Darkside

(旧「魔の島のシニフィエ番外編 日と月の魔剣士」)

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[日と月の魔剣士][交差の地]


5 憂鬱なる暗殺者

 しばしの沈黙。
 それは、互いの殺気をはかりあう間でもあった。
 ランディは握ったままの魔剣を下ろす。抵抗するには首筋のナイフはあまりにも危険だったし、背後から殺気があまり感じられなかったからだ。それに応じるように、ナイフはすっと引っ込められる。
 ランディはゆっくりと振り向いた。
 ディングがそこに立っている。だが、何かが違った。
 さっきまでの快活な表情は微塵もなく、口の端に浮かべられた冷ややかな笑みは、ディングのものとはとても思えない。まるで、底知れぬ闇の中から這い出して来たもののような、そら恐ろしい迫力が感じられる。
 彼は、静かに口を開いた。
 「困るんですよ……”ディング”を死霊に会わせるようなことをされては、ね」
 きれいな公用語。ディングがしゃべっていた、ややケレスなまりの入った言葉遣いではない。
 「……おまえ、ディングじゃないな」
 そんな言葉が、思わず口をついて出た。
 ディングの姿をした少年は、薄く笑みを浮かべる。
 「俺は……ガルト。ディングのもうひとつの人格です」
 「!?」
 ひとつの身体にいくつもの心が宿る病の話は、ランディも聞いたことがある。だが、目の当たりにするのは初めてだった。
 とても信じがたい。だが、あのディングにこんな演技ができるはずはない。
 恐らくディングの記憶がないのは、このガルトという男のせいだ。……いや、むしろガルトの方が本来の彼なのかも知れない。ディングの左肩にあった、ダーク・ヘヴンの暗殺者の刻印を受けたのも、恐らくガルトなのだろう。
 反応に迷うランディに、ガルトは平然と言ってのける。 
 「ああ、そうだ。あなたが欲しがっていた死霊は、俺が倒しましたから」
 「……余計なことをしやがる」
 ランディはあらためて怒りを思いだし、吐き捨てるようにつぶやいた。が、その声には勢いがない。
 「お互い様ですよ。こっちだって殺されるところだったんですから」
 「……」
 「そういうことで、チャラにして帰りませんか? いつまでも洞窟の奥にいてもしょうがないでしょう?」
 言い返せない。
 死霊を手に入れる計画が失敗したのは初めてだった。しかも、このような形で。
 それまでかぶっていた仮面がもはや役に立たず、為すすべもなくひたすら当惑するだけの自分。ランディは否応なしにそんな自分に気付かざるを得なかった。死霊を狩る旅のなかで恐らく初めて、ランディは会話と状況の主導権を握り損ねてしまっていた。
 「……おまえ、嫌な性格してるな」
 そう言い返すのがせいぜいだった。が、それすらもガルトは平然と受け流す。
 「ええ。だからその分ディングは『いい奴』なんです」
 「ふん……分身、ってわけか」
 ランディは魔剣を鞘におさめる。赤い宝玉の輝きはとっくに消え失せていた。
 「ひとつ聞きたいことがある」
 もと来た道を戻りながら、ランディは尋ねた。
 「なんです?」
 「あの死霊……かなり強い力を持っていたはずだ。そう簡単に消滅させられるとは思えない。なぜおまえに倒せたんだ?」
 「さあ……」
 もの静かな口調で、ガルトは答える。
 「俺は魔術師だから、知ってる死霊浄化の魔法を使っただけです。まさか今の俺でも倒せるとは思わなかったから、半分賭けみたいなものでしたが」
 「あんな魔法は見たことがない」
 詠唱を伴わない魔法。大陸で一般に用いられている古代語魔法にしろ、真言にしろ、何らかの詠唱を必要としたはずだ。
 「暗黒魔法と呼ばれる……大陸では伝わっていない魔法ですからね。宙に描いたシンボルが詠唱のかわりになる」
 「それで、ダーク・ヘヴンの暗殺者の印が?」
