夢魔

第11章 ふたりの環

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「跡も残さないほどに、私の身体は砕け散った……今の私は、実体のない魂だけの存在なの。幽霊……ってやつ?」
「千秋……」
 やるせない思いにかられる透を遮るように、千秋は続けた。
「透兄ちゃんにいくら話しかけても、全然気づいてくれなかったの。霊感ないんだね、透兄ちゃんって」
 くすりと千秋が笑う。少し寂しそうな笑顔だ。
「だから……ラグナさんに夢の中に連れてきてもらったの」
「そんなことが……」
「ええ。でもあまり長い時間いられるわけではありません。夢の中に入るということは、かなりの力を消耗するんです。夢魔は夢の世界の持ち主の生気で、夢使いは自身の体力と精神力でそれを補いますが、夢魔でもなく、身体も持たない千秋さんが長時間夢の中に留まっていると、その存在自体が消えてしまう……新しい身体に生まれ変わることもできず、完全に消滅してしまうんです」
 夢魔の王の力が強い理由が呑み込めたような気がする。
 だが、そうまでして夢の中にやって来た千秋を見るのが、透には辛かった。
 ラグナが続ける。
「それでも、あなたには千秋さんに会って、真相を知ってもらいたかった……。皮肉なようですが、あなたが夢使いの力を失ったからこそ、こうして話す機会が持てたんです」
「話して……どうしようっていうんです?」
 透の語尾がわずかに震えていた。あまりにやりきれない思いが、その言葉の端からにじみ出ている。
 これまでの事件の核心近くにいながらどうすることもできなかった自分に、透は憤りを感じていた。環の悩みを聞いてやると、口で言うだけ言っておいて、結局は何の役にも立たなかったではないか。そればかりか、彼が環に引き合わせたばかりに、従妹の千秋を死なせてしまったとは。
「俺がいくら真相を聞いたって、何もできないのに……!」
「それは……違いますよ」
 静かにラグナが言った。
「あなたにしかできないことをしてもらいたいからこそ、こうして話しに来たのですから」
「……俺にしかできないこと?」
「そう。多分それが、夢魔の暴走を止める最後の手段になることでしょう」
「どうして……」
 先刻から疑問には思っていた。
 ラグナは夢魔でありながら、なぜ透に真相を告げに来たのか。
 なぜ、他の夢魔のように生気を奪おうとせず、最小限に力を押さえているというのか。
「あなただって夢魔でしょう?」
「……」
 ふっとラグナが目を伏せる。しばしの沈黙の後、呟くようにラグナが答えた。
「夢魔だからこそ……夢魔という存在の矛盾を知っているからこそ、私は夢魔達を救いたいんです」
「救う?」
「彼らは……いえ、私達は、呪われた存在です」
 暮れなずむ空が、夕日の茜色の輝きを西の彼方へ追いやろうとしている。濃藍色に染まった空を見上げ、ラグナはふうっと溜息をついた。
「何を産み出すこともなく、作り出すこともなく……たった一人で永遠に夢の中をさまようだけの存在、それが夢魔です。……夢使いに倒されない限り、死ぬこともできず、ただひたすらに人の命に寄生して生き続けることしかできません。それに気づかないうちはまだ幸福でしょう。けれど、一度自分が何者なのか、と考えることを知ってしまえば、その夢魔には耐え難い生を送ることしかできないのです」
「だからといって……それがどうして夢魔を救うって話になるんです?」
「恵美は人間の社会を知っています。だから、自分を中心に、人間の社会に似せた夢魔の組織を作り、夢の世界を通じて人間を支配しようと考えているんです。ですが、そうやって組織に組み込まれた夢魔達は、次第に自分がどんな役割を持つのかを考えるようになっていくでしょう。そして、自分が永遠に夢の中をさまよっていなければならないと知って苦しむんです。私のように。……確かに、一時的に人間の身体を手に入れることはできるかも知れない、けれど、その身体の寿命が尽きれば、またもとの夢魔として生きねばならない……そしてそれには終わりがないんです」
「そうなる前に、何か手を打とうっていうことですか?」
「そうです。そしてそれは、あなたにしかできないことなんです」
 自分にしかできないこと。
 そんなものがあるのか、透は疑っていた。もはや夢使いですらない、普通の人間の自分に、夢魔の暴走を止めることなどできるはずもないではないか――、そう思えてならなかった。
 ラグナはそんな透の心を知っているような口ぶりで続ける。
「恵美は……環の心の中の夢魔の力を呼び覚ましてしまいました。そして身体を失いはしたものの、環の心に入り込み、その力を操っています」
「それが……夢魔の王?」
 ラグナがうなずいたが、それを見るまでもない。
 環の声と女の声を持つ、夢魔の王。あの声は恵美のものに違いない。
 透はまざまざと思い出していた。
 左目を刺された時、夢魔の王から感じた圧倒的な力。どうあがいても、透が対抗できるような力ではない。
「環の力と恵美の心……それを併せ持つ『夢魔の王』は、恐らく史上最強の夢魔でしょう。私でも、もうあの子達を止めることはできません。ただ一人、止められる力を持っているのが……『夢使いの環』なんです」
「夢使いの環?」
「環の夢使いだった部分は、彼自身の夢の世界に閉じ込められています。……あるいは閉じこもっているのかも知れません」
 ラグナが二つの微妙な言い回しを使い分けたことに、透は気づく。
「その環と話して、自分自身の夢魔の部分と対決するように説得すること……それは恐らく、あなたにしかできないことでしょう」
 環の親友で、環が夢使いとなるきっかけを作った透ならば。
 ラグナはそう言いたかったのだろうと、透は推測した。
「お願い、透兄ちゃん」
 千秋の声は微かに震えている。泣いてでもいるかのように。
「私じゃ駄目なんだって。環の夢に入った途端に消えてしまうって……だから、透兄ちゃんが行ってくれないと……」
「千秋……」
 今、透が断れば、夢魔の王はさらに勢力を伸ばす。そして邪魔な夢使い達を一掃し、現実の世界を支配しようとするだろう。その方法は無限にある。現実での有力者の夢に入り、密かに入れ替わることも、障害となる人間を殺すことも自在なのだ。
 それは人間にとって、どんなにか恐ろしい世界だろう。気付かれぬうちに心を食らわれ、殺されていく、そしてそれを防ぐことのできない世界。
 どうやら、行くしかないようだった。
 桜川先生や沢村のような犠牲者を出したくはない、そんな思いもある。
 自分が環を説得できるのか、自信があるわけではない。それでも、できる限りのことはしたい。もはや夢使いではない彼にとって、他に打つ手はないのだから。
「やってみます。俺……」
「ありがとう……」
 ラグナが少しかすれた声で答えた。 


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