昼休み、屋上。
「聞きたいこと、とは?」
護宏がゆっくりと振り向いて尋ねる。
圭一郎は用意していた問いを口にした。
「妖魔ってなに?」
いきなり真正面から問うのは、圭一郎にしては珍しい。昨日からどう尋ねたものかさんざん悩んだが、結局直球勝負に出ることにしたのである。
案の定、すぐに答えは返って来なかった。
「それを俺に聞くのか?」
「君は知ってるはずだ」
少々矛先をかわされたぐらいでは、引く気はない。
「『淵源』と妖魔の出現に関係があるらしいってことはわかってる。君が『淵源』にいたのなら、なにも知らないことはないんじゃないか?」
「……」
「それに、君の封印が弱まってきた頃、妖魔が増えてきた。偶然かも知れないけれど、僕には無関係には思えない」
「なるほど」
護宏はうなずき、おもむろに切り出した。
「妖魔は、人の欲だ」
「どういうこと?」
「欲望——求め願う思い、と言ったほうがいいだろうか。そんな思いが行き場を失い、集まって形を取ると妖魔になる」
「……」
圭一郎と征二郎は顔を見合わせた。
言葉の意味はわかるが、どういうことなのかわからない。
「思いが形にって、そんなことがあるわけ?」
征二郎が先に、当然とも思える問いを発した。
「今までさんざん妖魔を見ていて、そんなに不思議なのか?」
護宏はかえって当惑したようにつぶやく。
「そうだな……たとえば、もうすぐクリスマスだな」
「は?」
たしかにクリスマスまであと一週間を切っているが、唐突な話の展開に、圭一郎が思わず聞き返す。
護宏はそれを無視して続けた。
「まだサンタクロースを信じている、小さい子どもがいたとする」
(サンタクロースとかクリスマスとか、君が言うと違和感あるんですけど)
圭一郎はそう思ったが口には出さず、護宏の言葉の続きを待った。
「ちょうど今ごろ、そういう子は当日を楽しみにして、いろいろ想像しているんだろう。マンションの高層にある自分の部屋にどうやって来るのか、プレゼントを枕元においてくれる様子、今年こそはその時まで起きていようという決意……」
「そういやさあ」
突然、征二郎が口を挟む。
「圭一郎って、幼稚園の時にサンタクロースを捕まえるって言って布団のまわりにワナとか仕掛けてたよな。それで……」
「言うなっ!」
恥ずかしい過去のできごとを暴露されかけて、圭一郎はあわてて弟を止める。
「それはそれで気になるが、続けていいか?」
「気にしないでいいから、続けて」
間髪入れず、圭一郎は先を促した。
「だがある日、その子は偶然、両親がプレゼントの相談をしているのを聞いてしまう。サンタクロースなどいなかった、という事実を知る瞬間だな」
「まあ、みんなそうやって知っていくんだし。それで?」
護宏がなぜそんな話をするのか、圭一郎にはよくわからなかった。そんなことは子どもにはよくあることではないか。
「事実を知るまで、その子にとってサンタクロースは確かに存在したんだ。だが知った瞬間、その子はもう今までのようにサンタクロースを思い浮かべることが
できなくなる。想像することができても、それが虚構に過ぎないことを知ってしまったから。楽しみに待っていたものが、存在しなかったことになってしまう
——その時、子どもが思い描いていたサンタクロースはどこに行く?」
「どこにって」
圭一郎には質問の意味がわからなかった。
想像の産物なのだから、そもそも存在していないはずだ。だからどこにという質問そのものが成り立たないように思える。
護宏はさらに問いを重ねた。
「思いは目に見えない。だから残っていても、人には認識できない。——だが、消えてはいない、としたら?」
「だって、僕たちにはわからないんだろ?」
圭一郎は少しいらだったように尋ねる。
「通常はな。だが……」
護宏はすっと上空を指さした。
「それが集まると、あんな風に形をとる」
二人が見上げた先では、赤い服に身を包んだ小太りの人物を乗せたそりが、トナカイらしき動物に曳かれて空をよぎって行く。
「おー」
征二郎が思わず歓声を上げた。
「あれ見ると年末って感じがするよなー」
出没・徘徊型、サンタクロースタイプに分類される妖魔だ。毎年この時期に上空に出没しており、たいして珍しいものではない。時たまビルに引っ掛かる以外
はこれといって被害もないため、退魔師が出動することもあまりなく、最近ではすっかり冬の風物詩となっている。圭一郎も気配を感じていたものの、退治する
までもないと思って放っていた。
「はしゃぐな、征二郎」
圭一郎はすぐに護宏に視線を戻し、問いを重ねた。
「あれは、サンタクロースを夢見ていた子どもたちの夢の名残みたいなものだっていうこと?」
