夢魔

第10章 黒衣の夢魔

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「かおる」との再会の後、少しずつ彼は夢使いについて知るようになっていった。世界の持ち主の人間から巧みに話を聞き出したり、彼女のように夢の世界にやって来る夢使いに会ったりするうちに、彼は自分が人間の敵とされていることに気付く。
 自分が「夢魔」と呼ばれるものである限り、「かおる」――夢使い・木田薫は自分に笑いかけてはくれまい。幼いあの時のようには。
 そう考えると、彼はいたたまれない気分になった。せめて外の世界のひとときを、薫とともに過ごせたなら。
 そうしてひとつの計画を実行することにして、ある世界を彼はゆっくりと乗っ取っていった。
 人間の身体を持つ。そのことが彼の分身――他の夢魔に与える影響を、彼は知らなかった。人間として薫に会いたい。それだけだった。それさえ叶えば、あとはどうなろうと構わない。
 人間の身体を失って夢の世界に戻った時、薫に倒されてもいい。……いや、どうせ倒されるのならば、薫の手で引導を渡してもらいたい。
 薫のいない世界で、このままずっと生きていくことに、何の意味があろう。
 そして、弱りつつある夢の世界の持ち主に、彼は呼びかける。
 ――このままではおまえは死ぬ。助かりたければ夢使いの木田薫を呼んでくるがいい。
 そして、薫が現れた。それは、持ち主が力尽きる、まさにその日だった。
 ラグナは薫に、今自分を倒しても、もうこの世界の持ち主の人間は助からないことを告げ、契約をもちかける。再び人の身体を失い、夢魔に戻った時に、夢使いとして自分を殺せ、と。

 そう語る彼の赤紫の瞳は、思い出を追い求める痛切な色をたたえていた。
 彼は透に向かって、静かに語り続ける。
「そして私は人間――粟飯原信(まこと)いう人間として生きるようになりました。意外だったのは、薫がいつの間にか私に好意を持ってくれるようになったことです」
 人間の身体に慣れない彼は、しばらくは寝たきりの生活を送ることになった。だが、身体を動かすために、病院でリハビリを受ける。それにつき合ってくれたのが薫だった。
 最初は監視のためだった。だが、懸命にリハビリを続ける彼の姿に、いつしか薫の敵意は薄れていったのである。
 夢魔と夢使い。
 敵同士であるはずの存在が、いつしか愛し合うようになっていく。
 粟飯原信と木田薫は結婚し、やがて二人の子どもをもうける。
 一見何の変哲もない、幸せな家庭の裏には、あってはならない愛への激しい葛藤があった。
 薫が「信」を愛すればするほど、二人にはかつてかわした契約が重くのしかかってくる。「信」の身体はいずれ衰弱死し、あとには夢魔が残る。夢使いとして薫はラグナを倒さねばならない。
 薫が夢使いを引退したのは、夢使いでありながら夢魔を愛してしまった自分を責める気持ちからのことだった。愛ゆえに彼女は苦しみ、それを見つめる彼もまた苦しむ。
 だが、それでも心は止められなかった……。
「あとは……環の見た通りです」
 押し殺したような声で、ラグナが言った。


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