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24話 思いの集まるその先に

4 増えゆく妖魔

 二人が学校に戻った頃には、校舎内はすっかり静まり返っていた。終業式も済み、生徒たちは軒並み下校してしまったらしい。
「別にさあ、戻らなくてもよかったんじゃないの?」
 二人以外には誰もいない廊下に、征二郎の声が妙に響いた。
「おまえは通知表もらいたくないだけだろ」
「ばれたか」
「それにそもそも、おまえカバン持ってないじゃん。教室?」
「圭一郎こそ、学校に戻って来るのになんで律義にカバン持って行ったんだよ」
「習慣だよ、悪いか」
 開き直ってはみたが、確かに重いカバンを持って妖魔退治に赴き、再び学校に戻ってきたのは、なにか無駄な労力を使った気もしないでもない。
 職員室で教師から通知表を受け取ってから、二人は征二郎のカバンを取りに、二年A組の教室に向かう。
 教室の中をのぞき込んだ征二郎が、あっと声を上げた。
「護宏、いたんだ!」
 がらんとした教室の中、滝護宏が自分の席につき、朝と同じ本を読んでいる。
 征二郎の声に顔を上げ、ゆっくりと本を閉じた。
「おまえたちを待っていた」
「! 征二郎、おまえまた連絡忘れたのか?」
「忘れてねーよ、ほら!」
 征二郎が抗議の声を上げつつ携帯電話を圭一郎の目の前に突き出す。表示された画面には、確かに護宏に送信された履歴が残っていた。
「メールは読んだ」
 護宏が静かに言う。
「だが、征二郎のカバンがあったから、戻って来ると思った」
「待っててくれたわけ?」
 圭一郎の問いに、護宏はいつもの悠然とした口調で、逆に問いを返す。
「すぐにでも聞きたいことがあるんだろう?」
「それはそうだけど、君なら僕が何を聞きたいのかもわかってるんじゃない?」
「……そう思うのか?」
 護宏は圭一郎を正面から見据える。
 その目には特に感情は表れていない。あの気配もしていない。それにもかかわらず圭一郎は、教室の温度がすうっと下がったような、全身の皮膚がぴりぴりと張り詰めるような気分を感じていた。
「何が起こっているのかは、大体把握している」
 圭一郎が何も返せないうちに、護宏が口を開く。
「だが、そのことに対しておまえたちが何を思い、俺に何を問うつもりかまでは、踏み込むつもりはない」
「答えてくれるわけ?」
「できる範囲でなら。だが、聞きたければおまえたちの言葉で聞くがいい。その手間は惜しむな」
「惜しんでるわけじゃ……」
「それに」
 護宏は――彼にしては珍しいことに――とっさに反論しかけた圭一郎を遮って言葉を続ける。
「答えは、問いがなければ存在しない」
「どういうこと?」
「ある問いに対する答えは、どういう問いがどう発せられたかによって変わる。聞かれていないことに答えることはできないんだ」
「……」
 圭一郎は考え込む。
 わからないこと、知りたいことは、数え切れないほどある。そして、その多くに対する情報を、護宏は持っているはずだ。
 だが、その情報を得るためには、自分で聞かなければならない。護宏は問いに対する答えという形でしか、その情報を伝えてくれそうにないのだから。
 ならば、何をどう問えばよいのだろうか。
「よーするに、聞きたいことがあるならとっとと聞けってことだろ?」
 不意に征二郎が言った。
 よくそこまでものごとを単純化できるな、と、圭一郎は半ば呆れたが、征二郎は構わず問いを口にのぼらせる。
「あれだよな、なんで前田を助けたからっておまえがお礼言うわけ?」
「……そこから聞かれるとは思っていなかった」
 護宏が心底驚いたといった口調でつぶやいたが、すぐにあとを続ける。
「理由は二つある。摩尼珠を相応しからざる者が持つと、つのる欲望に振り回され、己の道を見失う。あの男も摩尼珠を手にしなければ、普通の退魔師として仕事をしていたはずだ」
「君はそれで許せちゃうんだ。あれだけのことをされたのに」
「おまえたちも同じだろう?」
 納得のゆかぬ圭一郎に、護宏は静かに聞き返す。
「おまえたちも、やつを救うことを選んだんじゃなかったのか?」
「だって、放っておけないよ、あの場合」
「それは俺も同じことだ」
(……意外と親切なんだ)
 圭一郎はそう思ったが、口に出すと厭味のように聞こえてしまいそうだったので、続きを促すことにした。
「じゃあ、二つ目の理由って?」
「おまえたちが宝珠で、欲望に呑まれた人間を救えたことだ。この先恐らく、その力が必要になってくる」
「それって妖魔を退治するのとなんか違うわけ?」
 征二郎が問う。
「おまえは、いつもと同じ気分で前田を斬ったのか?」
「まさか!」
 護宏の問いかけに、征二郎は即答した。
「人に向かって妖魔と同じ気分で剣振れるかよ」