 「……」
 ガルトは振り返り、暗い炎のともる目でランディを見た。明らかに触れられたくないことに触れられたという表情だった。
 が、すぐにふっと表情をやわらげ、苦笑めいた笑みをもらす。
 「そうか、見られていましたね、そういえば」
 「そうそうお目にかかれるものじゃないからな……それにダーク・ヘヴンには興味がある」
 ガルトの肩が少しだけ、意味ありげに動いた。
 「……なぜ?」
 「死と破壊の神が眠る、暗黒の島……となれば、死霊も多いだろうと思ってな」
 「そう……ですね」
 陰りのある声だった。
 「あの島では、無意味な殺戮が行われているから……」
 「無意味?」
 ランディは聞き返す。
 「おまえだって、暗殺者じゃないのか?」
 「……ちょっと追われる身でしてね。二年前に島を抜け出したんですよ」
 「追われる身って……」
 「立ち入り過ぎです。ランディ・フィルクス・エ・ノルージさん」
 静かに、だが厳としてガルトは言った。
 「俺はまだあなたを信用してはいない。無防備なディングが出ていては危険だと思っているから、こうして引っ込まずにいるんです」
 「……」
 不信感の塊のようなガルトに、ランディはどうしたものか考える。ディングであればすらすら話してくれるのだろうが、あいにくディングには肝心の記憶がない。しかも、ガルトにはディングの記憶もある上に、どうやら表に出る人格を決定しているのはガルトらしい。洞窟の奥で二人きりでいるには、なんともやりにくい相手だった。
 やがて、
 「俺は自分の目的以外に興味はない。だから今おまえをどうこうする気はないぜ」
 「あなたの目的を、俺は知らない」
 「……しかたないな」
 自分の旅の目的をガルトに語っても、特に不利益はないだろう。ただ、心情として嫌ではあるが。だが、ここで聞いておかねば、ダーク・ヘヴンの出身者など次にいつ出会えるかわからぬのだ。
 「俺の目的は死霊を集めることだ。この宝玉に封じた死霊は、俺の剣の力の源になるんだ」
 ランディは魔剣を指し示す。
 「俺は代々この剣……魔剣を伝えて来た一族の家に生まれた。こいつは最強の剣と言われているが、この赤い宝玉に宿る死霊の力が弱いから、今は大して使いものにならん。だから俺は、強い死霊と、そいつを宿す宝玉を求めて旅をしているのさ」
 「なるほどね……」
 いくぶん不信感をやわらげて、ガルトが言う。
 「それで、死霊のいるところにガイドを伴って入り、ガイドを盾にして死霊を狩ってきた、というわけですか」
 「そういうことだ」
 「なぜ、そこまで強くなろうとするんです?」
 「……復讐さ」
 低い声で、ランディは答えた。
 脳裏に焼きついて離れぬ、あの光景。
 「この宝玉はルビーだが、強い死霊を封じられるほどの力がない。最も強い宝玉は、死霊を宿す力を持った人間から作るんだ」
 「人間……から?」
 「人間を生きたまま宝玉に変える。そいつは死ぬことも生きることもできず、死霊を呼び込む’もの’になる」
 「……」
 ガルトの表情が、どことなく違う。無表情を装ってはいるが、わずかに歪めた口もとは、何かに必死で耐えているように見える。
 「嫌そうな顔だな」
 少し意地悪く言ってやる。とりすまし、本心を見せずに自分を翻弄してきたガルトの心の隙が見えたような気がしたのだ。
 「俺には兄がいた。奴は最強の魔剣を俺が手にしたことを恨んで、かわりに最強の宝玉を手に入れた。……俺の婚約者を宝玉に変えて、な」
 「!」
 まぶしい月。魔剣を手にたたずむ男。
 彼を止めようとした一族の無残な死体が横たわる……。
 「そして奴は、一族を皆殺しにした。俺だけが殺されなかったのは、奴が俺をもっと徹底的に打ちのめしたいからだそうだ。張り合いがなくてつまらないから、強くなる猶予を与えてやる、だと!」
