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23話 宝珠の願い

3 妖魔が増える理由 

 その日の午後、駅前のコーヒーショップ。
 注文したカフェラテを受け取って店内を見回すと、テーブル席で手を振っている吉住が目に入った。
 トッピングに余念のない征二郎を放っておいて、圭一郎は吉住の向かいに座る。
「あれ?」
 吉住が圭一郎のカップを見てけげんそうな声を上げた。
「ずいぶんふつうだね」
「?」
 言葉の意味がわからず、圭一郎は首をかしげる。
「いや、いつも変わったお茶とか買ってるじゃないか」
「それは……」
「圭一郎が好きなのは、ペットボトルとか缶のお茶の新しいやつだよ」
 トッピングを終えた征二郎が、カラフルなカップをテーブルに置きながら割り込んできた。
「新製品に挑戦して、よく失敗したって顔してるよな」
「やめてくれ、恥ずかしい」
 コンビニエンスストアや自動販売機に新製品の茶が並んでいると、つい手に取ってしまう。そんな自分の習慣に無自覚なわけではなかったが、あらためてそう 言われると気恥ずかしいものがある。
「じゃあ圭一郎君は、お茶レンジャーなんだね」
「……」
 吉住の「お茶」と「チャレンジャー」をかけた駄洒落らしき一言に、圭一郎はどう反応したものか迷った。
「あー、おほん」
 寒い反応だと気づいてか、吉住が咳払いして話を本題に戻す。
「今日はこれを渡したかったんだ」
 テーブルの上に差し出されたのは、小さなチャックつきポリ袋だった。
 圭一郎が手に取ってみる。中には薄いフィルムのようなものが入っていた。
「これは?」
「例の妖魔フィルターだよ」
「フィルターって、この間テレビカメラにつけてたやつですか?」
「そう。携帯のカメラ用に改良してもらってたんだ。君たちの携帯につければ、この間みたいな場面で役に立つだろう?」
 征二郎がすかさず携帯を取り出す。圭一郎はレンズの部分にフィルムをあてがってみたが、大きさが合わなかった。
「これ、切っても大丈夫ですか?」
「平気だよ。家ででも切って調節してみるといい。それと、このフィルターを開発した人たちが、使ってみてどうだったか知りたがってるんだ。あとで教えてく れるかい?」
「わかりました」
 圭一郎はうなずく。たしかに、開発したからにはその効果のほどを確認せねばなるまい。
「そのうち、これがついたケータイが出たりしてな」
「売れるほど需要あるかなあ」
 征二郎の言葉に、圭一郎はとっさにそう返した。すべての妖魔が見えるとは限らないし、見えたからといって退魔師でない人々の役に立つかどうかもわからな い。
「いや、結構需要あると思うよ」
 そう答えたのは吉住だった。
「なにしろ妖魔の数が尋常じゃなく増えてるからね。この間の『シャボン玉ホリデー』みたいな妖魔も出てくる可能性は高いわけだし」
(マジで『シャボン玉ホリデー』って名前になったんだ)
 フィルター越しにしか見えず、シャボン玉のような泡を吐き出し、人を駄目人間にする妖魔。昔のテレビ番組の名前をつけられたらしい。
「君たち退魔師に任せきりにしてないで、僕たちも協力したいしね。ほんとは、増える原因を突き止められたらいいんだけど……」
(増える原因……)
 妖魔が出現する原因を、圭一郎たちは知っている。
 思いが集まり、形をとる。
 だが、それを吉住に伝えてよいものか、圭一郎は躊躇する。
 宝珠を剣に変え続けてきた圭一郎でさえも、にわかには信じられなかったことだ。吉住に受け入れられるものだろうか。
 が。
「妖魔なら、行き場のない思いが集まってできたんだってさ」
 圭一郎が迷っている間に、征二郎があっさりとそう口にした。
「なんだい、それ?」
「だからさ、人の思いって形になるんだよ。俺たちの剣みたいに」
「それが妖魔? ええと、君たちの剣みたいって?」
「ええとですね」
 圭一郎は思わず口を出す。言い始めたからにはきちんと説明しなければならないが、征二郎に任せていては、吉住がさらに困惑しそうだ。となれば、圭一郎が 言わねばなるまい。
「聞いた話で、僕たちもよくわかってないんですけど、人の欲望とか願いとかって、満たされなかったり対象がなくなったりしても、後に残っているんだそうで す。それが集まると形を取って妖魔になるらしくて……」
 言いながら圭一郎は、そっと吉住の反応をうかがう。こんな怪しげな話をどこまで聞いてくれるか、見当がつかなかったのだ。
「人の欲望? うーん」
 吉住自身もどう反応したものか困っているらしく、圭一郎の言葉をつぶやくように繰り返している。
 途中で打ち切るわけにもいかず、圭一郎は説明を続けた。
「原理は僕たちにもわかりません。僕たちの宝珠が、なんで剣になるのかわからないのと同じことです。でも、オブジェ騒動でクラスごとにオブジェの形が違い ましたよね? あれも行き場を失ってとどまっていた思いを受けていたからなんです」
