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23話 宝珠の願い

1 いにしえの神々の聖域

「圭一郎ー、護宏からメール来たぜ」
 風呂上がりの圭一郎に、征二郎が携帯電話をつきつける。
「なんて?」
 圭一郎はバスタオルで髪の水滴をぬぐい取りながら、征二郎に続きを促す。
「え、俺が読むわけ?」
「いいだろ、それくらい」
「はいはい」
 征二郎は携帯電話の画面に目を走らせる。
「えーっと、前田から摩尼珠と那神寺の記録を回収したってさ」
「どうやって?」
「わかんない。書いてないし」
 征二郎は圭一郎の問いをあっさりと流し、先を続けた。
「で、出水さんが記録を読んでて、わかったことがあるから話したいって。いつがいい?」
「やっぱり記録もあいつが持ってたんだ」
 圭一郎はつぶやく。
 前田がどうやって摩尼珠を手に入れ、なにを手掛かりに妖魔が世界を浄化すると判断したのか、圭一郎は知らない。だが願いのかなう秘仏と記録が持ち出され た那神寺は、前田にゆかりの寺らしい。秘仏の如意宝珠となっていた摩尼珠のかけらを手に入れ、記録を元に活動を始めた――恐らくはそんなところなのだろ う。
「明日って返事するぜ?」
 既に返信メールを打っている征二郎が尋ねてくる。
「いいけど、二時から吉住さんと約束あるからな」
「わかってる。午前か夕方で聞いてみるよ」
 画面から目を離さずに征二郎は答える。
 征二郎が送信ボタンを押して携帯電話を机に置くまでの様子を、圭一郎はじっと見守り、ふとつぶやく。
「わかったことってなんだろう」
「それを教えに来てくれるんだろ」
「そうだけど、気にならない?」
 沙耶が古文書を読んでいたのは、護宏の記憶の謎を解くためだったはずだ。だが彼の封印が解けた今となっては、沙耶がわざわざ那神寺の記録を解読する必要 はないように思える。
(もしかして、僕たちのために?)
 以前、妖魔を操る方法について沙耶に調査を依頼したことがあった。前田の出方を知るためだったが、沙耶はそれを覚えていて調べてくれていたということな のだろうか。
「ていうかさ、なにがわからないのかよくわからない」
 征二郎が送信ボタンを押して、そう言った。
「たしかに」
 征二郎の指摘ももっともだった。わからないことは山ほどあり、もはや何がわからないのかも判断がつかない状態だ。
 情報が少なすぎるのか、事態が複雑すぎるのか。
 いずれにせよ、その一部を沙耶が解き明かしてくれようとしているのは確かだった。
「明日直接聞けばいいよね」
 圭一郎はそうつぶやいた。

 翌日、日曜日の午前中。
 二人は宝珠家本家の道場の和室を開け、ざっと掃除を済ませて空気を入れ替える。
「そういえば、滝も来るんだよね?」
 確認のつもりで圭一郎が尋ねると、征二郎はヒーターのスイッチを入れながら首を振った。
「来ないよ。練習試合があるんだってさ」
「……あ、そうなんだ」
 護宏が連絡してきたことから、圭一郎は彼も沙耶と一緒に来るのだと思っていた。が、携帯電話を持たない沙耶のかわりにメールを送ってきただけだったらし い。
 いまだに護宏に対する警戒心を拭い去れない圭一郎は、わずかにほっとする。
「そろそろ時間かな」
 時計を見上げてつぶやくと、征二郎がすかさず立ち上がった。
「じゃあ俺、門のとこまで迎えに行ってくる」
 和室を後にする征二郎を見送り、圭一郎は畳に腰を下ろした。
 その時。
「気になるならあの方も呼ぼうか?」
 不意に、すぐ近くで子どもの声がした。
「!」
 声の方を向くと、覚えのある姿が目に入った。圭一郎のすぐ隣にちょこんと座っている、水干姿の少年。
「おまえ……」
 圭一郎は一瞬言葉を失う。
「どうした? いつもの喧嘩腰じゃないのかよ?」
 少年――ナギは、からかうような口調で圭一郎を挑発する。
 圭一郎はしばらく絶句していたが、やっとのことでひとつの問いを口にする。
