夢魔

第12章 最後の王

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 体の感覚はいつの間にか元に戻っている。多分ここは、透自身の夢の中だろう。 透は環と向かい合って立っていた。
「粟飯原……」
 環は静かに口を開く。
「今、恵美を殺した」
「……そうか…」
 透は声を詰まらせる。環の言葉は、彼の心情を察すれば察するほどに重く響く。たった今その手で実の姉の息の根を止めてきた環に、透はそれ以上何も言うことができなかった。
 環の顔は能面のようにこわばっている。見方によっていかようにも取れる表情だ。昔から緊張した時、辛い時には表情が固くなり、声の調子が平板になる。そんな環を、透はよく知っていた。
「島村、君に立ち会ってもらいたいことがあるんだ」
 透は怪訝な顔をする。環はさらに続けた。
「これですべて……終わらせる。夢魔と夢使いの戦いの時代を……」
「どういうことだ?」
 透の問いには答えず、環はすっと片手を上げた。そして呟く。
「夢魔達よ……ここへ来い!」
 途端――。
 目に見えない、しかし激しい気の奔流が、透を襲った。環の手を中心に、恐ろしいほどの夢魔の力が渦巻いている。
(こいつはまだ夢魔の王なんだ……)
 透は急に不安を覚える。目の前の環は、彼がよく知っている環なのだろうか?
 その時、透ははっきりと見た。
 力の渦に引き寄せられ、環の手に殺到する夢魔達を。これほど多くの夢魔を一度に目にするのは初めてだった。
(……!)
 透は息を呑んで見守った。
 夢魔達は渦巻く力を吸収している。力の渦に触れ、少しずつ大きくなっていく様子が見える。
「粟飯原、何を……!」
 環が夢魔達に力を与えている。それに気づいた透は慌てて身を乗り出す。だが、力を操る環の目はあまりに真剣で、透は声をかけることができなかった。
(何をするつもりなんだ、粟飯原……!)
 夢魔達は力をみなぎらせ、見る間に成長していく。
 やはり環は夢魔の王のままだったのか……つい今しがた見せた表情すらも、巧妙で狡猾な演技に過ぎなかったのか……。
 そう透が思い始めた時、目を見張る出来事が起こった。
 一番大きく成長した夢魔が、音もなくはじけた。
 次いで、他の夢魔も。
(力を吸収し過ぎたんだ……)
 中身を詰めすぎた袋が破れるように、力を急激に吸収した夢魔達は、その力に耐えきれず、内部崩壊を起こしていく。環は、これを狙っていたのだ。一気に夢魔達を滅ぼし、片をつけるために。
 次々と夢魔達は破裂し、跡形もなく四散していく。
 その中で、透の右目にはっきりと映った光景。
 破裂していく夢魔の群れの中のラグナ。
 彼は一瞬だけ、透の方を向いた。
 ありがとう。あなたに私が見てきたものを託します。
 そんな声が聞こえたような気がしたのは、 四散する直前のラグナの微かなほほえみが見せた錯覚だろうか。
(ラグナさん……!) 
 何も言えない。ただ心の中で呼びかけることしかできなかった。
 いつも、何もできない自分を責め続けてきた。最後まで、誰にも何もしてやれないのだろうか。そう、透は自問する。
「終わったよ……」
 環の静かな声が、透を我に返らせた。あたりには、もう夢魔は残っていない。
「粟飯原……」
「夢魔は滅びた。もう……夢使いが夢魔退治に走り回らなくてもいいんだよ」
「おまえは……これでよかったのか?」
 おまえは夢魔の王なんじゃないのか? ……そう尋ねようとして、透ははっとした。
 環の目は、もとの褐色に戻っていた。
 夢魔の気配は完全に消えうせている。環は夢魔の力を放出しきってしまったのだ。
「……」
 長い沈黙の後で、環は呟くように答える。
「多分ね。……僕にもわからない。ひょっとしたら、一生後悔し続けるかも知れない。でも、僕の弱さの犠牲になった人達に、せめてもの償いをしたかったんだ」
 ややうつむき加減のまま、環はくるりと背を向ける。
「……ありがとう。君のおかげだ。君が僕を人間に戻してくれたんだよ」
 環の言葉を聞いた時、透は気づいた。
 この一連の事件で、透は「傍観者」だったのだ。事件の中核をなす環達のそばにいながら、何もできずにいる存在。だがそれゆえに友を救うことができたのだ。
 だとすれば、自分がいたことが少しは意味のあることだったのだろうか……そう思うと、少しほっとしたような気分になれた。
 環が歩き出しているのに、透は気づいた。このままもう二度と環に会えないような気がして、透は慌てて呼び止める。
「粟飯原っ!」
 環は立ち止まる。だが、背を向けたままだ。
「話がある……おまえの…」
 ラグナの――父親のことを話そうとして、透ははっと気づいた。
 ラグナのことを、環は知らないのだ。孤独から逃れるために夢魔を産み出し、恵美や環を夢魔の王たらしめた、あの哀しげな瞳の黒衣の夢魔を。
 それは、千秋が消滅した今となっては、透しか知るもののいない秘密なのだ。
 だが、今は言わない方がいい――そう、透は判断する。姉を殺し、夢魔を全滅させたばかりの環に、一度に何もかもを押しつけるべきではなかろう。
「……あ、いや、外の世界で話す」
 透は言いつくろい、そして一番言いたかった言葉を投げかける。
「だから、いつか戻って来いよ! いいな?」
 環は振り向き、ちょっと笑って消えた。それは、彼らが初めて出会った夢の中を思い出させる姿だった。


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