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22話 シキの核

1 絆の片鱗

 数日後。
「平和だなあ」
 川沿いの道を歩きながら、圭一郎はつぶやいた。
「妖魔退治が一日に二回あっても?」
 征二郎が珍しく突っ込みを入れる。
 実際、妖魔の数は相変わらず増え続け、宝珠兄弟への退治依頼も多くなっている。今も学校帰りに市役所に現れた出没・徘徊型妖魔を退治してきたところだ。
「そうだけど、普通の妖魔だからね」
「普通のって?」
「一時期前田にけしかけられていたようなのは出てないし」
「あ、なるほどねー」
 前田の摩尼珠によって合成された妖魔はどれも厄介で危険だったが、最近は出現していない。そうでない妖魔は、宝珠の剣が強くなったこともあって以前ほど 厄介には感じられない。
「そういや前田って、あれからどうしたんだろ」
「たぶん、まだあきらめてないんだろうな」
 圭一郎は答えつつ、護宏の封印が解けた夜を思い出す。
 護宏が「淵源」だと確信した前田は、「封じる方法はある」と言って出て行った。最近静かなのは、その方法を探しているからだろう。
「また護宏になんかしてくる気なんだろ? 言っといた方がいいかな」
「いらないんじゃないか? 今の滝に手を出すのは無理だよ」
 圭一郎は本心からそう言った。前田が見つけてくる方法がどのようなものであれ、あの護宏に対抗できるとは到底思えない。同じ気配を感じていたはずなの に、封じる方法があると信じこめる前田が滑稽にすら思える。
「そうかなあ」
 征二郎はいくぶん不服そうに首をかしげている。
 そんなに気になるならおまえが言えばいいじゃん、と圭一郎は言おうとしたが、その前に征二郎が声を上げた。
「あ、そういえばさ」
「なに?」
 一応聞き返したが、こういう状況での征二郎の思いつきは大概、あまり重要ではないということを、圭一郎は経験的に知っている。
「護宏さあ、やっぱ変わったよな」
「え?」
 征二郎の口から出た言葉に、圭一郎は驚く。
 圭一郎にとっては、封印が解けて人ではない存在と化した護宏は「変わった」などという一言では言い表せない変化を遂げているように見える。だが征二郎は その変化を目の当たりにしつつ、大して重大なこととは受け取っていなかった。
 今さらながらに、ことの重さに気づいたのだろうか。
 圭一郎は注意深く尋ねてみる。
「どういう点が?」
「んー、なんか雰囲気が柔らかくなったっていうか、笑うようになったっていうか……あ、もしかしたら、あれ かなあ」
「?」
 征二郎が言う「変化」は、圭一郎が想像したものからはかなりかけ離れている。弟がなにを言いたいのかよくわからないまま、圭一郎はふたたびなにかを思い ついた様子の征二郎に続きを促した。
「なんだよ」
「護宏さ、出水さんとつき合い出した、とか」
「……」
 圭一郎は思わす呆れ果てて立ち止まり、征二郎を見る。
(なんでそっちの話に行くかなあ?)
 征二郎が二人の仲に関心を持っていることは知っていたが、今そんな仮説が出てくるとは思わなかった。
 なにをどう考えれば、そんな結論に行き着くというのだろう。
 圭一郎が弟の発想の暢気さにきつい一言を発しようとした時。
「どうしてわかったんだ?」
 背後からそんな声がかかった。
「……はぁ」
 圭一郎は深々とため息をつく。そこに滝護宏が立っていることは、振り向く前にわかっていた。普通に歩いてきたのか、あるいはまた空間を瞬時に移動したの かまではわからないが、それはもはやどうでもいい。
(よりによって、そこに反応するか!)
 二の句が告げない圭一郎とは異なり、征二郎は我が意を得たという表情で護宏に笑いかける。
「やっぱり! 勘いいだろ俺。で、いつから?」
「この間の日曜」
「!」
 脱力ついでに会話を征二郎に任せるつもりだった圭一郎は、ふと聞き耳を立てた。
「もしかして、おまえから?」
「ああ」
「ちょっと待って」
 圭一郎はさすがにたまりかねて口を出す。
「ということは、だよ?」
 念を押すように、一度区切って問いかける。
「君はあの時、封印が解けて僕たちの前から出水さんを連れて消えて、その後まず告白とかしちゃったりしてたわけ?」
「その通りだが?」
 平然と肯定する護宏に、圭一郎は絶句した。
 あの不安な夜を、圭一郎は忘れることができない。あらゆる存在をおびやかす気配を放って消えた護宏が、この世界を闇で覆うのではないか——そんな危惧を抑えることができなかった夜。
