通路の突き当りに、扉があった。
「あれえ? こんな扉、地図にはなかったぜ」
ディングが首をかしげる。
やはり、とランディはつぶやいた。
五百年前の海賊。どこかの王国の政変によって国を追われた王家ゆかりの者だという。海賊に身をやつし、再起の機会をうかがっていたが、追っ手に見つかり、ここで殺された。追っ手はすさまじい呪阻の言葉を吐いて絶命した海賊の怨霊を恐れ、厳重に封印を施したのだという。その話を聞き、まだ海賊の霊が封印されたままであるならば、魔剣を強める死霊になるだろうとふんで、ランディはケレスにやって来たのである。
「まあ、開けてみたらいいんじゃないかな」
扉を開けると、恐らく中には死霊がいる。ディングはまっさきに死霊に直面することになるだろう。それを承知で、ランディはさりげなく言った。
ディングは怪しむそぶりすら見せず、すぐに扉の開錠に取りかかる。
慣れた手付きではあるが、古い扉はさびついていて、いくぶんてこずっているようだ。
……もうすぐ、死霊が手に入る。
期待に胸が高鳴るのを、ランディは感じた。ディングをおとりにすることに対する躊躇は、もはやない。
がちゃり。
「開いた!」
ディングが小さく叫び、把手に手をかける。
ランディは平静を装い、その様子を見守った。
ゆっくりと扉が押し開かれる。
扉の奥の暗闇に、ディングのかかげた松明のあかりが射し込む。
「何か……奥にあるけど……」
のぞき込んだディングに、ランディは答えた。
「多分、宝剣だ……」
「よかったじゃん、ランディ。探してたんだろ?」
ディングは自分のことのように、弾んだ声を上げた。
「いや……まだそうと決まったわけじゃない。入ってみよう」
二人は奥の部屋に足を踏み入れた。乾燥した空気。ほこりの匂いにまじって、奇妙な匂いがかすかに感じられる。
奥に祭壇のように高くなったところがある。ほこりに覆われてはいるが、剣らしきものがつき立っているようだ。
「あれが?」
「ああ」
ランディはうなずき、続ける。
「ディング、悪いんだが、あの剣を抜いてくれないか? どうもあのまわりにトラップがあるような気がするんだ」
「ああ、いいぜ」
ディングは快諾し、祭壇に歩み寄る。
「んー、トラップは特にないみたいだ。剣の刺さってるところになんか文字が彫ってあるけど……ちょっと読めないな」
剣のまわりを点検してまわるディングは、ランディがじりじりと後退しつつあることには気付いていない。
「まあ、大丈夫だろ。じゃあ抜くぜ」
ディングは剣をゆっくりと引き抜く。数百年もの間、祭壇に突き立っていたとは思えないほど、それはするりと簡単に抜けた。
「抜けた……うわ!?」
ディングの声が驚愕へと変ずる。
「な、なんだ……?」
剣の抜けたところから吹き出す、黒い霧。
霧の奥底によどむ、目に見えない悪意。五百年の間封じられていた怨念。
(やった!)
いつしかランディの手には、抜き身の魔剣が握られていた。つかの宝玉が、鈍くかがやきを放ち出す。
(かなり強い死霊……これで、魔剣が強くなる)
「ランディっ!」
半ば悲鳴に近い、ディングの声。
黒い霧はじわじわと形を取りつつ、間近にいた人間……ディングにその悪意を向けていた。射すくまれたように、ディングは動けない。
ランディは眉ひとつ動かさなかった。あらかじめ予想していたことだったし、そのためにガイドを連れてきたのだから。
「悪いな」
冷たく、ランディは言い放った。
「俺の目的はその死霊だったんだ。おまえが盾になってくれるおかげで、そいつを捕らえる準備ができる……」
ディングは無言だった。迫りつつある黒い霧に、ランディの言葉を聞いている余裕などなかったのかも知れない。
黒い霧は、動けないディングに近づきつつある。恐らくは、霧の中にディングを取り込もうというのだろう。
ランディは死霊を宝玉に呼び込むための準備を終えていた。あとは呪文の最後のことばを発するだけである。ディングを取り込もうとする瞬間に発すればよい。ディングごと宝玉に封じてしまう可能性もあるが、ランディは頓着していなかった。どのみち、あれだけの死霊に魅入られた者に、生き延びる道などないのだから。
が。
(ん?)
ランディは宝玉をかざした姿勢のまま、首をかしげた。
ディングの様子がおかしい。
ついさっきまですくみ上がっていたはずのディングが、両手を大きく広げた。黒い霧に向かい、その手を奇妙な形に動かす。何かの模様を宙に描くような、そんな動きだ。
(何を……)
黒い霧はしだいにその姿をはっきりとさせながら、ディングを取り巻き始めている。ランディはディングの不可解な行動を見守った。
ディングの手の動きが止まる。黒い霧が一段と濃さを増し、ディングを覆い隠そうとした刹那、短く鋭い声が響いた。
(魔法? でもあいつは……)
魔法はまったく使えないと言っていたのではなかったか。
だが、ディングの声とともに黒い霧の中心に生まれ、次第に大きさを増しつつある光は、魔法以外のなにものでもない。それも、死霊を消し去る封魔の魔法のたぐいであろう。霧はあきらかなとまどいを見せ、ディングから離れようとする。だが、光から逃れることはできなかった。
光は黒い霧を飲み込んでいく。
ランディには、どうすることもできなかった。
まぶしさに思わず目を閉じ、再び開いた時、祭壇の上には誰もいなかった。
死霊も、ディングも。
(何が……)
あまりに予想を越えた事態だった。ただの身代わりのはずだったディングが、死霊を消滅させてしまったのである。ランディが封じ、手に入れるはずだった死霊を。
「くっ……」
ここまで来た労力がすべて無に帰してしまった虚しさを、ランディは感じる。
(こんな魔剣じゃ、まだあいつに勝てない……なのに!)
ディングをただのガイドと見くびったことが、大きな失敗だった。だが死霊を消滅させる力を彼が持っているようには、とても思えなかったのだ。
いかにもお人好しで裏表のない言動は、ランディをあざむくための仮面だったのか。人間に対する信頼などという感情を失って久しいランディですら、だまされるような。
そう思うと怒りがこみあげる。
(あいつ……そうだ、ディングはどこだ?)
ディングを探して、一歩踏みだそうとした時である。
首筋にひやりとした感触があった。
(!?)
背後に、何者かが立っている。首筋につきつけられたのは、おそらく短い刃物……ナイフあたりだろう。
魔剣士としての厳しい修行は、敵の気配を読み取ることをも可能にしていたはずだ。それなのに、首筋にナイフをつきつけられるまでまったく気付かないほど、相手は気配を消しさっていた。
ランディの驚きは並大抵のものではなかった。当惑で混乱する頭を整理しきれないまま、問いのことばを発する。
「……ディング、か?」
「……」
相手はランディにナイフをつきつけたまま、しばらく無言だった。
が、やがて、低い声でいらえがある。
それは、まぎれもなくディングの声だった。だが、ランディの知っているディングには到底持ち得ないはずの、冷たく暗い調子を帯びていた。
「……はじめまして。ダーク・ヘヴンの暗殺者です」