「うーん」
何度目かのため息を吐き出し、圭一郎はほおづえをついた。
目の前のノートパソコンの画面には、書きかけのメールが表示されている。
「なんだよ圭一郎、さっきから」
自分の机で雑誌を読んでいた征二郎が、画面をのぞき込んできた。
「今日の報告書」
「妖魔退治の? いつもさっさと書いてるじゃん。なに悩んでるんだ?」
「いつもとは違ったじゃないか」
圭一郎はあきれたように征二郎に顔を向けた。
「前田が妖魔化したなんて、どう書いていいかわからないし」
「そのまんま書いたら?」
「そういうわけにもいかないだろ。だいたいそのままって、どこから書くんだよ」
口をとがらせながら、圭一郎は再び画面をのぞき込む。
前田は二人の宝珠を奪おうとして妖魔化した。宝珠を奪おうとしたのは摩尼珠を失ったからだが、そこから説明するとなると、摩尼珠のはたらきや前田がしてきたことまで書かざるを得なくなる。だがそれは報告書の範疇を越えているようにも思えた。
「データベースで使う部分だけってのは? じゃなかったら吉住さんに聞くとかさ」
「……」
征二郎の言葉を、圭一郎は頭の中で反芻した。
確かに自分一人の手には余る。聞いてみるというのは、悪くない考えだ。
「じゃあ、摩尼珠は伏せて、今日のことだけ書くよ。それで、報告書にどう書いたらいいのか相談してみる」
「うん、いいんじゃねえの?」
征二郎はあっさりとうなずく。あまり考えて承諾したようには見えないが、どのみち、吉住にメールを送るのも報告書を書くのも圭一郎だ。
圭一郎はノートパソコンに向き直り、メールの続きを打ちはじめた。
「……これでよし、と」
一通り打ち終わったメールをざっと読み返し、送信ボタンを押す。
「なあ、圭一郎」
メールを送信し終えて軽くのびをしている圭一郎に、雑誌を読み終えた征二郎が声をかけた。
「今日みたいなこと、またあるのか?」
「人が妖魔になるってこと?」
「うん」
「どうだろうね……」
圭一郎は返答に迷う。
正直なところ、判断がつかない。
妖魔化は前田だけに起こった特別なことなのか、それとも、普通に起こり得ることなのか。
圭一郎はしばらく考えて、自分の予測を言ってみることにした。
「また起こると思う」
「なんで?」
「あれは、行き場を失った欲が集まった先がたまたま人の身体だったってことだ。吉住さんが言ってたみたいに欲自体が増えてるのなら、人の身体に集まることだってこの先珍しくなくなっていくんじゃないかな」
「そっか、そうだよなー」
征二郎は珍しくため息をつく。
「なんだよ?」
「人に剣向けるのはイヤなんだけどな」
「助けることができても?」
「うん。気分的なもんだけどさ」
「それは……」
理解はできる。
そうしなければ前田を救うことはできなかった。そう言うことは簡単だ。
だからといって、人に剣を向ける嫌な気分を解消できるものではない。
そんなことは征二郎もわかっているだろう。
それゆえに、圭一郎は言葉を見失う。
(僕たちにできるのは、剣を使うことだけなんだよな)
できることはあまりに限られている。
宝珠の剣は妖魔を斬り、妖魔となった人を救うことができる。だが、それだけだ。妖魔の増加を止めることも、未然に防ぐこともできはしない。
そして、彼らにはどうしようもないところで、妖魔は確実に増え続けているのだ。
圭一郎はやりきれなさに唇を噛む。
その時。
机の上の充電器にセットしてあった携帯電話が、かすかに震えた。
(メール?)
圭一郎はすぐに手に取ってみる。
画面に表示された送信者名を一瞥し、そして目を丸くした。
「どしたー?」
征二郎が目ざとく尋ねる。
「滝から」
「なんて?」
「ちょっと待てよ」
圭一郎は急いでメールの本文を表示する。画面には、前田を救ってくれて感謝する、といった内容が、ごくあっさりとした文面で表示されていた。
「らしいというか、なんというか」
そうつぶやいて、携帯を征二郎に渡す。メッセージを読んだ征二郎は首をかしげた。
「あれ、前田が妖魔化したって護宏に言ったっけ?」
「言ってないけど、いつものことじゃないか」
「いつものことって?」
征二郎は納得がいかない様子だ。
なんでわかんないかなあ、と思いつつ、圭一郎は補足説明を加える。
「今のあいつには空間の概念が通用しないだろ? 僕らがなにをしてるかなんて、たぶんお見通しなんだよ」
言いながら、圭一郎ははっとした。
たぶん、突っ込むポイントはそこではない。
「それより、なんであいつが前田を心配するんだ?」
考えてみれば、前田は彼を利用しようとしていたのだ。沙耶を一度ならず危険な目に遭わせた前田を不快に思いこそすれ、護宏が心配する理由などないように思える。
「メールで聞いてみたら?」
征二郎がそう言って携帯をよこす。圭一郎はボタンを押しかけたが、そのまま携帯を充電器に戻した。
「なんだよ、聞かないの?」
「明日学校で聞くよ。メールで話すことでもないだろうし」
それに――圭一郎は心の中で続けた。
人が妖魔になる現象が今後も起こるのかどうか、その答えも恐らく彼が知っているはずだ、と。
知っているからといって、わざわざ向こうから話してくれることはない。護宏が宝珠兄弟の妖魔退治をさりげなくサポートすることはあるが、かといってすみずみまで行き届いた世話を焼いてくれているわけではないのだ。
それでもちゃんと正面から尋ねれば、彼はそれなりの答えを返してくれる――最近の経験から、そう圭一郎は確信していた。
「あ、そういや明日終業式だっけ。忘れてた」
「そこに反応する?」
征二郎の返事に軽く脱力感を覚えつつ、圭一郎はノートパソコンを閉じ、明日尋ねたい事柄を整理しようと手帳を開いた。