 思い出すだけで、身体が怒りと屈辱で熱くなる。立ち向かったランディに重傷を負わせつつもとどめをささず、圧倒的な優位に酔いしれていた兄・レスター。死霊を手に入れ、魔剣を強めても、所詮はレスターの掌上で踊っているに過ぎぬのではないかという不安がつきまとう。それは、永遠に続く責苦なのだ。レスターを倒さねば、それは終わらない。
 「だから俺は奴を殺す。何があってもな。おまえがどう思おうとかまわんが、邪魔すればただでは済まん」 
 「邪魔か……」
 ガルトは低く笑った。
 「やめておきましょう。今の俺はただの魔術師ですから」
 どこか自嘲とも取れる口ぶり。
 「ただの? ……暗殺者、なんだろう?」
 「二年前まではね」
 今度はガルトも素直に口を開く。
 「命令に従って標的の命を奪う、従わなければ自分が標的になる……そんな世界でした。封印された破壊神の復活を願い、血を捧げるという名目のもとにね」
 「……妙だな」
 ランディはずっと疑問に思っていた。最初にガルトが現われた時の身のこなしは、手だれの暗殺者のものだ。だが、洞窟をゆっくりと歩きながら話すガルトは、人の命をもてあそぶことに嫌悪を抱いているように見える。そのずれが奇妙に感じられるのだ。
 「ダーク・ヘヴンは破壊神の復活を願う国なんだろう? おまえの言い方は、それを頭から否定している……とても暗殺者だったとは思えないぐらいにな」
 「ほとんどの暗殺者達は、たしかに心から破壊神の復活を待ち望んでいて、そのための殺戮を尊いことだと思っていました。俺がそうじゃなかっただけです。だから……俺にとって暗殺は、自分の身を守るための仕事でしかなかった……」
 「そういえば、追われる身と言っていたな。それと関係あるのか?」
 ガルトはうなずく。その目はひどく沈鬱で、どこか痛ましさを感じさせるものがあったが、ランディは話をやめなかった。気付いていないわけではない。ただ、突然死霊に襲われた時にすかさずディングと交代して死霊を消し去り、間髪を入れずランディに刃を向ける……などという鮮やかな真似ができるこの少年が、実はひどく繊細でか弱い心を垣間見せているさまが興味深かっただけだ。それに自分も過去のいたみを口にしたのだから……という思いもある。
 「俺には……ちょっとした力があって、司祭達はそれを島外に進出するための兵器として利用しようとしていました」
 促すように沈黙を守るランディに対して、いかにも話しにくそうに、ガルトは続ける。よほど触れたくないことなのか、核心を避けようとしているのか、言い淀む回数が明らかに増えている。
 「利用されるわけにいかなかったし、俺自身が力を制御できなかった……だから、俺は逃げたんです。そして、ディングに身体を空け渡した」
 「そんなことができるのか?」
 「意図的にやったわけじゃありませんが」
 わずかに笑みがこぼれる。ランディが見たガルトの笑顔には冷笑と苦笑の二種類しかないのだが、これは後者にあたるだろう。
 「俺が記憶を、ディングが力を分かち持っています。ディングは力に気付いていないから使うことができないし、俺は力を持っていない。そうやってディングが力に気付かないように守ってきたんです」
 「おまえがそれだけ恐れる力って一体……」
 長い沈黙。明らかにランディは、ガルトが聞かれたくなかった核心をつく問いを投げかけたのだ。ランディもそれは承知している。ただ、ガルトがどんな反応を示すのか見たかっただけだ。
 「……あなたには……今は関係ありません」
 「あ……ははははっ」
 いきなりランディは笑い出した。ガルトがぎょっとしたような目を向ける。
 「な……」
 思わず声を失うガルトに、ランディはさらに笑い続けた。
 「あははは……おまえ、話すの下手だな」
 「?」
 「あのなあ、言いたくないことは聞かれないようにすればいいんだ。おまえの話し方ってさ、こっちがいちいち突っ込んで聞きたくなるの。わかる?」
 「あ……」
 形成逆転。
 今度はガルトが動揺し、黙り込んだ。
