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21話 止まらない日常

2 いつもの朝(上)

「白い粒?」
 通学の途上、征二郎が聞き返してくる。
「うん。妖魔を退治した瞬間に落ちてたみたいだけど」
 剣で妖魔を退治するのは征二郎だから、吉住のメールにあった「粒状のもの」に気づいているかも知れない。
 が、征二郎は首を横に振る。
「わかんないや。あんまり注意して見たことなかったし」
「僕もだ」
 圭一郎は歩きながら、携帯電話に表示された吉住のメールを見直す。
「ビデオでよく見ないとわからないものみたいだし、次に退治する時にちょっと気をつけておいて」
「わかったー。あ、今日来たメールってそれだけ?」
「それだけ」
 なにを期待しているのかは大体わかっていたが、圭一郎はあえて簡潔に答えてみせた。
 が。
(待てよ)
 なにげないやり取りの中に、ふっと違和感のようなものを感じて、圭一郎は立ち止まる。
「どうした?」
「変じゃない? メールが吉住さんからだけって」
「だよなー。返事ぐらいしろっての」
「そっちじゃなくて」
 圭一郎は違和感をなんとか言葉にしようと試みた。
「昨日、出水さんが妖魔にさらわれて、僕たちは警察に呼び出されて探しに行ったんだよな」
「うん」
「その途中で吉住さんに問い合わせたり、リンリンさんと電話で話したりしたよな?」
「それで?」
「なんで誰も経過を聞いてこないんだ?」
 昨夜、青葉台の廃工場から帰宅した時、圭一郎は警察への報告を忘れていた。一連のできごとに頭がいっぱいで、それどころではなかったのだ。
 警察も、沙耶を案じていたはずの凜も、沙耶の安否が気にならないはずはない。報告がなければ、圭一郎たちに尋ねる、あるいは少なくとも報告を促してきてもおかしくはない。いやむしろその方が自然だろう。
 それなのに、誰も経過を尋ねてきていない。
 圭一郎はふたたび吉住のメールに目を走らせる。昨日のできごとについては一切触れられていなかった。
「偶然なのかな。でもふつう気にならない?」
「うーん」
 征二郎も首をひねる。
「あ、じゃあリンリンさんに電話してみたら?」
「そうだね」
 圭一郎は携帯電話の着信履歴を表示させた。凜の番号が一番に表示される。時刻は昨日の夕方、沙耶の行方を探していた時のものだ。
 電話はすぐにつながった。
「もしもし」
「圭一郎? 朝からどうかした?」
「え?」
 凜の第一声に、圭一郎は虚をつかれた。
「どうかしたって……ほら、出水さんのことで」
「沙耶? 沙耶ならさっき会ったけど?」
 凜の様子は、圭一郎が想像していたものとはあまりにかけ離れていた。
 ひどく当惑しつつ、とにかく尋ねてみる。
「彼女、どんな様子でしたか?」
「べつにいつも通りだったけど? なにかあったの?」
「なにかって昨日……」
 圭一郎は口をつぐむ。昨日のできごとを凜に言ってよいのかわからない。
「昨日? あ、そうだ」
 凜がなにかを思い出したような声をあげたので、圭一郎ははっとする。
「昨日あんたのところに電話した履歴が残ってるんだけど、かけた覚えがないのよね。間違えてボタン押しちゃったんだと思うけど、もしかしてそれでかけてきてくれたの?」
「え、ええ。そんなところです」
 とっさにそう返事してしまったのは、凜に昨日のできごとを説明しても無駄だと思ったのと、電話を切ってこの事態を考えたかったからである。
「悪いわねー。手間かけさせちゃって」
「いえ、いいんです」
 電話が切れた後、圭一郎はしばらく当惑のただ中に立ち尽くしていた。
(どういうことだ?)
「圭一郎、リンリンさんなんだって?」
「覚えてなかった」
「は?」
「リンリンさん、覚えてなかったんだ。出水さんがさらわれたことも、僕たちに電話したことも」
「えー? そんなことってあるのか?」
「実際忘れてるんだからしょうがない……」
 途中まで言いかけた時、圭一郎の脳裏にひらめくものがあった。
(まさか、リンリンさんだけじゃなくて警察や吉住さんも……)
 戦慄がじわじわと足元から這い上ってくる。
「あいつだ」
「なんだって?」
「あいつが……みんなの記憶を消したんだ」
「あいつって誰?」
 征二郎の問いに圭一郎は答えず、歩き出す。
 世界が気づかぬうちに、なにものかによって手を加えられている。いや、なにものかは分かっていた。あの瞬間まで、同級生であったはずの存在。負傷もするし血も流す、ふつうの人間であったはずの――。
(そうだ、僕は……)
 護宏に木刀を振るった時の感覚を、圭一郎はまざまざと思い浮かべた。あのとき彼に与えたダメージは相当なものだっただろう。
 恐ろしい気配を放ち、妖魔を消し去り、記憶までも操ってしまう存在となった今、彼は圭一郎のあの行動をどう思っているのだろうか。
 考えたくなかった。
 だが学校に着くまで、それが圭一郎の頭から離れることはなかった。

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