「ああ、なるほど」
 オブジェの例を出したのが奏効したのか、吉住は納得したようにうなずく。
「つまり、行き場を失った欲望が集まって形を取ったものが、妖魔という現象なんだね?」
 困惑しつつも吉住はなんとか、圭一郎の説明をとりあえず理解しようとしてくれたらしい。
「そういうことです」
「ってことは、人の欲望が増えると妖魔が増えることになる?」
「……ええと、たぶん」
 護宏が妖魔の話をしてくれた時には、増える理由までは聞かなかった。圭一郎にも判断のつかないことなので、あいまいに答える。
 だが吉住は、圭一郎の情報のあいまいさを大して気にしてはいなかった。
「そうか、だから大衆消費社会の発展と妖魔の増加がリンクして……いや、ポストモダン的状況におけるアノミーが起因するとしたら……ひょっとするとこれは とても興味深い……」
 むしろ、ぶつぶつとつぶやいている。目をきらきらと輝かせ、圭一郎から聞いたばかりの新情報を自分の仮説に照らし合わせるべく、頭をフル回転させている 様子だった。
「吉住さん、どーしたんだ?」
 征二郎が無遠慮に声をかけると、吉住ははっと我に返る。
「ああ、ごめんごめん。研究モードに入りかけてしまったよ。人と会ってる時にやっちゃいけないよね」
 吉住は照れたように笑ってみせる。
「帰ってからデータと付き合わせてみるけど、今の話で妖魔が増える原因をはっきりさせられるかも知れないと思ったんだ」
「ほんと? どんな?」
「聞いた話だけだと不正確かも知れないけれど、行き場のない欲望が増えるには、大ざっぱに三つの条件が考えられる。一つは欲望をもつ人の数が増えること。 二つ目は人一人当たりの欲望が増えること。それに、欲望が満たされない状況になること。今妖魔が増えているのは、この条件が揃っているからなんじゃないか な」
「人の数が増えるのはわかりますけど、欲望が増えるって?」
「それはね」
 圭一郎の問いを予想していたのか、吉住はすぐに答える。
「今の時代の僕たちは、昔の人よりも欲しいものが多いんじゃないか、ってこと。たとえば……車が存在しなかった時代に、車をほしがる人はいなかったよね。 大量生産前の、限られた人しか車を持てない時代にも、手が届かなくて最初から欲しがる気もなかった人が多かった。大量生産で安くなって、買う側も豊かに なってくると、みんなが買えないこともなくなる。しかも、そういった物の情報は格段に入りやすくなっているよね。CMなんかも欲望を煽り立てるし。そうす ると……」
「車が欲しいっていう欲望が増えるんですね?」
「そういうこと。しかも、手が届きそうであればあるほど、手に入らなかった時の持って行き場のない気持ちも大きくなりそうだよね」
「釣り落とした魚は大きい、ってことですか?」
「ああ、そうそう。まさにそれだよ。引っ掛かりもしなかった魚の大きさはわからないし、惜しくないからね」
 とはいえ、と、吉住は気のいい髭面を少しだけ曇らせる。
「今のはものすごく雑な仮説だけどね。……それに、欲望で妖魔が増えるんだとしたら、まだまだ増え続けるかも知れない」
「えー、なんで?」
 征二郎が抗議の声を上げる。この場合、吉住に抗議してもしかたがないのだが、妖魔が増え続けるというのは圭一郎にとってもありがたくない予測だった。
 だが。
「今の話の逆を考えてごらん。妖魔を減らすにはどうしたらいい?」
「人が減るか、欲望が減るか……」
 口に出して圭一郎は気づく。
「どっちも無理そうですね」
 少子化が進めば日本の人口はゆるやかに減っていくのだろうが、急激な人口減少はありそうにないし、人為的に起こせることでもない。かといって、欲望など という目に見えないものを減らすこともできそうには思えない。
「うん、僕もそう思う。減らないのなら現状維持か、さらに増え続けるか、だよね」
「欲望が満たされたらいいんじゃねえの?」
 征二郎が意外に的を射た提案をする。
「それができればいいけど、資源には限りがある。欲しいからといってなんでも手に入るわけじゃないよ。それにたぶん社会情勢にも左右されることだしね」
「たしかに」
 圭一郎はがっくりと肩を落とす。
 妖魔の気配は今もそこかしこから感じられる。さしあたって怪事件を起こすまで強まってはいないようだが、いつ出現して警察から呼び出しがかかるか分かっ たものではない。
 この、気の休まる間のない生活がずっと続くのか。
 そう思うと気が重い。
「まあ、荒っぽい仮説でそんなに気を落とさなくてもいいと思うよ。対応策がないか僕も調べてみるし、研究会でも検討してみるしね」
「はい」
 吉住になぐさめられはしたものの、圭一郎の頭から重い気分が拭い去られることはなかった。


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