「……そうだな」
 護宏は静かにうなずく。
「宝珠の効力は願いを反映する。妖魔を斬るつもりでおまえが前田を斬っていたら、そういう結果になったはず。前田が助かったのは、おまえたち二人が彼を助けたいと強く願ったからだ」
「征二郎だけじゃなく、僕も願ってなかったらだめだったんだ」
「当然だ」
 護宏はあっさりとそう答える。だが一つ間違えば、前田という人間が妖魔として退治されてしまったかも知れない。その重さを圭一郎は感じていた。
 あの時は夢中だった。ただ、目の前の相手を救うことしか考えていなかった。 結果的にはそれでよかったのかも知れない。だが、護宏の言葉にはまだ気になる部分が含まれていた。
 圭一郎はその部分を尋ねてみることにする。
「必要になってくるって言ったよね。それって、前田みたいに妖魔化する人がまた出てくるってこと?」
「うすうす気づいていたんじゃないのか?」
「……」
 圭一郎は答えにつまる。
 護宏の言う通りだ。
 行き場を失った欲望が集まって妖魔となる。欲望を抱く人間は、欲望が集まる核になりやすい。ならば、前田の身に起こったことは、そう特別な現象ではない。
「ああいうことはこれからいくらでも起こりうるんだね」
 確認のつもりで言ってみると、護宏はうなずいた。
「そうだ。行き場を失った欲望が増え続ける限りはな」
「つまり、妖魔はどんどん増えるし、その上妖魔化する人も増えていく、ってことか」
 圭一郎は嘆息交じりにつぶやく。
 認めたくはなかったが、どうやら懸念していたことは現実に起こりつつあるらしい。
「欲望が増えるのは、止まんないわけ?」
 征二郎が尋ねる。
「原因を考えればわかるだろう?」
「人口が多いし、豊かになってかえって欲望を抱きやすくなっているから?」
 圭一郎は、吉住との会話を思い出しつつ確認してみた。
「そういうことだ」
「じゃあ、人を減らすか、かなわない欲望を抱かないようにするかしないとだめなんだね」
 圭一郎は目を伏せたままつぶやく。
 ふと顔を上げると、からかうような表情の護宏と目が合った。
「……人間は悪魔よりも物騒なことを考える」
「!」
 圭一郎はあわてて首を振る。
「な、なに言ってるんだ。やるわけないだろ、前田じゃあるまいし」
 言いながら、そうか、と思う。
 恐らく前田ももとは、妖魔が増える現状を憂える退魔師の一人だったのだろう。だが、制限があったとはいえ願いのかなう摩尼珠を手にし、現状を変えようとしたがゆえに、少しずつ道を踏み外してしまったのではなかろうか。
「とにかく、原因をなんとかするのが無理な以上、今まで通りに退治していくしかないんだよね」
 今までと同じく、いや、今まで以上に増え続ける妖魔を一体ずつ退治していかなければならないのだろうか。
 さっきまで考え込んでいた自分たちの進路についての不安が、再び頭をもたげてくる。
 護宏はそんな圭一郎の様子を眺めていたが、やがて、
「一つ言っておく」
「なに?」
「妖魔の気配を感じ取れる者は、それだけ欲望を身に集めやすい」
「!」
 圭一郎はどきりとして護宏の顔を見る。
「僕が……前田みたいになるかも知れないってこと?」
「その可能性はある」
 あくまで冷静に護宏は、圭一郎が到底冷静になれそうにないことを告げる。
「だが、おまえには征二郎がいるから大丈夫だろう」
「どういうこと?」
「歯止めになる」
「?」
 圭一郎はさらに説明を求めようとしたが、問いを発する前に、護宏が先を続けた。
「むしろ周囲に気をつけた方がいい。退魔の力を持つ者は少なくないはずだ」
 圭一郎と征二郎は顔を見合わせる。
 確かに、妖魔の気配を感じ取る者は身の回りに多い。父の進や伯父の優、従兄の流、それに美鈴家の凜……。
「そういう事態がいずれ起きるってこと?」
「先のことなどわかるわけがないだろう。可能性の話だ」
(予言ってわけじゃないんだな)
 護宏がどのような力を持っているのか、圭一郎は把握しているわけではない。空間を自在に移動し、人の記憶を操ったり心に直接呼びかけたりする場面にはこれまで立ち会ってきたが、それ以上になにを隠し持っているのかは、知るべくもない。
 とはいえ、護宏は未来までもその手中におさめているわけではないらしい。それでも起こり得る可能性から判断して、警告を発してくれている――そういうことなのだろうと、圭一郎は結論づけ、話を先に進める。
「その時に、妖魔化した人を救う力が必要になってくるって?」
「そういうことだ」
「……あんまりそういう事態にはなってもらいたくないけど」
 口に出してそうつぶやく。言ってもしかたのないことだが、言わずにはいられなかった。


 


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