夢魔

第4章 千秋

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 その晩、透は心配でならなかった。
 自分の担当である夢魔退治を終えてから、一人眠れない夜を過ごす。環は久し振りの夢魔退治に成功しただろうか。千秋の注文に応えてやることができたのだろうか――。
 まんじりともしない夜を過ごした透のもとに、電話がかかってきたのは、翌朝のことだった。
「島村です」
「朝早くにごめん」
 声は環のものだった。
「どうだった?」
「うん」
 環は一瞬躊躇するように言葉を切ったが、すぐに、
「うまくいったよ。夢魔は退治した」
「本当か、よかったな」
 ほっとして透は答える。
「ところで、千秋の要望には応えたのか?」
「……応えたよ」
 淡々と、環は言った。
「とどめは千秋さんがさした。でも……」
「どうしたんだ?」
 環はことのあらましを、次のように語った。
 夢魔を倒してから、千秋は今まで自分の恋人が死んだことを認めたくなかったと言った。そして恋人の死をやっと認める気になれた、と。そう言う彼女の目には涙が光っていたが、彼女は懸命に涙を堪えていた。
 自分がいるせいで千秋が思いきり泣けないのではないかと思った環は「あなたの夢の中なんだから、好きなだけ泣けばいい。誰も邪魔はしないから」と言い置き、彼女の夢から立ち去った。
 だが、夢から抜け出た環は、千秋のことが気になって仕方がなかった。千秋をあのまま夢の世界に残しておいてよかったのだろうか、もっと他に彼女の心をいたわる術はなかったものかと悩んだ挙句、透のもとに電話をかけたのだった。
「……だから、千秋さんがどうしてるか、様子を教えて欲しいんだ」
 環の頼みを、透は快く承知した。
 これまで恋愛などというものに興味がなかった環。行方不明のままの姉を、未だに探しているという。血のつながった姉を探すなとは、さすがに言えないが、環の恵美に対する熱の入れようは、透を不安にさせた。だから、環が千秋に関心を持ったということは、透にとって歓迎すべきできごとだったのである。
 環との電話が切れて間もなく、また電話のベルが鳴った。今度は千秋からだった。
「おはよう、透兄ちゃん」
 いつもの明るい声である。
「おう、昨夜はどうだった?」 
 既に環から聞いているが、一応尋ねてみる。
「倒したわ。といっても私はとどめをさしただけなんだけど。ともかくもう大丈夫」
 環の言っていたような、悲しみを堪えた様子はどこにも見あたらない。千秋は――少なくとも表面的には――すっかり立ち直ったようだった。
「そりゃよかった」
「粟飯原さんのおかげよ。あの人、結構恰好いいね」
「恰好いい?」 
 思わず透は聞き返す。きれいとかかわいいならともかく、環に対するそんな形容は初めて聞いた。
「うん。夢の中で夢魔を、手も触れないで弾き飛ばした時なんかすごかったよ」
「ちょっと待て」 
 千秋の言葉を、透は鋭く遮った。
「手も触れないで夢魔を弾き飛ばした?」
「そうよ。夢使いってああやって夢魔を倒すんじゃないの? ほら、気功みたいな感じでさあ」
 透は返答に迷った。夢使いはその具象化能力によって武器を出現させ、夢魔を倒すのが普通である。そうしなければならないという規則があるわけではないが、わざわざ武器を出現させて戦わなければ、夢使いは夢魔に勝てない。まして、手も触れずに夢魔を弾き飛ばすなどという技は、並の夢使いにできることではなかった。
 だが、環はやってのけた。それも数年のブランクの後で。
(天才……なんてもんじゃない)
 透は思う。
(完全に復帰してくれたら……それこそ夢魔の王を倒すことだって……)
 夢魔の王。夢魔の力が強まってきている理由として噂されているが、未だ誰もその正体を知らない。知識欲旺盛な国村響子が古い文献をあさって調べているところだというが、あまり進展はないようだ。  だが、環が再び夢使いになってくれれば、貴重な戦力となるだろう。
「透兄ちゃん、聞いてる?」
 千秋の声で透は現実に引き戻された。
「あ? ああ」
(電話中だった)
 それすらも忘れて己の考えに夢中になっていたことに気づき、透は苦笑する。
「だから、粟飯原さんにお礼が言いたいの。随分気にしてくれてたみたいだから」
「あ、そうそう。さっき電話があって、千秋のこと心配してたぜ」
「それじゃなおさらだわ。ねえ、粟飯原さんの電話番号教えてくれない?」
「わかった。メモはある?」
 千秋から電話があったら、環はさぞ喜ぶだろうと、透は思ってくすりと笑った。


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