夢魔

第8章 悪夢の現実

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(依頼者の年齢は十五歳。四日前より妙な夢を見ると言い始める……)
 いつものように自分の部屋で透は今日の依頼者に関するデータを読み返していた。夢使いが特定の人間の夢に入るためには、その相手のイメージをはっきりと思い浮かべなければならない。従って仕事の前には依頼者について詳しく書かれた写真つきの資料を読み、カセットテープやビデオテープで声や姿まで把握する。今ほど忙しくなかった頃は依頼者に直接会うこともあったのだが、最近はあまりに多忙なため、そこまで時間をかけることができなくなっている。
 透は資料のページをめくり、ふとある一行に目を止めた。
「昨日より衰弱がひどく、K市立病院に入院中」
 彼は資料の日付を確かめる。日付は今日のものだ。今日の依頼者が一刻を争う状態だということがわかる。透は急いで残りを読み、明かりを消して仕事の準備に取り掛かった。
 依頼者は十五歳、体力的に見てそう簡単に夢魔に生気を奪い尽くされるはずはない。それなのに……。
(妙な夢を見ると言い始めたのが四日前。それから三日で入院するまで衰弱するなんて……)
 今日の夢魔は相当強いのではないかと、透は思った。先日の桜川の言葉が頭をよぎる。
(状況に応じて逃げることも考えてくれ、か)
 透は頭を振った。そして自分に激励の言葉をかける。
(しっかりしろ、透。今から逃げることを考えてどうする? とりあえず最善を尽くすことだけを考えろ……)

 しかし夢の中に入った瞬間、透は足が震えるのを感じた。
 あたりは見渡す限り何もなかった。夢魔にかなり生気を奪われ、荒野と化した夢ならば、透は何度も見てきている。だが今度の夢は、荒野などという代物ではなかった。
 そこは死の世界だった。
 薄暗い空間と乾いた地面。風すらもここでは吹かない。そして世界を埋め尽くす死の気配……。
 今までに感じたことがないほどに濃い夢魔の気配のただ中に、彼は立っていた。
(強すぎる!)
 小動物が猛獣の前で本能的に感じるであろう恐怖感。それに近いものを透は感じ取っていた。
 先日の通達を思い出すまでもない。透は一刻も早く逃げ出したい衝動にかられた。だが彼はかろうじて踏みとどまる。
(俺が逃げたら、依頼者が……)
 足元ががくがくと震えている。それでも夢使いとして、彼は依頼者を見殺しにして逃げるわけにはいかなかった。第一この夢の世界の様子では、放っておけば明日の朝には依頼者は息を引きとってしまうかも知れない。急いで夢魔を捜し出し、退治すれば依頼者は助かる。だがこれだけ強い気配を発している夢魔を退治することができるだろうか。
 透は恐怖心を抑えながら、掌に精神を集中させた。空気が形をとり始め、やがて小さく黒っぽい物体となって、彼の手におさまる。六連発の拳銃だ。現実では銃など持っていないが、海外旅行の際に射撃場に立ち寄るなどして研究し、二ケ月ほど前に夢の中で自分なりの形と性能の銃を作り出すことに成功したのだ。以来、強さを増した夢魔の退治に透はこの銃を使っている。
 彼は必ずしも力の強い夢使いというわけではない。夢使いとしては平均的である。夢魔を夢の世界から逃がさないように押え込むことも完璧にはできない。時には取り逃がすこともある。そこで夢魔に気づかれる前に遠距離から攻撃する必要があったが、環のように気を発して攻撃するようなことはできない。そういった状況で透が考え出した攻撃方法は、今まではうまくいっていた。
(これで気づかれる前に一発でしとめるしかないな)
 透は周囲を見渡す。動くものは何一つなかった。夢魔の気配があまりに濃く、夢魔のいる方向が特定できない。
(どこだ? どこにいる?)
 やや焦りを感じて透が再び周囲を見回した時。
「そんなに会いたいのなら会ってやろう」
「!」
 女の声に不意をつかれ、はっと振り向いた透は、信じ難いものを見たという表情で一、二歩後ずさりした。
 振り向いた瞬間に銃の引金を引いていれば、あるいはその夢魔を倒せたのかも知れない。だがとっさに彼は銃を撃つことができなかった。
「嘘だ……」
 両の目を見開いたまま、透の口から呟きがもれる。
「粟飯原……なぜおまえが……こんな……」


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