夢魔

第10章 黒衣の夢魔

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 透がその言葉を理解するまでにはしばらくかかった。
 理解した後には、様々な疑問が彼の心に渦巻き、彼はそれをなかなか整理できなかった。それを察したように、黒衣の夢魔は口を開く。
「環から手紙を受け取ったでしょう?」
「……」
 透がうなずき、ラグナが続ける。
「環の推測は大体合っていました。そう言えば、私がここにいる理由がわかるのではありませんか?」
 環の推測。
 失踪する直前、環がよこした手紙に書かれていたこと。
 夢魔が粟飯原信という人間に憑いて入れ替わり、それを知った夢使いの薫と結婚して、恵美と環の姉弟が産まれたのではないかと、手紙にはあった。
 目の前の夢魔がその夢魔なのか。
「でも……それが本当だとしたら、なぜ生きているんだ? それに……」
「そうですね……なにから話したらいいのか」
 夢魔は微笑した。
 夢魔のそんな表情を、透は今まで見たことがなかった。
「私は、多分最も古い夢魔です……」
 ラグナは歩き出す。思わず透はその後に続いた。
 歩きながら、ラグナが語り始める――。

 自分がいつから存在しているのか、彼は知らなかった。
 気がつくと、小さな世界の中に住んでいた。その世界はやがて荒廃し、時折来ていた2本足の生物の姿も見えなくなった。
 いつの間にか、彼は別のやはり小さな世界にいた。そこでも同じように世界が荒廃していった。
 こうしていくつもの小さな世界を渡り歩くうちに、その世界で出会う者達から、彼は言葉を覚え、考えることを知っていった。
 それぞれの世界には持ち主がいて「人間」と呼ばれているらしい。「人間」にも様々な姿、様々な言葉を持つ者がいることに、彼は気づいていった。
 彼は世界の持ち主達に興味を持った。そっと観察してみる。
 どうやら「人間」は他の世界から1日の一定時間だけ、この世界にやって来るらしい。彼らはこの世界を「夢」と呼んでいる。その外の世界で、人間は大勢集まって暮らしている。
 自分と似たようなものが大勢一緒にいる生活。
 彼にはそれが想像できなかった。
 自分と似たものを作り出してみようと思う。幸い、ここでは大抵のことが思い通りになった。
 自分のような存在を思い描き、出現させる。だが、そうしてできたものはすぐに他の人間の世界へと消えてしまった。
 何度試みても同じだった。
 仲間と一緒にいることは、彼にはできないようだった。
 やがてその世界も荒廃し、彼は他の世界へと移った。
 それをひたすら、繰り返す。
 時間の観念は、彼にはなかった。
 ごくまれに、かつて出現させた「自分のような存在」が現れることがある。だが、彼ら――それらは、彼を「自分の世界を侵害する邪魔者」と認識し、敵意をむき出しにして攻撃を仕掛けてくる。
 ろくな思考力も持たず、衝動的な敵意と、身を守るために世界の持ち主の弱点に付け込む狡猾さによってのみ動く、彼の分身たち。それらは人間のように思考を操る術を身につけた彼の敵ではなかった。
 やがて、彼は気づく。
 自分の孤独に。
 夢の世界の中でさえも仲間とともにいる人間たちを、彼は次第に羨むようになってきた。
 彼らのように、外の世界へ出て行けたら。
 何度も試行錯誤を繰り返した後、彼は世界を荒廃する速度を遅らせることで、持ち主のいなくなった世界に留まっていられることを知った。そして自分が世界の持ち主に代わって外の世界に出て行けることも。
 だが、外の世界は予想以上に苛酷なものだった。
 夢の世界と違って、何も思い通りにはならない。その上、人間の身体を動かすことは、非常に骨の折れる作業だった。それに、人間の身体はすぐに弱ってしまい、彼は再びもとの夢の世界へ戻されてしまう。
 何度か外の世界へ出たが、うまくいった試しはなかった。
 そして彼が諦めかけていた頃。
 ひとつの出会いがあった。


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