夢魔

第3章 姉弟

[prev][next][top]


「どこ行ってたんだ?」
 昼休みの終わり頃、教室に戻ってきた環に、透は声をかけた。
「屋上」
「またかよ」
 透としゃべっていた関野が言う。
「今度は誰?」
「おい関野、そーいうことは突っ込むなって」
 透が止めようとしたが、環は困ったようにちょっと笑うだけだった。
 粟飯原恵美の弟だけあって、環はどこにいても人目を惹く顔立ちだ。おとなしく、特に自己主張しているわけでもないのに、女子生徒に人気がある。人目につかない所に呼び出され、つき合ってくれと言われることもしばしばだ。
「で、どうしたんだ? また断ったのかよ」
「……うん。よく知らない子だったし……」
「とりあえずつき合ってみるとかすればいいじゃん」
 関野も口をはさむ。
「とりあえずって、嫌なんだ。その子にも悪いだろ?」
「まったく、贅沢な悩みだぜ」
 環は大して話したこともない女子に想いを打ち明けられても、いきなり好きになれるわけがないと言っている。正論かも知れないが、真面目すぎるきらいがある。人気があるのに女の子とつき合ったことがないのは、彼の生真面目なのか、奥手なのか……とにかくおとなしい性格のためだった。
「まあ姉さんが姉さんだから、並の女じゃだめだよなあ」
 関野の言葉に、環は抗弁した。
「そ、そういうわけじゃないよ」
「そうかあ? あんな美人見慣れてるから、女がみんなブスに見えるんじゃないか?」
「違うよ、多分……」
 環はますます困った表情になる。関野などはそれが面白くて、ついついからかってしまう。彼は密かに『粟飯原シスコン説を証明する会』会長兼会員なのだと、透に言ったことがある。会員数一名のこの会に透も勧誘されたことがあるが、丁重に断った覚えがあった。
 関野には悪気はない。人気があるのに誰ともつき合わない環を、親しさ半分、やっかみ半分に材料にして遊んでいるだけで、そこに誰でも知っている恵美の名を出しているだけだ。だが透には、関野の冗談に『洒落にならない』ものを感じてしまうのだった。
(関野みたいに、冗談であんなことを言っちゃ駄目だ)
 そんな感覚が、常に透につきまとう。
 単なるクラスメイトの関野と違い、仕事仲間でもある透は放課後も環と行動をともにすることが多い。そして彼は、一緒に歩いている時の環の話題に、いかに恵美が頻繁に登場してくるかを知っている。
 きわめつけの出来事が、数日前にあったばかりだ。

「お、おい、粟飯原」
 夢使いの会合に向かう途中の電車の中、透は環の耳たぶに光るものを見つけた。
「それ、ピアスじゃないか?」
「気がつかなかった? 夏休みにあけたんだけど」
 ごくあっさりと環は答え、透は二度驚く。夏休みは半月前に終わっていたのに、今までまったく気づかなかった。
 ピアスをしている生徒は結構多い。校則で禁止されているので堂々と学校にしてきているわけではないが、放課後のファストフード店などではよく目撃される姿だ。
 だが、環はあまり流行に乗りそうな性格ではない。ピアスをするようには思えないのだ。
 透は理由を聞いてみることにする。
「どうしたんだよ、いきなり」
「うん、恵美がさ、似合うからやってみろって」
「それだけで?」
「うん」
(まあ確かに似合うけど)
 透もそれは認める。
 だが。 「おまえ、姉さんにそう言われたからってあけちゃうわけ?」
 透はそう聞いてみずにはいられなかった。環はいつものお人好しな笑顔で応じる。
「恵美の言うことは、いつも聞いてあげてるから」
「いつもお?」
(おまえ、ちょっとはその関係に疑問を持てよ!)
 透は危うく出かけたそんな言葉を呑み込み、かわりにこう言った。
「へえ、女帝は家庭内でも女帝なんだ」
「ちょっと違うよ」
 環はおっとりと答える。
「恵美は外ではわがままだけど、僕には優しいもの」
「……ああそう、よかったな」
 耐え切れなくなって、透は会話を打ち切る。環はきょとんとしていたが、会話を続けていたら、透はこんな言葉を口走ってしまったに違いない。
「それじゃまるでのろけ話だぜ」
(相手が彼女だとかいうんなら、俺ももうちょっと面白がって聞くけどな)
 基本的には、透は環を親友だと思っている。夢使いの才能に恵まれていながら、環はおごることのない優しい性格の持主である。相談事には親身になって応じるし、多少お人好しな面に苛々させられる以外は、環は実に「いい奴」なのだ。だが、環の口から恵美の話を聞くことは、透には唯一我慢がならないことだった。
(絶対変だ。なんで高一にもなって、姉さんの言うことにいちいち従ってられるのかわからないよ)
 透にも姉と妹がいる。だが、互いの長所、短所は知っていても、のろけのような口ぶりで他人に話すことなどできはしない。第一、喧嘩もよくある出来事なのだ。それが普通のきょうだい関係だと思っている透には、環の心情は理解できない。
(俺の家が変なわけじゃないだろうし、早くに両親を亡くすと、どうしてもああなるのかな。きっとあいつの姉さんだって、たった一人の弟を懸命に守ってきたんだろうし)
 彼はそう自分に言い聞かせる。無理に自分を納得させるかのように。
 それ以上のことは考えないようにする。でないと、不安でならないのだ。


[prev][next][top]