「どうして妖魔の気配がしないんだ?」
 ナギからはなんの気配もしなかった。今まで絶えずまとわりついていたはずの妖魔の気配さえも、微塵も感じられない。
「もともと、妖魔じゃないんだよ。最初からそう言ってるだろ」
 ナギは金色の目でまっすぐに圭一郎を見据えた。
 圭一郎は少し考える。征二郎がいなくなったのを見計らったかのように現れたナギの意図はどこにあるのだろう。
「なんでここに来た?」
「おまえが知りたいことに答えてやろうと思った」
「征二郎がいないのに?」
「あいつは知らなくても惑わない。でも、おまえは違う。知らないことで惑い、知ってさらに惑う」
「……どっちにしろ惑うって?」
 圭一郎はため息まじりにつぶやいた。ナギの言う「惑う」がどういうことなのか今ひとつよくわからなかったが、あまりいいことを言われているわけではない という察しはつく。
「なんでも答えてくれるわけ?」
「姫がここに来るまでの間だけだ」
「姫って出水さん? 彼女は一体……」
 とっさに圭一郎はそう尋ねる。
 ナギが答えてくれる時間はあまりなさそうだ。よく考えて最大の情報を得られるように尋ねたかったが、口をついて出てしまったものはしかたがない。
「巳法社(みのりのやしろ)に生贄として捧げられた娘だった」
「生贄……」
 圭一郎はつぶやく。そのつぶやきを非難と受け取ったのか、ナギがあわてたように早口で付け足した。
「あっ、言っておくけど、そんなものを要求したことはないからな! 人間たちがどこかの風習を持ち込んだだけで、ぼくたちも困って、それで……斎女として 社に住んでもらうことにしたんだ」
「いつきめ?」
「ぼくたちの言葉を人間に伝える役目だ」
(巫女ってことか)
 圭一郎は少し納得できた気がした。
「出水さんは、それ知ってる?」
「おまえ、生まれ変わる前のことを覚えてるのか?」
「いや、全然」
「それと一緒だ」
 ナギの返答にはよどみも曇りもなかった。
 圭一郎は次の問いを探す。何しろ時間は限られているのだ。
「おまえたちと滝がなんなのか知りたい」
「そう聞かれると思った」
 ナギは一呼吸おいて語り始める。
「人間が今みたいに増えていなかったころ、人間にとって自然は恐れるものだった。手におえない自然現象を鎮め、なだめて事なきを得ようとしたんだ。そんな 人間たちには、なだめる相手が必要だった」
「神?」
 その言葉が圭一郎の口からすんなり出てきたのは、ナギが宝珠家の先祖に宝珠を授けたと伝えられる「若美豆薙津別神」だということをほぼ確信していたから だ。
 正直言って「神」がどういうものか、圭一郎は知らない。むろん、世界各地でさまざまに信仰されている宗教やその世界観については、一般教養程度には知っ ている。だが、それらはあくまでも知識の上の存在だ。そういった意味での「神」と、日本で細々と伝えられてきた「神」の違いなどわかるはずもない。
 だが少なくとも、圭一郎の先祖は、宝珠をもたらした存在を「神」と認識し、そう伝えてきたのだ。
「古い時代にはそう呼ばれていた。ぼくたちは人間が自然を恐れ、祀る対象を欲した思いから生まれてきたんだ」
「それって……」
 思いが形を取る――それは妖魔と同じではないか。
「おまえが退治するものたちと同じ、と言いたいんだろ?」
 圭一郎が言いよどんだ言葉を、ナギはあっさりと口にした。
「それは間違ってはいない。でも、今は違う」
「違うって?」
「人の信心の中に生まれた身だから、それが失われれば消えていく。実際、人間たちに追われ、消えかけたこともある」
「祀られていたのに?」
「巳法の社に住むよりも前、ぼくはもっと海に近いところにいた。人間たちが増えるにつれて神域は田に変えられ、追い払われてしまった」
 圭一郎は以前図書館で見かけた伝説を思い出していた。郷土史の本だったか風土記だったか。谷に住む蛇神が谷の開発を阻んで姿を現すが、朝廷から派遣され てきた役人が谷の生物を蛇神もろともすべて打ち殺すように命じると姿を消した、というものだ。
