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20話 淵源・後編

2 哄笑の空間

「手間をかけさせたなあ! だがこれで成功だ。おまえはもはや自由には動けんのだよ」
 前田は勝ち誇って掌中の摩尼珠を見せる。
「妖魔のついでに操ろうとするから失敗だったんだ。おまえだけに絞って弱ったところをねらえば、不完全な摩尼珠でも十分なんだよ」
(そんな……)
 圭一郎は自分たちが前田の思惑に乗せられていたことに気づいて愕然とした。
 前田が自分たちを戦わせたのは、自分たちではなく護宏を痛めつけさせるためだったのだ。護宏を弱らせ、摩尼珠で操るために。
  そして前田は、その目的を果たしてしまった。 今の護宏は、摩尼珠に縛られた状態にある。
 ばかな、と思う。護宏の封印の数珠がある限り摩尼珠は不完全だし、封印の効力の範囲内でしか使えないはずだ。現にこれまで「願いのかなう」はずの摩尼珠は結界をつくって妖魔をとらえ、あやつる力しか持っていない。
 その摩尼珠に護宏が自由を奪われているということは……。
 ひとつの考えが浮かび、圭一郎は戦慄した。
(数珠が封印していたのは、滝だったのか?)
 願いがかなう珠を百八の数珠に分け、厳重に封印せねばならなかった存在。
 護宏が、そういうものだというのだろうか。
「なにを……企んでいる」
 ひざをつき、苦しげに息を吐きながら、護宏が問う。
「摩尼珠の完成は目前だが、最後のかけらがどうしても見つからんのでね。その前に淵源の力を手に入れておきたいのさ」 
(淵源?)
 圭一郎は聞きとがめる。
 「くらやみ祭り」に伝えられる、人を呑み、妖魔に変えてしまうというエンゲンサマ。
 沙耶のメモにあった、「欲塵淵源にて色をなし、諸々の禍事の種となるべし」という記述。
 なにかまがまがしい印象はあるが、はっきりとした姿は浮かばない。
 その「淵源」について、前田はなにか知っているというのだろうか。
「淵源は妖魔を生み出す。生み出された妖魔を、完成させた摩尼珠で操る。そして地上を浄化するんだ。おまえはその鍵なんだよ!」
「そんなことのために……沙耶をさらったのか」
「なに、あの娘にはもっと大事な役目があるぞ」
 前田は意味ありげににんまりと笑ってみせた。
「平安時代、淵源が一度だけ目覚め、世界は闇に落ちた。目覚めの鍵は、巳法の社に捧げられた生贄の娘。娘を犠牲にして、社にまつられた神が淵源を呼び覚ましたんだ」
「……」
 生贄の娘、という言葉に、護宏の肩がぴくりと反応した。
「おまえはその神――巳法川の化身、稚美豆薙津別(ワカミヅナギツワケ)なのさ。さあ、私のためにあの娘を生贄にして再び淵源を呼び覚ませ!」
(!)
 前田の口から出た名前に、圭一郎は驚く。
 宝珠を剣に変じる「呪」の中にある神の名。沙耶が読み解いた「呪」の記録によれば、その神が退魔の宝珠を先祖に与えたのだという。
(それが護宏だって?)
 たしかに、彼の「記憶」に残る場所は巳法川流域であることが多い。
 だが。
「違う」
 声を出すのもやっとといった調子で、だがはっきりと護宏が否定する。
「俺は……ナギじゃない」
(!)
 瞬間、圭一郎の脳裏に、金色の目の子供の姿がよぎる。
 護宏を見守り、つき従う者。妖魔と似た気配を放つが、妖魔とは異なる存在だと主張する。
 たぶん正しいのは滝だ、と、圭一郎は思った。
 年をとらない姿、川の水を操る力――それに、宝珠を受け継いでいると分かって宝珠兄弟への態度を軟化させたこと。
 ワカミヅナギツワケとは、ナギのことなのだ。
 だが、そのナギが従う護宏は、それでは何なのか。
 なによりも恐ろしいことは、川の化身を従えるような存在を操るすべを、前田が手に入れつつあることだった。
(このままじゃだめだ! なんとかしないと……)
 圭一郎はじりじりする気持で事態の経過を見つめていた。
 摩尼珠が護宏を操ることもできるのかはわからない。まして前田の命令は、沙耶を生贄にしろ、というものだ。護宏が沙耶を傷つけるようなまねをするはずはないと思いはするが、圭一郎は先刻の凜の言葉を覚えている。
 ――古文書を見せてもらったのよ。那神寺っていうお寺のね。淵源の封印ってのが巫女の犠牲で解かれて、この世を闇で覆ったそうよ。あいつはその封印をもう一度解こうとしている。沙耶を使って。
 封印を解きたがっていたのは前田の方だった。そして護宏に封印を解かせようとしている。
 前田は凜をだまして協力させたが、那神寺の古文書のくだりは、前田自身が語った内容と同じだ。その部分については嘘を言ったわけではないということがわかる。少なくともそんな記録が存在していたのは確かだ。
 どこまで前田の思惑どおりになるのかわからないが、そうなってしまってからでは遅い。なにより、護宏が持つ数珠に前田が気づき、摩尼珠が完成してしまえば、地上は「浄化」されてしまうのだ。
 前田を止めなければ。
 圭一郎は懸命に方法を探した。
 だが、打つ手がなさすぎる。
 この事態を解決するためにどこから手をつけてよいのか、彼はどうしても決めることができなかった。

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