夢魔

第2章 血統

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3

「いやあ、懐かしいなあ。だけど亡くなっていたとはね」
 思い出話がひとしきり終わった後で、先生は心底残念そうな顔をした。
「なんで夢使いをやめたのか、聞きたかったなあ。それに今夢魔退治を再開してくれたら、貴重な戦力になっただろうに」
「どういうことですか?」
 透が尋ねる。
「最近、夢魔の力が強くなっているっていう噂でね。確かに以前より倒しにくくなっているんだ」
「そうなんですか」
 以前を知らない透には、ほかに言うことがない。とりあえず尋ねてみる。
「何か理由があるんですか? その、夢魔が強くなったのは……」
「どうだろうねえ」
 それが先生の答えだった。
「平井さんなら何か知ってるかも知れないけど」
「平井さんって?」
 環の問いに、透が答える。
「夢使いのリーダー格の人だよ。どう見てもただのおばさんなのに、夢魔退治にかけては凄いんだ」
「ただのおばさん……」
 先生が呆れたような奇妙な表情をした。そして話題を元に戻す。
「しかしあの木田さんの子どもが夢使いの力を持ってたなんて、心強いよ。透君の話では、かなりの力の持主らしいし」
「かなりの力って、僕が?」
「もちろんだよ。自分が夢の中に入っていることがわからないのに夢魔を倒してしまった話なんて、今まで聞いたこともない」
「正直言うとさ」
 透が付け加えた。
「俺、あの夢の中で、夢魔が倒せるか不安だったんだ。あまりに強い気配がしてたから……。それをあっさり目の前で倒しちまった奴がいたもんだから、びっくりしたよ」
「でも……僕なんかが?」
 照れたように言いながらも、環はさすがに嬉しそうだった。
「でも、血筋ってあるもんなんだなあ」
 先生が感心したように言う。透はふと思い付いた。
「それじゃあ、君のお姉さんは? 夢使いの力って持ってないのかな」
「恵美が?」
 環は首をかしげた。
「さあ。聞いたことない。この前祖母に聞いたときも何も言わなかったし……あ、むしろ何か嫌なこと聞いたみたいな反応だった」
「嫌なこと?」
「よくわからないけど、そんな下らないことをっていう態度だったな」
「下らないことねえ」
 夢使いという、心的なものを扱う仕事は、ともすればうさんくさく見られやすい。他人の夢に入る人間の存在も、まして夢を通じて生気を喰らう魔物の存在も、形ある現実しか見ようとしないリアリスト達には受け入れ難いことなのだ。
 恵美もそういったリアリストの一人なのだろうと、透は思った。きっと現実が恵まれているので、夢のことなど深く考える気もしないのだろう、と。
「だけど島村君、夢使いの勉強って何するんだ?」
 環が透に尋ねる。
「何ってそりゃあ、特定の人の夢の中に入る方法とか、夢魔の行動パターンとか、夢の中でできることとか……」
「それから、してはいけないことなんかもね」
 先生が付け加えた。
「してはいけないこと?」
「人の夢の中に入るってことは、心の奥底に踏み込むわけだからね。夢使いはあくまでも夢魔を退治するだけでなければならないんだ」
 一時期、夢使いの能力を利用して、心理療法を行おうという試みがなされたことがある。クライエントの夢の中に入って夢の世界を観察した夢使いが、夢から醒めたクライエントとその夢について話し合い、治療に結び付けようというものであったが、他人に心を覗かれるという不安がクライエントに大きく、試みは成功しなかった。
 夢を扱う仕事だけに、夢使いには高いモラルが要求される。夢の様子を無関係な他者に口外することや、夢の世界を変えるようなことは、夢使いとして決してしてはならないこととされている。
「いろいろ倫理的な問題があるからね。だから夢使いの仕事を始めようとする人には、僕みたいに指導担当がつくんだ」
「そうなんですか」
 環は感心したようにうなずいた。

 ともあれこうして、粟飯原環は夢使いの一員として透とともに勉強を始めることになった。
 透は同い年の仲間ができて嬉しく思ったし、先生はかつての憧れの女性の忘れ形見で、能力的にも十分期待できる生徒の出現に、これまた喜んでいた。環自身も、自分がこれほどまでに期待される場があるということに、気分をよくしていた。姉の恵美があまりに目立つせいか、どちらかと言えば控え目な性格に育った環だが、目をかけられればその分応えようとする真摯な姿勢も持っていた。
 透がにらんだ通り、環の才能はもともと卓越したものであったが、さらに真面目な姿勢が加わって、間もなく環は次々と夢魔を倒していくまでに成長していった。


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