「そういうことだ」
「ほかの妖魔も、ああやって思いが形になったって?」
「そう。期待や夢だけではないが。怒りや恨み、憎悪や不安などが形になると、危険なタイプになりやすい」
「……」
圭一郎は考え込む。
たしかに、妖魔が人のイメージを反映したものだという気はしていた。言い伝えの中の妖怪やアニメのキャラクター、テレビの人気番組などを連想させる妖魔
を彼らは何体も見てきた。加えてこの学校では、その場所で印象深かったものが大量に出現したオブジェ騒動が起こっている。
が、それでもまだ納得がいかない。形のない思いが形になるとは、どういう現象なのだろうか。
「そんなことが実際に起こるなんて」
いまだ信じきれない様子でつぶやく圭一郎に、護宏が静かに問いかけた。
「おまえはどうやって、ただの白い珠を剣に変えているんだ?」
「それは、そう宝珠に願って……あ!」
ふと、圭一郎の頭にひらめいたことがあった。
「どうしたんだ?」
征二郎が反射的に尋ねる。
「わかった気がする。なんとなく、だけど」
「どんなふうに?」
護宏が促す。圭一郎は考え、言葉を選びつつ、ゆっくりと口を開いた。
「人の思いが妖魔になるのと、宝珠が妖魔を斬る剣になるのは、同じ原理だってこと」
圭一郎は護宏の反応をうかがうように視線を向けたが、護宏は先を促すように、無言で立っている。圭一郎はしかたないといったように、そのまま続けた。
「僕たちの宝珠は願いをかなえる珠、なんだよね。願いって、なにかが欲しいとかこうなって欲しいとか思うことだから、この珠が願いをかなえるっていうのは、こうなって欲しいという思いを形にすることなんじゃないだろうか。人の思いが妖魔という形になるのと同じように」
「じゃあ俺たちの剣って妖魔なわけ?」
「いや、それは違うだろ。だってさ……」
圭一郎はすかさず征二郎に突っ込みを入れたが、あとが続かない。たしかに、願いが形を取ったのが宝珠の剣ならば、妖魔となにが異なるというのだろうか。
「違いがあるとすれば、願いの方向がさだまっているかどうかだな」
言いよどんだ圭一郎に助け舟を出すように、護宏が言う。
「どういうこと?」
「おまえたちの剣は、はじめに込められた願いによって形をとっている。その形はおおむね決まっているし、変わるとしても願いの範囲内でのことだ」
「この間、剣が強くなったのも?」
「そう。そもそもの目的の範囲であれば、ああやって願いを加えることができる。だが妖魔になるのは、行き場を失い、存在すら認められない思い。向かう方向が定まっていないから、なにをするかわからないものになる」
「わからないの?」
「正確には、その場に漂う思いを受けて変わる。だから妖魔は正体不明に見えるんだ」
「なるほど……」
思いが形になる。そんな奇妙な現象をなんとか受け入れてしまえば、その先はおおむね理解できるような気がする。
圭一郎はふと、吉住が以前話してくれた学説について思い出していた。
(共同幻想説、だっけ)
妖魔は人々が社会的につくりあげたイメージを反映したものだという説。
漂う思いが妖魔になるのだとすれば、たしかに妖魔は形をなした共同幻想なのだろう。
「じゃあさ、妖魔からこんなのが出てくるのはなんで?」
征二郎が昨日の白い石を護宏に突き出した。 護宏の表情が、わずかに動く。
「これ、宝珠みたいな感じなんだけど」
「わかるのか」
「なんとなく」
「なぜこれが妖魔から出てきたか……か」
護宏はつぶやくようにそう言うと、ついと指をのばし、征二郎が持った石に触れる。
石はすっと溶けるように、征二郎の手の中で消えていく。
「あ、おい!」
征二郎が思わず叫ぶ。
「なんだよー」
「持っていると、妖魔が出る」
涼しい顔で護宏が答えた。
「『シキの核』は、漂う思いを集めて形をとろうとする。不用意に持つと危険だ」
「シキの……核?」
初めて聞く名称。
「『シキ』は漢字で書くと、ケシキのシキだ」
「ケシキのシキ?」
圭一郎は聞き返す。
「それって、シキソのシキ?」
「ああ。シキシのシキだ」
はたから見ればわけのわからないやり取りになっているかも知れないが、とにかく「色」という字だということはわかった。
「春夏秋冬のシキ?」
「それは違う」
話に乗ろうとした征二郎に、圭一郎と護宏が同時に突っ込む。
「なんだよー、二人とも」
「おまえ、買ってやった漢字ドリルやってないだろ」
「いくらなんでも小学六年生向けは簡単すぎるんだよ」
「……『色』と書いて『シキ』と読む。形や物質を表す言葉だ」
護宏はあくまでも冷静に続ける。
