夢魔

第3章 姉弟

[prev][next][top]


「夢魔の王?」
 透が聞き返した。
 夢使いの会合の席。とあるマンションの一室で、まるでお茶会といった風情で六、七人がテーブルを囲んでいる。透や環をはじめとする経験の浅い夢使いたちを集めた特別講義だった。
「夢魔が強くなってる理由が、その夢魔の王というわけですか」
 国村響子が尋ねる。二十一歳の女子大生で、経験は浅いものの、強いと噂された夢魔を既に何匹か退治している。知識欲が旺盛で、夢魔に関する知識は群を抜き、いずれ駆け出し夢使いの指導担当になるという話もあった。
「そう。夢魔の王が現れると、他の夢魔の力も強くなると言われています」
 穏やかな口調でリーダーの平井が答えた。おっとりとした口調の、どこにでもいそうな中年の女性である。
「何なんですか、夢魔の王って」
「そこまでは、まだ誰も知りません。ただはっきりしているのは、夢魔の中で最も強い力を持つものだということだけです」
「現れるっていうことは、いない時もあるんですね?」
「そう。これをごらんなさい」
 平井はテーブルの上に一枚の折れ線グラフを広げる。方眼紙に赤いボールペンで書かれたそのグラフに、皆の視線が集まった。
「これは過去二十年の、夢使いが取り逃がした夢魔の数です。ほら、去年ぐらいまでは数が少なかったのに、去年後半から今年にかけて、取り逃がした数が増えてきているでしょう?」
「取り逃がした数で夢魔の強さがわかるんですか?」
 数週間前に夢使いになったばかりの沢村清志が尋ねる。平井は、この初歩的な質問にも親切に答えた。
「夢魔の力が強く、夢使いの力を上回ると、夢使いには夢魔を夢の中にとどめて倒すことはできなくなってしまうんですよ。だから、取り逃がした夢魔は、その夢使いの力を上回っていたことになるの」
「あの、ちょっと外れた質問なんですけど」
 国村が口をはさんだ。
「力の強い夢魔に反撃されることって、あるんですか?」
「そこまで強い夢魔が実際にいたという話は、私も聞いたことがありませんね」
 平井の言葉に、一同は心の中で安心した。だが、平井はさらに言葉をつぐ。
「でも、国村さんのおっしゃったことは、理論的には充分ありうることでしょう ね。だから夢使いは危険な仕事だと言われているんですし」
「じゃあ夢魔の王がいなければ、まだ危険ではないと?」
「絶対安全とは言えませんが、まあそうですね。……本題に戻りましょう」
 平井はグラフの線を指で辿る。
「取り逃がした夢魔の数は二十年ほど前に急増しています。その後、徐々に減少し、五年前にはもとの水準にまで戻りました。島村君、このグラフから何がわかりますか?」
「え、えーと」
 急に指名されて、透は慌てながらも答える。
「二十年前に夢魔の王が出現した、でも段々力が衰えていって、夢魔の力も弱まった……あるいは、夢使いの間に情報が伝わって対策を打ったかなんかで、夢魔を取り逃がさずに退治できるようになった。ということでしょうか?」
「そうね、じゃあ粟飯原君、最近この数がまた増えてきているわけは?」
「夢魔の王が力を取り戻したか、新しく出現したのでは?」
「二十年前よりもゆっくり増えてきているけど、それはなぜ?」
「えっ」
 環はしばらく考えた。
「じりじり力を蓄えている……とか…」
「私もそう思うわ」
 平井は微笑んだ。
「でも、それが正しい推測かどうかはわからないの。夢魔の王についてはほとんど知られていないから。退治する前に夢魔から聞き出すことでしか、情報は手に入らないけど、殺される寸前の夢魔は、そう簡単に大事なことを教えてくれませんからね」
「あの、じゃあ」
 国村が言った。
「もしも本当に夢魔の王が今いて、力を蓄えているんだとしたら、何とかしないと危険じゃないんですか?」
「何とかしたいのは山々なのよ」
 平井のその口ぶりは、打つ手がないことを皆に悟らせた。
「夢魔の王がどこにいるのか、なぜそいつが出現すると夢魔の力が全体的に強まるのか……肝心なことは何もわからない。ただ一つ言えることは、私たちにとってはこれからますます危険になるだろう、ということだけ」
 彼女が口をつぐむと、室内は重苦しい静寂に満たされた。

「あんなこと言われたら、恐くて夢魔退治ができなくなるじゃん」
 帰り道、透はそんな感想を口にした。環がたしなめるように言う。
「でも気をつけなきゃならないっていうのは大事だよ」
「わかってるよ。それぐらい」
 透は口をとがらせて答えた。そうだねというように環はうなずき、呟くように言った。
「それにしても夢魔の王って何なんだろう」
「謎だよな。あ、響子さんなら調べまくるかも知れない」
「あはは。そうだね」
 二人は顔を見合わせて笑う。少なくともこの時点では、夢魔の王などというものは、二人にとって遠い存在であり、ベテランの夢使いや国村のような探求心旺盛な夢使いがなんとかしてくれるだろうというぐらいにしか思えなかった。


[prev][next][top]