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23話 宝珠の願い

2 淵源の真相

「ごめん遅くなって。流につかまってた」
 征二郎の声と同時に、和室の襖が開いた。見ると、征二郎の後ろで出水沙耶が軽く頭を下げている。
「流がどうかした?」
「デートだって、ひとしきり自慢された」
 不幸な事故に遭ってしまったとでもいうような口調で、征二郎は畳に腰を下ろす。
「デートって、まさかリンリンさん?」
「それが違うみたいなんだ。めぐみちゃんって言ってたかな。なんとかってショップが銀座にオープンしたとかで行って来るってさ」
「ふうん」
 聞いたことのない名だ。
 流は凜が好きなのだと思っていたが、そうではなかったのだろうか。あるいは、あまりに脈のないことに気づいてあきらめたのかも知れない。
「ま、どうでもいいや。出水さん、ここどうぞ」
「はい、すみません」
 座布団を勧めると、沙耶はその上にいくぶん遠慮がちに正座した。
「それで、わかったことって?」
「ええ、宝珠さんたちのご先祖のことで」
「うちのご先祖?」
「前に宝珠の姓を与えられるきっかけになった事件の話、しましたよね。異形の姿になった人がいたって」
 圭一郎は記憶をたどる。確かにそんな話をしたことがあった。「くらやみ祭り」に関する記述で、祭のタブーを破って闇に呑まれた男が異形の姿になった。そ こに現れて集落を救ったのが、宝珠家の先祖だという。
 その記述はひとつの、ひどく不吉な可能性を暗示していた。
 人間が妖魔になる、という。
 宝珠の剣で倒せるのは妖魔だけである。先祖が剣で集落を救ったのであれば、それは妖魔を退治したということだ。
 異形の姿とは妖魔で、先祖は剣で妖魔となった人間を斬って集落を救った――そう考えるのがもっとも自然であるように思える。
 そんなことがあるのか――半信半疑のまま、いつしかさまざまなできごとに取り紛れて忘れていたことだ。
 その真相が明らかになったというのだろうか。
「うん、覚えてるけど、なにがわかったの?」
 圭一郎は沙耶の話を促す。
「那神寺の記録に、もう少し詳しい記述がありました」
 沙耶は布で厳重にくるまれた包みを取り出し、テーブルの上に広げた。包みを解くと、古びた和綴の文書が表れる。沙耶は丁寧に文書を開いた。
「このあたりに書いてあるんですけど、読めますか?」
「うわあ、漢字ばっかり」
「漢文で書かれてますから」
 げんなりした征二郎の声に、沙耶はにこやかに答える。
「漢文っていう前に、まず文字の区別がつかないな。出水さんは読めるんだ」
 文書を少し眺めて、圭一郎はそう言った。毛筆で書かれた漢字は、文字が連なっていないぶん、かな混じりの古文書よりはいくぶん見やすかったが、それでも わからない文字が多い。
「なんとか調べながらですけど」
 沙耶はいつもの控えめな笑みを浮かべる。
「これは那神寺の成立と発展の記録なんですけど、前半は那神寺と関係の深かった巳法社という神社の話が中心になっています。もともと冥加岳の中腹にあっ て、巳法川の化身といわれる神を祀っていました。それが宝珠家の『呪』にもあった若美豆薙津別っていう神で、その……」
「それってナギだよね」
 少し言葉を選んでいるように見えた沙耶を助けるように、圭一郎は言ってみた。
 たしか、自分たちと沙耶が一緒にいる場面でナギが出てきたことはなかった。沙耶はナギを知っているはずだ――以前護宏がそう言っていた――が、沙耶には 自分たちがナギに面識があるかどうか確信が持てなかったのだろう。
 沙耶は顔を上げ、圭一郎をじっと見る。
「ナギくん、ご存知だったんですね」
「あいつには何度か会ったから」
(ついさっきまでここにいた、とはさすがに言えないけど)
「え、あいつ神様なわけ?」
 征二郎が驚いた声を出す。なにをいまさら、と圭一郎は思ったが、征二郎はナギの話を聞いていないのだと思い直し、そうらしいよ、と言うにとどめた。
「それで、冥加岳の上の方は神域になっていたんです。いろいろと不思議なことが起こったみたいで、神域、特に川の源流にある泉にはなにかが住んでいると伝 えられていたようです」
(まあ、神が住んでいたのは事実だもんな)
 圭一郎は先刻のナギの話を思い出す。とはいえ、それを口に出すと話がややこしくなるので、今は話の続きを促すにとどめることにした。
「泉……それが『淵源』?」
「ええ。たどり着けば願いがかなうとか、逆に呪われるとか。神仏習合思想が入ってきてからは、神に姿を変えた仏の住む場所だと言われるようになり、麓に那 神寺がつくられたんです。でも中腹の集落では神とか仏とかの区別がされなくて『エンゲンサマ』と呼ばれるようになっていったそうです」