「さっきの珠は『シキの核』。形をなした妖魔の中心にできる」
「それって勝手にできるものなの?」
「そう。『シキの核』は思いが凝縮された結晶だ。ひとたび『核』ができると、その周囲に思いが集まり、いっそう形をとりやすくなる」
護宏は淡々と続ける。
中学校の理科で水溶液から結晶を析出させる実験をやったことを、圭一郎はふと思い出した。
漂う思いが集まって妖魔となり、妖魔となる思いが凝縮されて「シキの核」が生じ、そのまわりにさらに妖魔となる思いが集まっていく——そういうことだろうか。
「宝珠も『シキの核』なの?」
「思いを形にする力を持つという点では、そうだな」
護宏の言い方が少し気になった圭一郎は、すぐに問い返してみる。
「まったく同じってわけじゃないんだ」
圭一郎の指摘に、護宏は含みのある視線を向ける。
圭一郎はさらに問いを重ねようとした。
が。
「じゃあさ、妖魔から『シキの核』を集めたら宝珠になるわけ?」
征二郎がいかにも思いつきらしい問いを発した。自分の質問を中断された圭一郎はあからさまにむっとした顔になるが、征二郎は気づかない。
「試してみるか?」
「マジにできるのか?」
「妖魔に囲まれ続けることになるが」
「あ、そうか。じゃあいい」
征二郎は思いつきをすぐに口にするものの、こだわりがあるわけではないらしく、撤収も早い。
「じゃあ、妖魔退治して残った奴ってどうしたらいいんだ? 危険なんだろ?」
護宏はすぐに答えを返す。
「おまえたちの剣なら『核』にも効くはずだ」
「じゃあ、妖魔を斬って珠出たらもう一回斬ってけばいいんだ」
「でも、僕たちはそれでいいとして、妖魔は日本中で出てるけど?」
圭一郎が口をはさむ。妖魔を退治して「核」が残るのは、自分たちの目の前に限ったことではない。それを放置しておくわけにはいかないだろう。
「そうだな」
(それだけ?)
あっさりとそう答えた護宏に、圭一郎は拍子抜けした。
その態度からは、妖魔が増えることや「核」でそれが一層加速されることへの憂慮はまったく見られない。
(もうちょっと、なんとかしようと思ってもいいんじゃないか?)
相変わらず、護宏の真意がつかめない。役に立つ情報を教えてくれる一方で、宝珠兄弟の置かれた困難な立場にはいたって無頓着に見える。
「そうだなって、このままでいいわけ?」
「なぜ俺に聞く?」
心底不思議そうに、護宏は聞き返した。
「『核』を一掃しろとでも言うのか?」
「そういうことじゃないけど……」
圭一郎は口ごもる。本音を言えば、多かれ少なかれ「そういうこと」への期待があったことまでは否定できない。少なくとも彼にはそれが可能なのだから。
だからこそそんな期待に応えようとしない護宏にいらだちを感じてしまう。
「えー、だめなのか?」
無遠慮にそう聞けてしまう征二郎を、圭一郎は少しだけうらやましく思った。
「確かに今ある『核』を消し去ることはできる。だが、妖魔となる思いがある限り、いくらでもまた結晶化する。それを永遠に消し続けるつもりはないな」
正論だ、と思った。何者であれ、彼にそこまで要求するのはあまりに過剰というものだろう。
「でもさー」
「征二郎、もういいよ」
さらに言いかけた征二郎を、圭一郎はさえぎった。
「そこまで滝に要求すべきじゃない。いろいろ教えてくれるのはありがたいけど、基本的にこれは僕たちの問題だ」
そう。期待すべきではない。
圭一郎はまだ護宏を警戒している。かつて冥加岳の水源で起こったという「世界が闇で覆われた」と記録される現象の謎も、そこに護宏がどのようにかかわっていたかも、まだ明らかにはなっていないのだ。
とはいえ、たぶん護宏に悪意はない。尋ねたことには答えてくれるし、そこには少なくとも、こちらを惑わす意図は見て取れない。最低限の答えしか返ってこないのもいつものことだろう。
要するに、護宏の態度は封印が解ける前と同じなのだ。気配や雰囲気がまるで異なるなにかへの変貌を垣間見せていたとしても、彼自身が宝珠兄弟に対して取ってみせている姿勢に変化はない。そうである以上、なにもかもを護宏に頼る気にはなれなかった。
増え続ける妖魔は「シキの核」を生成し、さらに存在感を増している。もはや妖魔を退治すれば済む問題ではなくなってきている。そんな状況をどうすれば解決できるのか、圭一郎には見当もつかない。だがそれでも、自分たちの手で片付けねばならない問題だという気がしていた。
(妖魔の問題は、僕たち退魔師がなんとかしなければいけないことなんだ)
昼休みの終了を告げるチャイムが鳴り、征二郎と先に階段を降りて行く護宏の後ろ姿をにらみつけるように見つめながら、圭一郎はそう思っていた。