夢魔

第8章 悪夢の現実

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 夢使いのリーダー、平井女史から異例の「通達」があったのは、環と千秋がS海岸で謎の失踪を遂げてから丁度一週間後のことだった。いつもの会合場所へ赴くと、既に七、八人の夢使い仲間が集まっていた。国村響子や沢村清志の顔も見える。皆口々に、一体何のためにここに集められたのかと話し合っている。
「やっぱり夢魔の件だよねえ」
 響子に応えたのは三枝加代という、響子と同い年の夢使いである。
「そういえば昨日の夢魔は変だったわ」
「どうしたの?」
 その場の皆が一斉に耳をそばだてた。三枝が続ける。
「普通の夢魔だったんだけど、倒れて消える時に『王よ、お助け下さい』って言ったの」
「はあ?」
 さすがの響子もしばらくあっけにとられた。
「ああ、時々いますよ。そういう奴」
 沢村が口をはさんだ。
「といってもつい最近だけど。『陛下ばんざい』とか、まるで軍人みたいなこと言う夢魔がいるんですよね」
「夢魔ってそんなに組織化されてるもんだったかしら?」
 響子が首をかしげる。夢使い達の間では、夢魔は互いに交渉を持っていないらしいと言われていた。夢魔の王が出現したことを知らない夢魔も多かったぐらいだ。だが最近になって、王を中心に結束するような動きを夢魔達が見せているという。なぜだろうか。
 皆が思案顔になった時。
「やあ、みんな集まったな」
 そう言ってひょっこりと隣室から顔を出したのは桜川淳弥だった。
「先生」
 透は思わずそう呼びかける。夢使いの指導をしてもらったのはもうかなり昔のことになるが、いつまでたっても彼にとって桜川は「先生」なのだ。
「おう、透君。……あれから何か進展あったか?」
「粟飯原の件ですか? 全然わからないみたいです」
「そうか……どうなってるんだろうなあ」
 桜川はしきりに首をひねる。彼もやはり教え子の安否が気がかりなようだった。だが桜川がその部屋にやってきたのは、環の行方を聞くためではない。
「みんな、聞いてくれ」
 桜川は部屋に集まった夢使いたちに呼びかける。
「今日は平井さんからの通達を聞いてもらう。平井さんは地方の夢使いに通達をしてまわっていて、今東北に行っているので、僕が代理として来た」
 皆一言もしゃべらずに、桜川の話を聞いている。
「ここ数年間、夢魔の力が強まる傾向にあったが、最近その傾向が一層激しくなった。特にここ数日の間に夢魔の力が桁違いに増したという報告がある。夢魔に憑かれた人が衰弱死するまでの期間も短くなっていて、じきに一週間を切るだろう」
 ざわざわと動揺の声が上がる。桜川はそれを手で制して続けた。
「そういうわけだから、夢使いのみんなにも充分気をつけてもらいたい。今まではそういう例はないんだが、夢魔の力がこれ以上強まれば、あるいは僕らが返り討ちに遭うことも考えられる。危機を感じたら、状況に応じて逃げることも考えてくれ」
(返り討ち……?)
(逃げるって?)
 信じられない言葉を聞いたように思ったのは透だけではない。その場にいた夢使い達全員が同じ思いだった。彼らが見たてきた夢魔の反応は二つしかない。一つは逃亡を試みること。もう一つは慌てふためいて半ば滅茶苦茶に反撃をしようとして倒されてしまうことである。いずれにせよ夢使いは有利な立場にあった。
 だが桜川の言う「返り討ち」は違う。それは夢使いが敗者となる可能性を示唆しているものだった。
「確かに考えられることね」
 響子の言葉に、一同が振り向いた。響子はいつもの冷静な分析口調で続ける。
「夢魔の力は強まっていく一方だけど、私達夢使いの力はそうそう変化しているわけじゃない。となればいずれ相対的な力関係が逆転することになるのは見えてるわ」
「逆転したら……どうなるんですか?」 
 沢村が幾分震えた声で尋ねる。
「僕らが夢魔を止められなくなるんだよ」
 静かに桜川が答える。
 透は桜川の言葉を心の中で繰り返してみた。夢魔を止められなくなるとは、つまり……。
(夢魔が一方的に人間を殺していくようになる、ということか)
 その想像はあまりに戦慄を伴うものだった。夢魔に抵抗できない普通の人々を守るために夢使いは戦っているのであり、夢使いがいなければ人々を夢魔から守るすべはなくなるのだということが、透をはじめとする夢使い達のそれまでの認識であった。だからこそ夢使いの仕事に誇りを持つことができたのだ。だが、夢使いさえもが夢魔に対して無力になってしまったら、どういう結末が訪れるだろう?
(でも、夢使いが夢魔を退治しなければ、人がどんどん殺されていく)
 しかも夢魔に憑かれた人が衰弱死するまでの時間は、夢魔の力に応じて短くなっている。ということは、さらに短くなる可能性もあるということだ。
「一体どうすれば……」
 思わず出た呟きに、響子が答えた。
「方法はあるわ。一つは夢魔との力関係が逆転する前に、夢魔の力が強まるのを止めること。もう一つは夢使いが今より強くなること」
「どっちも実現しそうにないじゃないですか」
「そうね。ただ、夢魔の王がいるから夢魔の力が強まっているんだとすれば、夢魔の王を倒せば済む話よ。そして私達は夢魔の王についてのヒントを持っているじゃない」
「粟飯原の手紙ですか?」
 響子はうなずいた。
「粟飯原恵美の居場所をつきとめましょう。彼女が、環君が推測したような夢魔の女王じゃなかったとしても、何もしないで夢魔の力が強まっていくのを眺めているよりはましだわ」
「そうですね」
「透君、国村さん」
 桜川が話に割り込んできた。
「一体何の話だい? 夢魔の女王って……」
 透と響子は一瞬顔を見合わせた。夢使い仲間の前で手紙の話をしてしまったことに今まで気づいていなかった自分が何だか滑稽だったが、笑うほどの心の余裕はない。透は部屋の中を見まわす。そこにいた仲間達が全員、二人に注目していた。
 あの手紙を受け取った時、透は手紙の内容を他の夢使い、特に平井や桜川のようなベテランに知らせるべきではないかと思った。だが環の個人的な手紙の内容を広めてしまってよいものかと迷い、環に直接相談しようと思っていた矢先に、環と千秋の失踪事件が起こってしまい、すっかり忘れていたのである。
 だがどうやら、皆に話した方が良さそうだと、透は思った。響子の目も話せと言っているようだ。どう切り出したものかとしばし迷ってから、思い切って透は語り始めた……。

 透が話した内容は、夢使いの間に広まり、夢使い達は団結して粟飯原恵美の行方を探すことにした。だが環が数年かけて探しても見つからなかっただけあって、なかなか思うようにはいかなかった。その間にも夢魔の力は増していく。
 そして十日ほどたったある日。
 その日から始まった一連の悪夢を、透は決して忘れることができなかった。


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