「泉で願いをかなえていたのが滝だったのなら、やっぱり彼が『淵源』と呼ばれていたわけだよね」
「そういうことみたいです。ただ、その頃にはもう彼は封印されていたそうなので知らないそうですけど。どうも人々の想像だけが一人歩きしてしまったようで すね」
(想像?)
 圭一郎は聞きとがめる。
 那神寺の記録が護宏の封印後の人々の想像を反映しているのであれば、この記録は先刻のナギの話とは別物として考えた方がよいのかも知れない。
 社に住まう者たちではなく、人から見た歴史として。
「それで『エンゲンサマに呑まれる』って、結局どういうことだったの?」
 祭のタブーを破った男が闇にとらわれ、「エンゲンサマに呑まれ」て異形の姿になった――あの記述の意味はなんだったのだろう。
 尋ねてみると、沙耶は予想していたというようにうなずいた。
「それをお話ししたかったんです」
 沙耶は広げたままの古文書の一点を指さした。
「この記録によると、平安時代末期に世界が変わる一大事が起きた、とあります。その後、人の欲が集まって形をとり、わざわいをなすようになった、と」
 圭一郎は沙耶の指先に「欲塵」「成色」といった文字を見つけていた。
(欲がシキをなす……)
「圭一郎、これって」
「うん、妖魔だ」
 圭一郎は古文書から目を離さずに答えた。たしか、以前沙耶が持っていたメモにも同じようなことが書いてあったような気がする。
 さらに多くの情報を読み取ろうと目をこらしたが、漢字はわかっても文章の意味までは読み取れない。
「冥加岳は、行き場を失った人の欲が集まりやすい場所だったそうです。それで、集まる欲をはらうために行われるようになった祭が『くらやみ祭』なんです」
「欲をはらう……そんなことができたんだ」
「詳しくはわかりませんが、恐怖に打ち勝って大いに満足することで、普段満たされない思いをかなえようとしたんじゃないかと思います」
 沙耶は続けて、記録の一節を指でなぞった。
「このあたりに、欲は欲に集う、欲を抱く人身も然り、って書いてあります」
「どういうこと?」
「欲を抱いた人の体にも、行き場を失った思いが集まってくるんです」
 圭一郎はごくりと息を飲んだ。
 思いが集まり、形をなせば、それはすなわち妖魔だ。
 集まった先に人がいたとすれば……。
「それが、異形の姿?」
「ええ」
「人の体が『シキの核』みたいな働きをしているわけか」
 圭一郎はつぶやく。
 考えてみればもっともなことかも知れない。欲が欲に集うのであれば、もっとも強い欲の発生源――人に集うのは必然だろう。
 人を「核」として行き場を失った思いが集まり、形をなす。
 それがどういうことなのか、実のところ圭一郎にははっきり分かっているわけではなかった。
「その人はどうなっちゃうわけ?」
 征二郎が当然ともいえる問いを口にしたが、むろん、圭一郎に答えられるはずもない。
「出水さん、その記録があったんだよね?」
 圭一郎は半ば苦しまぎれに沙耶に話を振った。
「ええ。旅の修験者が宝珠を剣に変え、異形の姿を解いて村を救った、と」
「異形の姿になった人は?」
 そこが一番気になる点だった。今までに見た記録ではあいまいになっていたが、この記録も同じことなのだろうか。
 が。
 沙耶はにっこりと笑った。
「書いてないんですけど、たぶん助かったと思いますよ」
「どうしてわかるの?」
「ここに、異形の姿になった人の名前が出てるんです」
 沙耶が指し示した先に、人名らしき漢字の連なりがあった。
「この記録を書いた人の中に、同じ名前があります。年代と他の部分から見て、たぶん同じ人だと思います」
「つまり、うちのご先祖に助けられて元に戻って、この記録を書いたってこと?」
「ええ」
 圭一郎と征二郎は顔を見合わせる。
 彼らの宝珠が、妖魔を退治する以外の役割を果たしていた。
 その記録をどう受け止めればよいのだろうか。
「護宏が言ってたよな、宝珠は最初に込められた願いをかなえるって」
 征二郎が先に口を開いた。
「願いって、妖魔を退治することじゃなかったのか?」
「それだけじゃないのかも」
 圭一郎はあいまいに答えた。
「けど、異形の姿になった人を目の前にしてなにを願うかなんて、そうなってみないとわからないよ」
「それもそうかな」
「まあ、そうなった人も元に戻れることがわかったのは収穫だけどね」
 先祖が妖魔になった人を斬り殺したわけではなかったことに、圭一郎はほっとした。最初の願いがなんであれ、圭一郎にとってはその方が重要だった。




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