夢魔

第4章 千秋

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「粟飯原、一体どうしたんだ?」
 千秋が礼を言って立ち去ったあとで、透は環にそう尋ねずにはいられなかった。
 環はいつものおっとりとした顔で聞き返す。
「何が?」
「千秋との会話、おまえらしくなかったぞ」
「え?」
 環は意外そうな顔をする。彼自身はまったく気づいていなかったらしい。透は解説した。
「おまえにしちゃ熱弁だったし、まるで喧嘩でもしてるみたいな雰囲気だった」
「喧嘩?」
 環はますますもって当惑したような顔で聞き返した。透が見た印象では、環だけではなく、千秋もいつもよりきつい口調になっていた。つまり、二人とも「らしくなかった」のである。
 しかしそんな自分自身の姿に気づいていなかった環は、透の言葉を聞いて慌てたようだった。
「初対面の女の子となんで喧嘩なんかするんだよ」
 半ばむきになった態度を押し隠すように、環は付け加える。
「……すごくいい子じゃないか」
「いい子ねえ」
 いつも困らされている従兄としては、少し複雑な心境だ。
「確かにあいつはお嬢様短大の一年だけど……本当にそう思う?」
「もちろんだよ。だから真剣に助けたいと思ってるんじゃないか」
 環はすっかりむきになっていた。透はその様子を見て気づく。
(粟飯原、もしかして千秋のことを……)
「なんだよ島村、にやにやして」
 環は口をとがらせた。透は慌てて真顔になる。環自身も自分の気持には気づいていないだろう。言ってやったら面白いかとも思ったのだが、おくての環をそう急がせることもない。それに、千秋は恋人を亡くしたばかりである。透は話題をそらした。
「千秋の注文……聞いてやるのか?」
「夢魔を彼女に殺させるってこと? もしできるようならね」
「あのさ……」
 透はためらった。千秋は口止めに来たのではないか、それならばここで話してしまってはならないのではないか……そう思った。が、環の気持が千秋に傾いていることに気づいてしまった以上、黙ってはいられないような気持だった。
「あいつ、つき合ってる奴がいたんだ」
「いた?」
 環は鋭く聞きとがめた。透はうなずいて続ける。
「先週……亡くなったそうだ。原因不明の衰弱死で」
「まさか、夢魔に?」
 環は理解が早かった。
「そこまでは知らん。だが千秋が夢魔に憑かれたのもその頃だったらしい」
「つまり……」
 環は話を総合してみる。
「千秋さんのつき合っていた相手が夢魔に憑かれて殺され、その夢魔が千秋さんに憑いたということ?」
「断言はできんが、ともかく千秋はそう思ってる」
「そうか……だから」
「ああ」
 ただ夢魔を倒すだけなら、たとえ数年のブランクがあるにせよ、環はやってのけるだろう。だが、依頼者自身に夢魔を倒させるなどという注文は例がない。
 理論的には、夢魔が恋人の姿をとっているために倒せないのだから、夢魔の幻影を暴き、真の姿を千秋に示してやればよい。だが、そんなことを敢えてしようとした夢使いはいない。第一、夢魔のどの姿が真の姿で、どの姿がまやかしの姿なのか、夢使いたちにもわからないのだ。一般には夢使いは夢魔に支配されないので、夢使いの見る夢魔が真の姿の夢魔だと言われる。だが、どの程度それが真実なのかは、誰にもわからない。
「……辛かったろうね」
 環は悲しげに呟く。その口調から、環がなんとしても千秋の注文に応えてやりたいと思っていることがわかる。
「そうだな」
 透には、それしか言えなかった。


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