[index][prev][next]

21話 止まらない日常

4 願いをかなえるもの(上)

 放課後。
「で、やっと話が聞けると思ったんだけどな」
 だれもいない二年A組の扉の前で、圭一郎はぶつぶつとつぶやく。
「護宏、部活だからしょーがないじゃん」
 大して気にしていない様子の征二郎が暢気に返した。
「そりゃ、べつにさぼれと言ってるわけじゃないけど、ちょっと待ってくれてもいいだろうに」
(本当に、いつも通りに行動してるんだな)
 護宏はもはや、昨日までの彼ではない。それでも今までの習慣を変えるつもりはないようだ。
 いや。
(きっとわかっててやってるんだ)
 昨日なにが起きたのか。圭一郎たちがそれを知りたがっていることを、彼が知らぬはずはない。
「それにしても、あいつがいつも通りで気にならないわけ?」
 考えてみれば、昨日のあんなできごとを経験しておきながら、大して気にしている様子も見せない弟も、圭一郎には理解しがたい。
「ならない」
 征二郎の返答は簡潔かつ明快だった。
「なんで?」
「そりゃ、あのとき何があったのかは気になるけど、あいつ、別になにも変わってないし」
「変わってないわけないだろ?」
「あー、気配とかその辺はわかんないけどさ、やってることはいつも通りだよ」
「はあ? どこが?」
「だってさ、さりげなく妖魔退治のフォローしてくれるのって、いつものパターンじゃん」
「教室で授業受けながら声だけ人の頭の中に届けてくるのが?」
 圭一郎は納得できない。たしかに彼の空間を超越した助言のおかげで妖魔を退治することはできた。だがそれゆえに彼が今までと変わっていないとは、どうしても言えない気がする。
(聞いてない征二郎にはわからない、か)
 征二郎は気配も感じていないし、あの声も聞いていない。だからこんなふうに軽く考えられるのだろう――そう圭一郎は結論づけた。
「とにかく、ここで待っててもしょうがないよ。今日は帰ろう」
 圭一郎はどこかあきらめたような口調で、そう言った。
 図書室で征二郎を待たせ、借りていた本を返却して校舎を出る。
 正門に向かう道で、征二郎があっと声をあげた。
「出水さんだ!」
 見ると、門柱にもたれるように、オフホワイトのコート姿が見える。 
(出水さんは、昨日のことを覚えているだろうか)
 昨夜、護宏に連れられてあの場から消え去った沙耶。
 見たところいつもと変わらないように見えるが、凜のように記憶を失っているかも知れない。
「出水さーん」
 圭一郎がためらっている間に、征二郎が手を振って呼びかけている。逡巡もなにもあったものではない。
「あっ」
 沙耶はすぐに二人に気づき、軽く一礼した。
「えーと……」
 圭一郎はなにから切り出そうか迷ったが、先に沙耶が口を開く。
「昨日はどうもありがとうございました。あの、先に帰ってしまってすみません」
(先にって……)
「はは……ちょっと特殊な帰り方だったから……びっくりした、かな」
 圭一郎は、それだけ言うのがやっとだった。
「あのあとどうしたの?」
「ええ、護宏と少し話して……送ってもらって帰りました」
 征二郎の問いに、沙耶はまるでいつもの放課後の話をしているような口調で答えた。
「出水さんは覚えてるんだ」
 征二郎がそう言うと、沙耶ははっとしたような表情を見せた。
「あの……それ、わたしが頼んだんです」
「どういうこと?」
「わたしが妖魔にさらわれて……帰ったら両親がものすごく心配していたから、その……申し訳ないと思って」
「だから、滝にみんなの記憶を消してもらった?」
「ええ」
(どういうつもりなんだろう)
 護宏の意図がまるで読めない。周囲に心配をかけたくなかった沙耶の願いをかなえた、というだけのことなのだろうか。
 だが、なにより根本的な疑問が残っていたことに気づき、圭一郎は問いを重ねる。
「滝になにがあったのか、教えてくれないかな」
「わたしにわかる範囲でかまいませんか?」
 沙耶がそう言うということは、彼女もすべてを把握しているわけではないのだろう。そう圭一郎は思った。
「うん、それはもちろん」
「封印が解けたんです。あの――数珠の」
「やっぱりあれは滝を封印していたんだ」
 圭一郎は昨日の廃工場でのできごとを思い出す。護宏が摩尼珠によって行動の自由が奪われたのは、「封印の数珠」に込められた「願い」が護宏を束縛するものであったからだと、圭一郎は判断していた。
 その封印が解けた――それが昨日のあの瞬間だったのだろう。
「封印が解けて……あいつはどうなったわけ?」
「わたしも、あまりはっきりとは聞いていないんですけれど……千年近く前に冥加岳で、ナギのような存在を守っていた、とか。そんな記憶と力を取り戻したんじゃないかと」
「冥加岳……」
 圭一郎はつぶやいてみる。「くらやみ祭り」発祥の地、そして――。
「あいつ、やっぱり『淵源』なの?」
「淵源?」
「あ、そーだ。忘れてた」
 征二郎が突然大声を上げた。
「これ、出水さんのだろ?」
 鞄から取り出したのは、昨日駅前広場で手に入れたメモだ。沙耶のものとおぼしき本に挟まれていて、征二郎がそのまま持ってきてしまったものである。
 が。
 征二郎が沙耶に渡しているメモの数が多い。
「なんで二枚あるわけ?」
「工場で出水さんが捕まってたところに落ちてたやつもあるから」
(なんであの状況で気づくかなあ?)
 征二郎の目ざとさに半ばあきれつつ、圭一郎は沙耶の反応を待った。
「わあ、ありがとうございます。二枚とも拾ってくださるなんて」
 やはり沙耶が書いたものだったらしい。
「淵源がなんなのか、わたしにもわかっていないんです。このメモ、那神寺の記録の断片なんですけど、これにはどこかの場所みたいに書かれてるし……」
 沙耶は少し言葉を切り、考え込む。
「場所なの?」
「ええ。たぶん……」
「淵源とは、巳法川の水源にある泉だ」
 不意に背後から声がする。はっと振り向くと、いつの間にか護宏がそこにいた。

[index][prev][next]