が多いのはこのへんかな」
 圭一郎は広げられたままの地図を指さす。若菜町の中心、中若菜駅付近のオフィスビルが多く立ち並んでいる地域だ。少し海側へ行けば大企業の工場もある。
「気配は?」
「ほかにもたくさん出てるから、今はごちゃごちゃしててわからないんだ」
 圭一郎は顔をしかめる。几帳面な彼にしてみれば、こんな片付かない状況はさぞストレスがたまるのだろう。
「とにかく行ってみよう」
 二人が立ち上がりかけた時。
「ん?」
 携帯電話が振動している。征二郎はポケットから携帯電話を取り出し、画面に目を走らせた。
「父さんから?」
 父親が電話をかけてくることはあまりない。怪訝に思いながら、征二郎は電話に出てみる。
「はーい、征二郎でーす」
「おう、今、二人一緒か?」
「うん。どうかした?」
「優兄さんが妖魔に襲われたんだ」
「えっ」
 すぐには返事が返せない。
「それで困ったことになってるんだが……ちょっと中若菜駅まで来られないか」
「三十分ぐらいで行けると思う。駅のどこ? 南口……わかった。じゃあ待ってて」
 とりあえずそう返して電話を切る。
「どうした、征二郎?」
「優伯父さんがその妖魔に襲われたっぽい。父さんが中若菜駅に来てくれってさ」
「伯父さんが?」
 圭一郎もさすがに驚いた様子を隠せない。
「なんか、困ったことになってるって」
「まさか……」
 圭一郎の表情が曇る。なにを思い浮かべているのか、征二郎にもなんとなくわかる気がした。

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