 ランディはもともと、会話で相手を翻弄し、自分の思い通りに動かしていくことを得意とする。不意のガルトの出現で乱されたペースは、完全に元に戻りつつあった。
 「今は関係ないって言ったろう? 長いつきあいをするつもりでもない相手に『今は』なんて必要ないんだよ。それに、動揺してるのが顔に出たら、もう負けてる。そこが大事だって言ってるようなものだからな」
 「……確かに」
 「今だっておまえ、どんどん追い込まれていって、話したくないことまで話さざるを得なくなっていた……違うか?」
 ガルトは恐らく、ひどく繊細で傷つきやすく、他者と接することに不慣れなのだと、ランディは思う。繊細だからこそ他者に内面を見せないようにつくろってはいるが、一度内面に踏み込まれれば、驚くほど弱々しい。
 まるで、昔のおれみたいじゃないか……ランディがついガルトの弱さを指摘するなどというお節介な行動を取ってしまったのは、そんな思いがあったからである。
 ガルトは闇色の目を伏せて考える。
 「その通りでしょうね……俺もまだまだだな」
 「いや、俺から過去の話を引き出したのは、おまえが初めてだったぜ」
 「そうですか……」
 ガルトは顔を上げ、微笑した。
 苦笑でも冷笑でもない、晴れやかな笑み。
 「どうやら俺は、あなたのような人をもっと見ておく必要があるらしい」
 「なんだそりゃ」
 「今あなたが言ったことが、たぶん俺にとっての致命的な欠点だからですよ。言葉に追い詰められて自分を見失っているうちは、島に戻れやしない」
 「戻るつもりか」
 「いずれはね」
 含みのある笑みを、ガルトは浮かべた。
 が。
 「まあ、そんな話はやめておきましょう。あなたはダーク・ヘヴンについて聞きたいことがあったんでしょう?」
 こいつ、聞かれたくないことに予防線を張ったつもりだな、と、ランディは思い、吹き出しそうになるのをおさえた。やはりランディに比べて、ガルトは年季が浅い。ランディは素直に乗ってやることにした。
 「そうだな。あの島に入り込む方法が知りたいんだ」 
 「入り込む、ですか……そう聞かれるとは思っていたけど……」
 ガルトは考え込む。
 「知らないのか?」
 「いえ。ただ俺は二年前のことしか知りません。その後状況が変わっているかも知れませんが、それでもかまわないのなら……」
 ガルトの言葉が、ふっと途切れた。
 洞窟の中層部の分かれ道に、彼らは立っている。ディングがつけた目印を逆にたどってきたので、トラップに引っ掛かることも道に迷うこともなくここまで来たのだが。
 ガルトの顔は、目印のついていない脇道の奥へと向けられていた。ランディも同じ方を向いている。
 「あの気配……おまえも気付いたか?」
 「ええ」
 ガルトが短く答えた。
 「死者の念が渦巻いている。俺にわかるぐらいだから、相当強いものですね」
 ガルトの言う通り、それは死霊の気配だった。先刻のものよりも強いかも知れない。
 「……」
 いきなり、ランディが歩き出した。目印をそれ、脇道にためらいもせずに踏み込んで行く。
 「ラ……ランディさん?」
 「言ったろう? 俺は死霊を集めなきゃならないんだ」
 「無茶だ、俺はディングじゃない。トラップ解除なんてできないんですよ!」
 「別におまえに来いなんて言っちゃいないぜ。また浄化されたら迷惑だしな」
 「しかし……」
 ガルトの制止を聞くランディではない。その間にもランディの姿は遠ざかっていく。
 「……どうしたら……」
 ガルトは迷う。ランディを見捨てるか、ついて行くか、それともディングに身体を譲るか……。
 「ええい、しかたがない!」
 荷物をさぐり、ディング愛用のナイフを手にしたガルトは、新たな目印をつくりながらランディを追った。


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