 この国の神話は記紀――『古事記』や『日本書紀』――に書かれているものがすべてではない。記紀はそれを書かせた権力、すなわち大和朝廷の意志を反映し ている。彼らの信じた神々が記録に残され、そうでない神々は片隅へと追いやられた。朝廷の役人が神として祀られていた蛇を打ち殺そうとした説話の背景のに は、そうした事情があるのかも知れない――そんな解説が加えられていたのを、圭一郎は覚えている。
「あの頃は多くの古い『神々』が消えていった。あの方が形を与えて下さらなかったら、ぼくたちも消えていたはずだ」
「滝のこと?」
「そうだ」
「あいつが、おまえたちに形を与えた?」
「そう。だからぼくたちは妖魔じゃない」
「おまえやサガミのほかにもいるんだ?」
「いるよ。巳法の社に住んでいる。人に見つからないように守られた、影の社に」
 古き神々の聖域。
 そんな言葉が、圭一郎の頭に浮かぶ。
 かつて神と呼ばれたものに形を与えて聖域で守ってきたのが、自分の知っている人物だということは、どうにも奇妙な感覚をもたらすものだった。
「滝……あいつは、おまえとは違う存在?」
 ナギはうなずく。
「あの方は、上つ世から降りて来られた」
「かみつよ?」
 よくわからなかったので、圭一郎はとりあえずおうむ返しに聞き返してみた。
「上の世界。輪廻がめぐる世界で、この世界が人界。その上にある世界さ」
「ええと」
 圭一郎は図書館で仕入れた知識を最大限動員させて、自分の理解可能な言葉に置き換えようと試みた。
「確か仏教では、前世の業を背負って生まれ変わり続けることになってて、その生まれ変わる世界が六つあるんだよね……そういう世界観でいい?」
「そういうことだ」
 本から得た知識によれば、仏教の世界観では生きるものは六つの世界――地獄、餓鬼、修羅、畜生、人間、天――を転生しつつ巡るのだという。人間の世界の 上ということは、天界と呼ばれる世界ということだろうか。
「降りてきたって、なんのために?」
 ナギの言葉を記憶にとどめておこうと努力しながら、圭一郎は問いを重ねる。質問の言葉は意外にすらすらと出てきたが、頭では理解が追いつかない。だが、 今はとりあえず聞けることを聞いておかねばならないだろう。
「幻をつかさどって願いをかなえる」
「目的は?」
「ぼくたちが知っているのはそれだけだ」
「じゃあ……」
 そんな存在がなぜ冥加岳に住み、封印されるようなことになったのか――そう尋ねようとして、圭一郎は口を開きかけた。
 が。
「悪いけど時間切れだ」
 ナギがすっと立ち上がった。おそらく、征二郎が沙耶を連れて戻ってきたのだろう。道場の外から足音と話し声が聞こえる。
「さっきのは彼女には言うなよ。自分の知らない昔の自分の話をされても困るだろうし」
 言い終わるが早いか、ナギの姿がふっと見えなくなる。
 止める間もなかった。
「……ふう」
 圭一郎は畳に座り込んだまま、ため息をついた。
(わかったことはあるけど……それで僕にどうしろっていうんだ)
 生命が輪廻を繰り返す世界。上の世界から降りてきた存在。そんな存在によって形を与えられた、古い神々。彼らが暮らす社。その社に生贄として捧げられ、 巫女として迎えられた娘。
 過去に起こったこと――そしておそらく、人の手による記録には残っていないもの――が、少しずつ明らかになってきていた。
 だがそれが現在の彼らとどう結びついているのか、圭一郎にはまだわからないし、それを今自分が知るべきなのかどうかも判断がつかない。
(知らずに惑い、知ってさらに惑う、か)
 ナギの言葉は、確かに自分の性格を言い当てていた――そう思って、圭一郎はわずかに苦笑した。



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