 当の護宏がなにをしていたのかを知って、圭一郎は呆れ返るよりほかになかった。
 幼なじみに告白など、よりにもよってそんなタイミングですることでもなかろうに。
 が。
「千年近く言えなかったからな」
 護宏はさらりと続けた。
 なんだかスケールが違い過ぎる気がして、とっさに意味がわからない。だが、真正面から尋ねて答えてくれるとも思えなかった。
「……封印される前の話?」
 圭一郎は注意深く尋ねる。
「封印の前から今までずっとだ」
「なにが?」
「……」
 征二郎の無邪気な問いに、護宏は無言で微笑する。やはりストレートな問いでは護宏から答えを引き出すことはできないようだ。
「じゃあ、ひとつだけ教えてくれるかな。君の記憶とは無関係に、一般論で」
「なんだ?」
「人って、生まれ変わったりするの?」
「人だけではないな」
「そうか。なら、だいたいわかった気がする」
 護宏の返答は、少なくとも人が生まれ変わるという現象が起こっているのだということを指し示している。封印されて人として生きていた護宏もまた、同じよ うに輪廻の中にいたのだろう——でなければ、十七年前に誕生して現在高校生になっている滝護宏が存在しているは ずはないのだから。
 そして。
 封印が解けた日の昼間、沙耶を探していた時に取り乱した護宏が叫んだ言葉を、圭一郎は覚えている。
 ——あと何度、あと何百年、あいつを失い続ければいい?
「君と出水さんは、君が封印されてから今まで、何度も生まれ変わりつつ出会ってきた。そのたびに彼女を失ってきたことを、君はずっと悔やんできた。失った ことは覚えていなくても、後悔だけが残っていて。それを封印が解けて全部思い出した——こういうことじゃな い?」
 圭一郎は一気にそこまで言い切った。そうでなければ、封印が解けた直後というタイミングでの告白には説明がつかないように思える。
「……」
 最後まで聞き終えてから、護宏は首をやや傾けて圭一郎を見た。表情は相変わらず読めないが、なんらかの感情が動いているようにも見える。
「そこまで推測できれば、たいしたものだ」
「圭一郎の言ったこと、そんなにあたってたのかよ?」
「想像に任せる」
「じゃ、そーいうことなんだな」
 護宏は明言を避けたが、圭一郎はどこかで確信していた。
 自分の推理がそう大きく外れているはずはない、と。
(というか、そうじゃなかったらもっと脱力するから嫌だな)
 どちらかといえば、そんな願望のほうが強いかもしれない。
「あ、そうだ、護宏さあ、あれから前田、なにかしてきた?」
 征二郎は、先刻気にしていたことを本人に伝えるつもりのようだ。圭一郎は特に止める気もなく、二人のやり取りを見守ることにする。伝える必要があるとは 思わないが、伝えてはならないということでもない。
「いや、特になにも」
「あいつ、おまえが『淵源』ならもう一度封じる方法があるとか言ってたからさ、またなにかしてくるかも」
「方法がある、と?」
 護宏が聞き返した。
「前田がそう言ってただけ。俺はそれしか知らないけど」
「面白い」
 護宏は薄く笑みを浮かべる。
「なにを仕掛けてくるつもりだろうな」
 その悠然とした様子に、圭一郎は思わず口を挟んだ。
「余裕みたいだけど、大丈夫?」
「奴には俺を封じることはできない」
「でもさあ、おまえを封印してた数珠の大半って、前田が持ってるじゃん」
(!)
 征二郎の指摘に、圭一郎ははっとした。
 願いのかなう摩尼珠は、不完全とはいえ、今なお前田の手にあるのだ。しかも、願いを制限していた封印が解けてしまった状態で。
 それを使って、前田が何かを願ってしまったら。
「そうだよ、前田が摩尼珠を持っているのって、危険なことじゃないの?」
 征二郎に続けるように、圭一郎はそう言ってみた。
 護宏は落ち着いた表情でうなずく。
「奴にあれが使えるとは思わないが、たしかに放っておくことでもないな」
「なんとかできるの?」
「いつでも」
(前田がどう仕掛けてくるか、見てみるつもりだな)
 圭一郎はそう思ったが、口に出す気力はない。
「なんとかしたら、教えてくれる?」
 とりあえずそれだけ頼んでみる。護宏はわかった、と言ってそのまま歩き出し、橋を渡って去って行った。

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