夢魔

第6章 手紙

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 夢の中で、一組の男女が向い合って立っていた。僕の母と見たことのない男性。二十代ぐらいの青年で、黒ずくめの服装と、どこか悲しげな表情が印象的だった。母は泣いていて、黒衣の男が母を慰めながら、昔の約束を果たして欲しいとしきりに説得していた。でも母はその約束を果たしたくなくて泣いているようだった。一体何の約束なのかを聞きたくて、僕は物陰から二人の会話を聞いていた(出て行ける雰囲気じゃなかった)。会話の内容はよくわからなかったし、あまり覚えていないが、男がこう言ったことは覚えている。
「辛いかも知れないが、約束通り君が僕を殺してくれなければ、僕はまたもとの姿に戻ってしまう」
 物騒な話だが、それが二人の間に交わされた約束だったらしい。母は何度もうなずいたが、どうしても実行できなかった。
 そんな夢を、確か数日続けて見たような気がする。夢の内容は大して変わらなかったが、最後に見た夢だけは少し違った。夢の最後で、遂に母は約束を果たしたんだ。その日もやっぱり母はためらっていたが、男の一言がきっかけで決意を固めたようだった。
「もう時間がない」
 彼は諭すように言った。
「このままためらっていると、環の生命力がもたない。……僕たちの子どもを殺すわけにはいかないだろう?」
 ……母が父でない男と二人きりで逢っていて、しかもその二人の子どもが僕だなんていう内容の夢は、見てはならないものを見てしまったようで、夢とはいえ後味が悪かった。とはいえ僕はずっと、この夢を単なる夢だと思っていた。僕が今直面している問題を考えるようになってやっと、この夢が実は重大な意味を持っているんじゃないかと気づき始めたんだ。
 きっかけは千秋の夢に憑いていた夢魔の話だった。僕は奴に、夢魔の王について問いただしてみたんだけれど、その時に聞いた話だ。
 その夢魔によれば、力の強い夢魔は奪う生気の量を自在に調節することができる。そうすることによって憑いた人間の体力を衰えさせずに心だけじわじわと喰いつくし、空っぽになった心に取って替わる。つまり体を生かしたまま人を乗っ取ることが可能なんだそうだ。そうして人の体を持つことができた夢魔を、夢魔の王という。
 夢魔は人の体を得ると、桁違いに強い力を持つ(その理由は奴にはわからなかった)。夢魔の王の力は他の夢魔にも及び、王が出現すると夢魔の力が総じて強まる。
 昔、平井さんの特別講義で、二十数年前に夢魔の王が出現したっていう話を聞いたことがあったよね。この間平井さんに頼んであの資料をもう一度見せてもらって確かめたんだけれど、夢魔の王が出現した年と、僕の両親が出逢った年は同じなんだ。それだけなら単なる偶然かも知れない。でも気になることが一つある。父は夢魔に憑かれ、母に夢魔退治を依頼したことから交際が始まった。祖母によれば、夢魔に憑かれた後遺症で父は記憶障害にかかり、性格も一変したらしい。「まるで別人になったような」と祖母は言った。だけど君も知っているだろう。夢魔に憑かれた人にそんな後遺症が出るなんて聞いたことがない。
 僕がこれから言おうとしている推測がわかるだろうか。はっきり言ってしまおう。父・粟飯原信は恐らくあの時夢魔に乗っ取られていたんだ。そして母はそれを知っていた。父の体を乗っ取った夢魔は体を再び失い、僕の夢の中で母に殺された……。
 これはあくまで推測にすぎない。夢使いの母がなぜ夢魔の王と知っていて父と結婚したのか、なぜ父は殺されたがっていたのか。わからないことも多いが、そう考えると驚くほどつじつまが合うのも確かだ。
 推測をもう少し進めてみよう。これが正しければ、恵美と僕は「夢魔の王と夢使いの子」だ。ひょっとしたら、両親の力のうち、夢魔の力を恵美が、夢使いの力を僕が受け継いでしまったんじゃないだろうか。だとすれば、恵美は生まれながらに夢魔、それも人の体を持った「夢魔の女王」になる。
 彼女がいつその能力に気づいたのか、いつから人の夢に入って生気を奪うようになったのか。いやそれ以前に、彼女は本当に夢魔の女王なんだろうか(実のところ僕はそうであって欲しくない)。これは恵美に直接会わないと確かめられないことだろう。でもこれだけ探し回って見つからない恵美と、現実の世界で会うことはどうもできそうにないような気がする。残るは夢の世界だが、もしも夢で会ったならば、それはすなわち恵美が夢魔だということの証明になってしまう。そうなれば僕は、夢使いとして恵美と戦わなければならない。
 実は何となく予感みたいなものがする。恵美と戦うのは他の夢使いの誰かではなくて、この僕だと。夢魔の女王に僕が太刀打ちできるのかはわからないけれど、覚悟は決めておかなければならないだろう。
 そして戦いは意外に目前に迫っているような気がする。その理由は最近続けて見る夢だ。夢の中で僕は、自分の中に別の禍々しい存在がいて、僕という殻を破って出て来ようとするのを必死で抑える。それをどこかで恵美が見ているんだ。この夢に恵美が関わっているような気がしてならない。
 夢使いの夢に夢魔は入れない。だから恵美が僕に憑いているわけじゃない。なのになぜこんなに不安になるんだろう?
 この夢が何を意味しているのか、僕にはわからない。僕の心のどこかで、夢魔の血を受け継いでいる部分があるということなんだろうか。そう考えると怖いが、夢の中では抑えることができるし、何より僕は夢使いとして、人間として生きている。夢魔なんかに負けてはいけないんだ。そのためにも恵美が夢魔なら倒さなくてはならない。
 本当は凄く怖い。僕の敵は幼い頃から面倒を見てくれた姉かも知れないのだから。僕が立ち向かおうと思えるようになったのは、ひとえに千秋のおかげだ。前向きな彼女がそばにいて勇気づけてくれるから、僕は前進できる。
 千秋と会わせてくれた君に感謝している。願わくば、この手紙を読んだ後も、君が僕の親友でいてくれるように。そしてまた、僕の戦いを千秋とともに見守っていて欲しい。

  五月十六日               粟飯原 環

 追伸

 この手紙が届く頃、僕は千秋とS海岸に旅行している。旅行の目的は、この手紙に書いた内容を千秋に話すことだ。十九日には戻るから、またゆっくり話そう。


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