夢魔

第4章 千秋

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 透が大学から帰ると、玄関に女物の靴があった。姉や妹のものではない。
(誰だろう?)
 首をかしげながら廊下を歩く透に、母親が声をかけた。
「お帰り。千秋ちゃんが来てるわよ」
「千秋が?」
「あんたに話があるんだって。居間にいるから早く行きなさい」
(げ、またか)
 名伽川(なかがわ)千秋は、透の一歳年下の従妹で、この春短大に入学したばかりだ。透はこの溌剌とした従妹が、どちらかといえば苦手な方である。だが誰に対しても親身になって話を聞いてしまう癖のある透は、千秋にとっては丁度よい相談相手らしく、何かあるたびに頼られるのだった。一カ月前の相談は、つき合い始めた相手が意外に自分勝手だがどうしようというもので、半分のろけ話に近かった。
「透兄ちゃん」
 居間に入るなり、千秋が呼びかける。いつもの口調だ。
「何だよ話って。また彼氏の話か?」
 椅子に座りながら、透は何気なく言った。
 千秋は意外にも、傷ついたような表情をする。透がぎょっとしていると、
「あいつ……死んじゃったの」
「ええ?」
 瞬間、しまったと思う。が、千秋は続ける。
「先週かな。原因不明の衰弱死……って医者は言ったけど、本当は違ったみたい」
「どうしたんだ?」
「多分、取り憑かれたのよ……夢魔に」
「!」
 透は息を呑んだ。
「……どうしてもっと早く言わなかったんだ。俺が夢使いだって知ってるだろう?」
「遅すぎたのよ。気づくのが。……だって……」
「何だ?」
「私だって知らなかった。あいつを殺した夢魔が、あいつの姿で私の夢に現れる までは……」
「千秋っ! おまえ夢魔に……?」
「多分ね」
 青ざめた顔で、千秋はうなずく。
「最初は嬉しかった。尋達(ヒロタツ)がまだ生きてるようで。でも体の調子がおかしくなって気がついたの。私の夢の中にいるのは尋達じゃなくて、夢魔なんだってこと に。きっと尋達もあの夢魔に殺されたんだわ!」
「すぐ確かめて……ほんとに夢魔なら退治してやるから。……俺は向こう一カ月、毎日夢魔退治が入ってるからできないけど、夢使いのリーダーに聞いて、手の空いてる夢使いを今夜にでも……」
「待って」
 千秋が遮った。その目には強い輝きが宿っている。夢魔に憑かれた(らしい)人間とは思えないほどに、強い意志の輝きだ。
 この強さこそが、千秋の魅力である。
「千秋?」
「お願いがあるの。夢魔は私に倒させて」
「本気で言ってるのか? 夢魔はおまえの彼氏の姿なんだろう?」
「……そうよ、だから余計許せないの。そりゃああいつの顔の夢魔を私が倒せるわけないけど、夢魔ってのは夢の中で好きな姿になれるんでしょ? だったら夢使いの人が正体を暴いてくれたらいい。そうしたら私にだって……」
「千秋、無茶はよせよ」
 透はたしなめるように言う。
「まさかおまえ、今まで自分で夢魔を倒そうとしていたんじゃないのか?」
「何度やってもだめだったわ」
「この馬鹿!」
 透は思わず従妹を怒鳴りつけていた。
「相手は夢魔なんだぞ。そんなことをしてる間に、手遅れになったらどうするんだ!」
「そんなに怒らないでよ、オヤジみたい。だからこうして頼みに来てるんじゃない!」
「……つくづく、無鉄砲な奴だな」
 透は溜息をつく。普段は口論などしない透だが、この気の強い従妹とは言い争うこともしばしばある。彼女は何でも自分でやってしまおうとする性格で、透をはじめ、周囲の皆はいつも振り回される。特に透は、いつの間にか千秋のお守り役にされてしまっていた。
「今電話で聞いてやる。おまえの無茶な頼みを聞いてくれるかどうかまではわからんがな」
「……」
 千秋はふくれたままうなずく。もっともその怒りはさほど長続きしない。いつものことなので、透は千秋を放っておいて、平井に電話をかけた。


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